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田原城(たはらじょう)

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  • 所在地
    田原市田原町巴江
  • 交通
    豊橋鉄道「三河田原」より北 約700m
  • 地震津波関係
    宝永4年(1707)宝永地震
    嘉永7年(1854)安政東海・南海地震
    その他(年代不明を含む)

かつての田原城は、城の周囲に海が入り込んでおり、湾が巴形になっていたことから「巴江城」とも呼ばれていました。「田原町史」などを参考に、地震の際の田原城とその周辺の被害の状況を要約すると、次のようになります。

【寛文2年(1662)寛文の近江・若狭地震】田原城の櫓が崩れた。
【貞享3年(1686)の地震】田原では、田原城内の櫓、武家屋敷・町屋敷が倒壊し、死者もあった。
【宝永4年(1707)宝永地震】そろそろとゆれ出して、それがしばらく続き、その後大分強くゆれ出した。そのゆれはしばらく続いた。この地震で、田原城の城内、赤沢村、野田村、赤羽根村、池尻の川筋の村が大破した。
【嘉永7年(1854)安政東海・南海地震】この時の地震の被害は非常に大きく、桜御門の東側の石垣が崩れ、大きく東へ傾き、本丸入口(現在の巴江神社付近)の格子門脇の石垣も崩れ、本丸をはじめ各郭の建物も大破した。この復旧工事は、万延元年(1860)までかかっている。

田原城(たはらじょう)

地震・津波関係

  • 宝永4年(1707)宝永地震
  • 嘉永7年(1854)安政東海・南海地震
  • 明治24年(1891)濃尾地震
  • 昭和19年(1944)昭和東南海地震
  • 昭和20年(1945)三河地震
  • その他(年代不明を含む)

高潮・波浪関係

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