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災害を今に伝える史跡など名古屋地区

名古屋地区の被災状況

 宝永4年(1707)宝永地震の際には、建物被害、石塔等の倒壊、熱田への津波襲来、地割れ、泥水の噴出、堤防の破損が発生しています。
文政2年(1819)の地震の際は、建物被害、石垣・堀等の破損・倒壊、石灯籠・墓石の転倒・回転など構造物の被害が発生しています。
嘉永7年(1854)安政東海・南海地震では、建物の全壊・半壊、堀の破損・倒壊、石灯籠の倒壊のほか、天白川の破堤で大騒動になったとも伝えられている。
沿岸部を襲った津波は、堀川を逆流して尾頭橋あたりまで達し、堤防を越えて堀川以西一帯に浸水しています。大江新田(滝春町付近)・当栄新田(南区加福町付近)・甚徳新田(南区船見町付近)・豊宝新田(南区本星崎町付近)でも床上まで浸水しています。
明治24年(1891)濃尾地震では、建物の全壊・半壊、地割れ、水の噴出、火災、堀川に架かる橋の破壊、江川氾濫、井戸水の噴出が発生しています。鳴海町では井戸水が~2m以上も増水またはあふれ出し、岩塚町では井戸水が微温湯となったとされています。
中村区で1000余ヶ所で噴砂があり、ため池の堤防が破堤、猫ヶ洞の大ため池の堤防が崩壊し、人家、耕地数10haに浸水し、下流の田代町では人家1棟が流失したとされています。このほか、落橋、道路、海岸堤防、河川堤防が至る所で損壊し、樋管・ため池・水路の損傷も多かったとされています。
昭和19年(1944)昭和東南海地震では、地割れ、水・土砂の噴出、家屋の全壊・半壊、水道管の破裂、市電軌道の破損、電柱・灯籠などの倒壊が発生しています。
名古屋港では土地の隆起がみられ、機能も停止したとされています。この時の津波は、波高は1~1.5mと推定され、津波が堀川を遡上して、水位を上昇させています。陸地では土地の隆起・沈降のほか地割れや亀裂がみられ、噴砂・噴泥・噴水、地盤沈下、水道管の破裂・断水、軌道沈下・陥没、橋りょうの軌道が浮上、架空線断線して落ち、道路の陥没・沈下、道路橋梁の陥没・破壊なども発生しています。地盤沈下、噴砂、噴水等は、名古屋港周辺が干拓・埋立によって形成された陸地であることも一因と考えられます。
昭和20年(1945)三河地震では、軟弱な地盤の場所を中心に家屋の倒壊、稲永新田で噴水・噴砂が発生しています。

災害を今に伝える史跡等

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