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幸田町消防団の紹介

消防団員になろう!!

消防団の歴史

幸田町消防団活動風景01

昭和22年に警防団から消防団に改革。昭和29年に豊坂村との合併により幸田町消防団改組され9分団制233名となり、昭和41年、51年に消防団員の定数が改変され、昭和53年に定められた147名の定数で現在(平成23年度)にいたっています。

年間行事・活動

幸田町消防団活動風景02
4月 初訓練、新入団・幹部訓練
6月 消防団競錬会
9月 幸田町総合防災訓練、観閲式
11月 防火パレード、消防団出動訓練
12月 年末夜警
1月 出初め式

4部門で競い合う消防団競錬会

幸田町消防団活動風景03

幸田町消防団の消防団競錬会は一般的な操法大会とは違い、階梯操法、小型ポンプ実戦操法、ポンプ車実戦操法、合同実戦操法(小型ポンプ・ポンプ車)の4部門で実施され、分団単位で競い合います。

階梯操法の部は、規律・節度を重んじその完成度を磨き上げる職人技です。階梯操法を実施している市町村はめずらしく、幸田町消防団が伝統を守るべく訓練し継承しております。

小型ポンプ実戦操法、ポンプ車実戦操法、合同実戦操法(小型ポンプ・ポンプ車)は、実戦性を高めるためコース内に置いた障害物を排除しながら進み、標的を目指しポンプからホースを延長して放水し、安全性、確実性、迅速性を競うものとなっています。

団員は競錬会にむけ厳しい訓練を重ね、本番では日頃の成果を出そうと気合たっぷりのため、時にはミスをして悔し泣きすることもあったり、優勝して喜びの涙をながしたりと、一年でもっとも熱い一日になります。

観閲式は伊勢湾台風の日

幸田町消防団の観閲式は毎年9月26日となっていました。この日は、昭和34年に「伊勢湾台風」が上陸した日です。家屋の倒半壊、死者・負傷者、農作物の損害など甚大な被害を受け、消防団員は人命救助や避難誘導などにあたりました。その後、最も被害の大きかった名古屋市11号地(現在の港区付近)へも応援出動をしました。

そんな先人たちの精神を忘れないために、毎年この日に行っていましたが、平成に入り26日が平日にあたると団員への負担が大きくなることを懸念し現在は26日前後の日曜日に挙行しています。式では訓練や分列行進のほか、伝統を継承している階梯操法も披露します。

集中豪雨で消防団の必要性を再確認

平成20年8月末集中豪雨の時は、全団員が招集され非常配備の態勢をとりました。各分団は管内の警戒活動、土のうによる水防工法や排水活動、床上浸水により被災した地域住民の安否確認、避難誘導などを行いました。豪雨の中、団員たちは危険な現場に身を置き、懸命に活動しました。活動は、前日の8月29日午前2時8分から翌日30日の午後10時までの2日間、時間にして実に42時間におよび、地域における消防団の必要性を再認識しました。

林野火災を想定した訓練

幸田町は山に囲まれ、林野火災が多い地域です。林野には消火栓や貯水池といった水利がないため、ポンプ車と小型ポンプを連携し、ホースを山の上へ繋げなければなりません。幸田町独自の合同実戦操法(小型ポンプ・ポンプ車)は、このために行っています。また、秋には本格的な出動訓練を行っています。そのためホースの中継は、どこよりもスムーズに行うことができると自負しています。

「先輩に育てられ、後輩を育てる」ことを体験

幸田町消防団活動風景04

「何もできなかった自分を一人前に育ててくれた先輩に感謝する」「どうしたら後輩が気持ちよく活動できるか、指導法を自分で考える・・・」。消防団では、このようなことが体験でき、消防団員としてだけでなく、人として成長することができます。

「縦社会ではない自営業なので、消防団に入ってよかった」「短い期間で、平社員から社長まで経験するような気分」「現場では、住民の皆さんがご苦労さんって声をかけてくれ、一目置かれます」「緊急時でも臨機応変に対応できるようになった」と、自らの成長を実感する団員が多くいます。

地域に密着した防災訓練に

幸田町消防団活動風景05

過去には広田川が決壊した平成12年の東海豪雨の時、右岸の集落側が、平成20年8月末豪雨の時は左岸の農作地側が被害を受けました。

このような水害や今後起こりうる地震災害に備え、町の防災訓練は今までと違うやり方で取り組むようになりました。具体的には幸田町全域の訓練から小学校の学校区単位に切り変え、区内で地域にあった防災訓練をするようにしました。消防団が地域のリーダー的な存在になり皆さんと力を合わせて、災害に対応できたらと考えています。


※平成23年12月現在のデータを基に作成しています