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ベッドサイド・ミュージック

 患者さんのベッドサイドにはいろいろなものがあります。なかでも、CDは私の目を一番強く引きます。世の中には「癒しの音楽」があふれていますが、「今、ここで」、この患者さんが聴きたいと思われたのが、この音楽なんだと思うと、なぜそれを選ばれたのか、訊きたくなるものです。
 萩原朔太郎は『月に吠える』で、「どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思ったら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには、音楽と詩があるばかりである」と書いています。もちろん、歌を作ったり、奏でたりできなくても、聴くだけで十分、感情表現はできるのです。いずれにせよ、音楽の話が語られるとき、なぜかこころは元気になることが多い。そんなエピソードを御本人の許可を得て、紹介していこうと思います。
 いわゆる「ちょっといい話」。

目次

  1. ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(悪性リンパ腫、40歳女性)
  2. さみだれや大河を・・・家二軒(食道がん、68歳男性)

#1. ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(悪性リンパ腫、40歳女性)

 彼女との面接で一番記憶に残っていることは、ICU後に入られた個室のベッドサイドにビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』のCDが置いてあったことです。私は、ビートルズのアルバムのうちこれだけは持っていなかったので、早速買いに出かけました。「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」というそれぞれジョンとポールの楽曲が両A面となっていたという史上最強のシングルが含まれているというだけで、ドキドキします。
 (中略)
 さて、彼女は、「ストロベリー・フィールズ」を聴くことで何を表現していたのでしょう? ストロベリー・フィールズは孤児院ですから、孤独な治療を続ける気もちにぴったりだったのかもしれません。あるいは、

I think I know I mean a "Yes" but it's all wrong
That is, I think I disagree

(「はい」と言っても、そういうわけではなくて、結局、同意はしていないんだと思う)
という歌詞は、いかにも、厳しいがん治療に同意する患者さんの心持ちのように読めます。そういえば、『マジカル・ミステリー・ツアー』自体、がん治療を彷彿とさせます。
(アンチ・キャンサー・リーグ/メンバーの声 #1 より抜粋し再録)

#2. さみだれや大河を・・・家二軒(食道がん、68歳男性)

  Tさんの病室は9階ですが、MRSAが陽性なので、毎日最後にお会いすることにしていました。3月28日もそうでした。その日新しく目に入ったのは、ベッドサイドに置かれた『えんぴつで書く 奥の細道』100円グッズ版! Tさんは、「女房は安物買いに飛び回っとる」と書かれました。彼は、気管切開されているので声が出ません。食事もできません。それが最後の一押しになったのでしょうか、去年の暮れに、うつ病ではないかと私に紹介されました。そして、その後、再手術も終え、ようやく笑顔も出てきた頃でした。
 Tさんは、芭蕉の「五月雨を 集めて早し 最上川」を指差され、「これよりも蕪村の句のほうがいい」と書かれ、「さみだれや 大河を・・・ 家二軒」と続けられましたが、どうしてもこのあいだのことばが思い出せないとのこと。私は、古本屋で買ったばかりの文学史18巻が部屋に置いてあるから調べてきましょうと伝え、その日は退室しました。翌朝、さっそくドナルド・キーン『日本文学の歴史』第8巻を開くと、

「さみだれや 大河を前に 家二軒」
The rainy season-
The swollen river before them,
Two little houses.

とありました。これは、1777年、娘の離婚を友人に知らせる手紙の中に書き付けられたものだそうです。また、『竹西寛子の松尾芭蕉・与謝蕪村集』を開くと、これは、「ぎりぎりのところで突っぱっているニ軒の家の健気さとあわれで読ませる句である」と指摘されていました。しかも、「芭蕉の滝と山吹の句は、大勢に逆らうこともできず、押し流されてゆくものの素直とあわれで読ませる句でもある」という解説と実に対照的でした。当時、離婚して戻ってきた娘と父親がどんなふうに世間で噂されたかと想像するだけで、句の重みが実感されます。
 さっそくコピーし、Tさんに届けました。ぎりぎりのところで突っぱっている家二軒って、がんを前にしたTさんと奥さんに重なるところがあるねと話したりしました。退室時、Tさんが私を引き止め、震える右手でノートにわざわざ書かれたのは、「ありがとう ございました」。いいえ、「こちらこそ」です。

新設:2007.04

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