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特別企画(第2話)

ニーマイヤー教授、喪失を語る

インタビュー/訳:小森 康永

'大切なものを失ったあなたに'(表紙)

ニーマイヤー教授は、メンフィス大学心理学部心理療法部部長の要職にある心理学者です。今秋、第30回日本死の臨床研究会年次大会(1)での講演のために来日されました。私は、彼が構成主義という認識論に基づいて、喪失についての研究をしていると知って、興味を覚えたので、メールしたところ、インタビューが快諾されました。
 11月4日大阪国際会議場での講演『喪失、悲嘆、そして意味の探求』当日の朝、ホテルで朝食をご一緒した後、彼の部屋で1時間半ほどインタビューしました。


 10月に翻訳されたばかりの『<大切なもの>を失ったあなたに』(春秋社)(2)についての話題が中心になっています。タイトルの<大切なもの>に示されているように、本書で扱われる喪失は、愛する人の死ばかりではありません。離婚、失恋、失業、それにもちろん健康の喪失も、含まれるわけです。ですから、本サイトの読者にとっても、たいへん役に立つ内容になっていると思います。末尾には、「自分でできるグリーフ演習」もいくつか紹介してあります。乞うご期待!  

'四月の野球'(表紙)

(入室し、録音のセッティングが済んだところで、テーブルの上に、日本でも『四月の野球』の翻訳のあるメキシコ系アメリカ人作家Gary Sotoの詩集があるのを見つけ、詩も読むのですかと問うと)
ニーマイヤー(以下、N):こっちは、私の詩集ですよ。
小森(以下、K):ええっ?

N: 先月、出版されたんだ。
K: じゃあ、ボブは、詩人でもあるわけですか?
N: どうかね、みんなが私を詩人と呼ぶかどうかは知らないけれど、そう呼んでくれる人もいるよ。
K: では早速、『<大切なもの>を失ったあなたに』について、いくつか質問させてください。この本は、3つに分かれていますね。第1章は、主に喪失を経験した一般読者のためのもので、それを乗り越えるためのある種のハウ・トウになっています。第2章は、ある意味、理論的な部分で、専門家はここから読むのがいいでしょう。そして、第3章では、自己エクササイズが紹介されています。
N: そうです。そして、私にとっては、第3章が、本書の肝心な部分です。第1章と第2章が、手と頭だとするなら、第3章は、心なんです。自分で物語を作るためのエクササイズをいくつか提供しようと努力しました。私たちはいつも、患者さんたちを援助するために、彼らと共にグリーフ(悲嘆)に対処していますが、それは単に喪失からの回復ということではありませんし、喪失を受容するということでもありません。それは、私たちの人生の物語の中へ統合されなければならないのです。だから、とてもつらい外傷的な喪失に苦しんでいる人のためになるように、つまり、彼らがそれを腑に落ちるものにするためのエクササイズを用意したんです。そこでは、メタファーや詩、それにさまざまな儀式も利用しています。
K: あなたが詩人であることと第3章はよくフィットしているわけですね。
N: そうですね。でも、私は、自動的に私たちが全員、詩人だと思っています。問題は、自分が詩人であるかどうかを発見するかどうかですけどね。
K: あなたは、本書の中でご自分の喪失について書いていますね。11歳の時にお父さんを亡くされたと。私も父親を13の時に亡くしました。
N: それは、自殺ですか?
K: いいえ。心筋梗塞の初回発作です。それまで、病気ひとつしたことはありませんでしたけどね。あなたは、さらに、お母さんも喪失を乗り越えるのに大変苦労されたと、中扉に書かれていますね。
N: それは、とてもとても長い過程でした。父親の死から数年前の自分の死まで続くもので、複雑な喪失体験の症例報告になるようなものです。まったく適応できない期間がほとんど10年ほど続きました。大量飲酒、それに引き続くうつ病、さらには大量服薬など。だから、私の思春期は、母親の救命に費やされたと言っていいでしょう。つまり、自分の人生を振り返ってみると、自分が心理療法家になったことや、特に、死を前にした「意味の探求」というテーマを専攻したことは、なんら不思議なことではないのです。(中略)あなたが、心のケアの領域で仕事をしていることとか家族への衝撃、さらには、精神腫瘍学に興味を移してきたことも、なんら偶然の出来事ではないはずです。
K: 一度もそんなふうに意識したことは、ないですけどね(笑い)。
N: そう。意識し過ぎないことが、一番大切なことです。くそ真面目に生きるより、目の前のことに意識を集中していくことが大切なんです。

グリーフ・サイクル

K: ところで、本書についてテクニカルな質問をしてもいいですか? 第1章であなたは、「グリーフ・サイクル」という用語を紹介されています(p. 29-37)。そして、「回避」、「同化」、「適応」という3つの局面があると書かれていますが、これは、一度限りのことですか? それとも、何度も繰り返すとお考えでしょうか?
N: 何度も繰り返すと考えています。人生において、喪失のたびにグリーフサイクルは生まれますし、ある喪失によって何年かの間隔を置いて何回もグリーフサイクルが生まれることもあるわけです。たった一度の喪失でも、いくつかの適応のレベルがあるわけですから。たとえば、私の父は、私の12歳の誕生日の1週間前に自殺しました。私は、確かに、その時、適応しました。しかし、それは、思春期前の男の子としての適応に過ぎません。それから、15年が経ったときのことです。大学で教えていた頃、死と死にゆくことについての第二課程でのことです。ある学生が、自分の父親が自殺したことを語ったとき、私は言いようのない衝撃を受けました。そして講義が終わってから、(今は私の妻となっている)当時はガールフレンドだったキャシーの家へ行きました。そして、ソファの上で彼女の腕の中に抱きかかえられて、さめざめと泣きながら、少年の声でこう言ったんです。「どうして僕を遺して行っちゃったの?」 だから、私は、この時点で自分が一つの経験の2度目のサイクルに入ったことが分かりました。しかし、それは、その当時の青年としての私の個人的および人間関係における資源を十分に組み入れた統合となったのです。そして、さらに次の15年間は、父について同じ夢を見続けました。いつも車庫で、父の影を見つけて追いかけるのですが、見失ってしまいます。その夢を見続けて何年かが過ぎた頃、とうとうある部屋で、私は父と対面したのです。お互いに目と目を覗きあうように向かい合っています。そこに言葉はありません。受容されているという雰囲気だけがあるのです。父は首を縦に振りました。そして、夢は終わりました。私の解釈では、この喪失における意味の探求は、意識と無意識の両方のレベルにおいて続いたのです。家族との会話の追求にしろ、論文執筆にしろ、夢の中であれ、同じひとつの喪失において、さまざまなレベルで、グリーフ・サイクルは繰り返しているのです。
K: よく分かりました。ありがとう。あなたのお父さんが自殺だったとは、知りませんでした。
N: 本の中では、そうは書いていなかったかもしれないね。
K: 私は、今46で、父親が死んだ年齢ですし、子どもは12歳で、私が父親を亡くした歳と同じです。こうした時期に、なぜか私は、死にも積極的に対処するサイコオンコロジストになりました。思えば、私が小児科医から精神科医になったのも、子どもが生まれた頃でした。仕事で子どもたちと会わなくても、家で会えるようになったから(笑い)。
N: それは、いいね。あなたの経験は、少なくとも私の見方では、喪失に対する素晴らしい意味作成の描写になっていると思いますね。喪失というのは、なにも認知的で知的な頭の中のエクササイズじゃないんですよ。私たちは、人生において喪失からいろいろなことを学びます。喪失を生きるのです。アイデンティティは、喪失をどう統合するかということによって形作られます。人生の選択も、私たちがそこから学んだことによって、作り上げられます。私も、今、思い出しました。今年17歳の長男が12歳の誕生日を迎えたときのことです。私は、火のついた12本のろうそくが立つバースデイケーキをはさんで息子と向かい合いました。彼の顔がよく見えました。妻は、アメリカの習慣通り、息子がろうそくの火を一吹きで消すことで願い事をかなえられるよう準備してくれていました。私は、何と言えばいいのか、とても大きな波を感じました。それは、感謝と寂しさの入り交じったものでした。お分かりのように、12歳の誕生日というのは、父親が私を見ることのなかった機会です。このような理解からすれば、典型的なグリーフ・モデルがいかに単純過ぎるかが分かってもらえるのではないかと思います。悲嘆は5つの段階の後で消えてなくなるとか、あたかも病気の症状のように取り去ることができるなどと考えるのは、ちょっとね。喪失への適応というものは、私たちの内面において、私たちの関わりにおいて、そして人生の流れにおいて何度も立ち現れるものであって、それは、終焉を迎えるまでの時間を区切られた、精神内界での情緒的適応などというものではないのです。そして、このように考えることでこそ、人生は驚くほど豊かになるのです。

新しいグリーフセラピー

K: 本書を読んだ後で感じたのは、この領域での仕事がキューブラー・ロスの段階理論などによっていかに強く影響されていたのかということですね。それをあなたは今、革新しようとしている。そんなときに私は、この領域に入ってこれて、とてもラッキーだったようです(笑い)。
N: そう?(笑い) 私は、自分の仕事を誇張したくはないし、実際、同じ意見の人間がたくさんいるのです。研究者にしろ臨床家にしろ多くの人々の手になる仕事によって、今、それが生まれようとしているのです。拘束的に働く古い段階理論は、限定的でしかない薄い物語だと気がついて、人々は、喪失がいかなるものかという新しい考えを見つけ、それによって人生はどう変化するのかと考えているのです。新しい考えは、新しい視野を開き、新しい治療実践と可能性が広がります。それは、心理療法全般でも同じことです。あなたがしているような、より好ましい物語の推進を支持するナラティヴな実践は、グリーフの領域に貢献するでしょう。英国の社会学者でトニー・ウォルターという人がいます。彼は、「グリーフの核は、伝記的押し付けである」と言っています。つまり、伝記的情緒は、愛する人の人生物語を保存するよう志向しているということです。だから、これを臨床的認識枠組みとするなら、プロセスとしての悲嘆というものは、自分たちの持っていたものを失うことから、失ったものを持つことへの動きと言えるわけです。言い換えるなら、失われた結びつきを忘れることではなく、失われた結びつきを変容させることであるのです。私たちは、より身体性の少ないものを同じくらいリアルなものとして感じるところまで行けるわけです。この方が、グリーフセラピーの理解として有効だと考えています。

グリーフセラピーの前近代的要素

K: そうですね。ところで、私たちが、あなたもよくご存知のヘツキの本『人生のリ・メンバリング』を訳しているときに感じたのは、彼女たちは、愛する人を思い出す方法をいくつも紹介していますが、そのどれもが、私たち日本人にとって、とても身近なものであるということです。それらは、どれもポストモダン(近代以降の)・アプローチなのに・・・
N: プレモダン(前近代的)なものにとても似ているということ?
K: そうです。昔ながらのとてもリアルなものとして想起するのです。たとえば、日本には「供養」という概念があります。あなたの本でも、ペットロスについて、人間の場合と同じ弔いをすることの有効性が指摘されています(p. 116)が、日本では、イヌやネコの供養はありふれたことで、それを専門にするお寺もあるくらいです。さらに、さまざまなモノまでもが供養の対象となっています。たとえば、筆供養。
N: 使っていれば、自然に毛が磨り減っていくわけだから、どこかでリタイアさせるためのセレモニーをするわけですね?
K: そのとおりです。人形供養もあれば、針供養もある。そして、水子供養も。いずれにせよ、とてもプレモダンなものです。
N: 確かに、私たちは、現代のグリーフセラピーとグリーフ理論において、結びつきを維持し変容させるためにプレモダンな要素を使います。私でさえも、20世紀のグリーフ理論というのは、西洋以外の社会のグリーフシステムからの出発だったと思います。フロイトが1917年に「喪とメランコリア」を発表したときは、第一次世界大戦の真っただ中でした。その頃は、9.11での死者、約3000人の2倍もの数の人々が毎日死んでいた時代なのです。48ヶ月間にわたる戦争のあいだ、6000人もの人たちが毎日死に続けたのです。このような時代において、フロイトは、人々が愛する人の死からいかに自らを分離し、人生を進めていくべきなのかを書こうとしたのだと思います。それは、グリーフ理論ではなく、集団的文化的トラウマ下での適応理論なのです。自らがコントロールできない喪失においていかに生き残るかの問題なのです。残念なことに、これが、人々がいかに喪失を乗り越えるかという理論として解釈されました。そして、ほぼ一世紀が過ぎたところで、多くの研究の結果、これは非常に多くのパターンのうちのひとつに過ぎないことが、判明したわけです。だから、日本の文化が私たちに示唆することは、とても大切なことだと思っています。

ポストモダンな治療

K: 論文の書かれた時代背景を知ることは、とても大切ですね。プレモダンとポストモダンということで言うなら、日本には「死神」というものがあります。落語で有名なものは、やせた老人で、彼が病人の足下にいるのであれば病人は助かりますが、頭の側にいれば、病人は死ぬのです。それを踏まえて、私は、死についての勉強会で使えるようにと、死を擬人化した「ミスター・D」という登場人物の人形劇を作りました。最初、シナリオは、ミスター・Dがいかに支配的かを表現した後、それでも失敗する場面が多いことが判明していくという(外在化の)枠組みを使いました。すると、ほとんどの聴衆は、それを「死神」と勘違いしたり、彼をとても不吉で不快感を催すものと感じたのです。ナースの中には、ターミナルケアにおけるジレンマを惹き起こすのでちょっと耐えられないという人もいました。
N: お、お、お!
K: そこで、ミスター・Dが、自らの仕事に不全感を抱いて、精神科医のところへ来るというシナリオに全面改訂したのです。
N: お、お、お!
K: ところで、あなたは、死についてのプレモダンな理解とポストモダンな理解は、どのように違うと考えていますか?
N: ポストモダニズムの第一の特徴は、多くの可能性を賞揚するということです。ポストモダンで構成主義的な物語枠組みも、ローカルな言説の多元主義を重要視します。その観点からすると、プレモダンなものは、なんらかの基準を持つ傾向にありますし、象徴体系における意味の普遍性を支持しています。儀式もそれがあってこそのものでしょう。ところで、プレモダンとポストモダンに拘らず、「公的権利を奪われた喪失」disenfranchised lossの場合は、儀式がどうしても必要になります。そこで、どんな形の儀式が必要なのかという感受性をポストモダンが支持することは、確かでしょうね。
K: 確かに。
N: そのような状況では、喪失についての新しい言葉を作ることも必要になってきます。たとえば、日本語で「未亡人」という言葉は、「まだ死んでいない女性」という意味ですね。男性は「やもめ」で「独りで暮らす男」ですね。ところが、この二つは、とても異なる概念化です。もしもこれらの言葉が暗示することがらに対する解決策を考えるとどうなるでしょう? そこでの解決策が、女性ならば死、男性であれば再婚であることは、明白です。もちろん、そこには、なんらかの理由で女性が再婚したがらないという事情があるのかもしれません。ポストモダニズムのもうひとつの特徴は、このような言語理解に対する感受性にあると考えられます。言葉によって、なんらかの地位が可能になると同時に、他者の地位が制限されるという事実があるからです。言葉に挑戦するということは、言葉を発明し直すということであり、文化的な革命でもあるわけです。

治療文化を作る

K: あなたの文化的革命という言葉で思い出したのは、私のいつもの臨床において「ディグニティ・セラピー」を推進しようとしても、人々は死について語ることを忌避する傾向にあるので、どうしても死にゆく人は家族と黙って目と目を見つめ合うばかりということになり、ディグニティ・セラピーのように、死を前提にして愛する人々にメッセージを遺すという治療は、なかなか切り出せないことになります。
N: チョチノフの仕事はとても興味深いね。スローンケタリングでも追試されていることは、知っていますか?
K: いいえ。日本でも、もうすぐ追試が始まります。私もそれに参加する予定で、始めたところです。たぶん、日本で最初のケースでしょう。
N: そうなんだ!
K: こうなると、緩和ケアに関わる人々の治療的文化というものを医療関係者も一緒になって、変えていかなければならないわけです。そういう意味もあって、このサイト「アンチ・キャンサー・リーグ」を作ったんです。
N: それは、素晴らしい。
K: ところで、あなたは、グリーフがとても女性的だと指摘していますね(p.174-179)。
N: 私たちのグリーフ理解は、主として女性の経験に基づいています。たぶん、こうした研究の80%は、成人女性を対象にしています。ですから、私たちは、子どもたちのグリーフ、男性のグリーフ、それに西欧以外の国々のグリーフについて知る必要があるのです。
K: それも、ポストモダン・アプローチの特徴ですね。
N: そうです。人間には多様性があることの認識です。愚かにも、自分たちの経験を普遍化してはいけません。
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あいまいな喪失

K: ところで、本書の最初で、「あいまいな喪失」について述べていますね。私は、統合失調症の家族とつきあってきたので、そこにもとても興味があります。
N: それに関連して、「慢性の悲しみ」Chronic sorrowという概念も、とても役に立つ概念だと思うね。「慢性悲嘆」Chronic griefとは違って、これは、臨床的に事例化することはありません。異常な喪失に対する正常範囲の反応と言えばいいでしょうか。ほとんどの死別反応には、愛する人との明確な死というものがありますが、認知症患者の家族とか進行性神経筋疾患の患者の家族のような「あいまいな喪失」の場合、人々は、多かれ少なかれ、そして予測可能であろうとなかろうと、終わりのない喪失を経験し続けることになります。そうなるとグリーフの目標は、シフトを変え続けることになります。最終的な適応というものはないのです。ここで覚えておくべきことは、悲嘆すべき状況が複雑で、現在進行形で、終わりがない以上、グリーフ自体も複雑なものになるということです。このような事態に共通して認められるのは、そこにあてはめるべき物語、脚本がないということです。物語の予測が、中断されてしまうのです。多発性硬化症であれ、自閉症、重度精神発達遅滞であれ、そこでは人生物語の来るべき章が、ないのです。それを、私の同僚のスーザン・ルースは、「置き去りにされた指標」Marker beleftと呼んでいます。私たちは、人生がこの先、どうなっていくかという指標を信じています。子どもであれば、いつ歩き、いつ言葉を喋るようになり、そして学校へ行き、卒業し、結婚し、孫が生まれるという指標があります。しかし、「あいまいな喪失」にある人々には、それがないわけですから、彼らがいかにして人生物語を理解するかということは、とても挑戦的であると同時に、とても興味深いことなのです。
K: 私は、がんセンターで「乳房喪失」の患者さんたちと話す機会があるのですが、そこで「あいまいな喪失」の臨床応用は可能だと思いますか?
N: もちろん、女性性、セクシュアリティ、個人性においても、多くのトラブルが予想されるので、そのとおりですね。ただし、私には、乳がんサバイバーとの治療経験はあまりありません。
K: G. J. Neimeyer(p. 296)とは誰ですか?
N: ああ(笑い)! グレッグですね。弟です。フロリダ大学でカウンセリング心理学を研究しています。まあまあ有名です。昔は、よく一緒に仕事をしました。私同様、構成主義者ですが、死と死にゆく人をテーマにはしませんでした。

自分でできるグリーフ演習

K: では、そろそろ最後の質問ということにしましょうか。あなたは、第3章で、「自分でできるグリーフ演習」を17も紹介されていますが、患者さんたちはこれらをどのように選択して使えばいいのでしょうか? あなたは、どのように薦めるのですか?
N: とてもいい質問です。読んだばかりのあなたが答えた方がいいのかもね(笑い)。英語で言う"do's and don't's"(「すべきこととしてはいけないこと」の意味)があるわけではありません。あなたなら、そう言うつもりでしたか?
K: そう思っていました。確認したかったのです。
N: ただ、喪失を経験している人にとってしてあげたらいいことは、ありますね。たとえば、目に見える援助を申し出ることですね。家族の誰もが食事の支度などする気になれないときに、食事を用意してあげること、あるいは、愛する人が亡くなって、たとえば二週間後に、誰も弔問に訪れなくなったところで、ランチに誘うことです。「何か困ったことがあったら、いつでも電話してね」と言うよりも、「ランチするのに、いつなら空いてる?」と言ってあげることです。半年してから、「調子はどう?」って聞いてあげるのもいいね。
K: それでは、長らくインタビューに時間を割いてくださって、ありがとう。
N: 私からひとつ提案したいのだけど、第3章の中からいくつか選んで、皆さんに紹介しておいてくれないかな? もちろん17全部では、聞いた方が戸惑うから、あなたがいくつか選んでくれたらいいよ(3)
K: OK。
N: インタビューをセッティングしてくれて、ありがとう。あなたの仕事がうまくいくことを祈っているよ。
K: こちらこそ、ありがとう。

−注−

(1) 本学会の次期世話人代表は、愛知県がんセンター愛知病院副院長 渡辺正先生です。
(2) 本書には、Amazon.co.jpで10月23日には、もうこんな書評が書き込まれています。
星になったキノコ姫へ,  オリエントファン -敬愛する友だちが突然、この世からいなくなって、呆然としています。 本を読んでも、きもちはふっきれないだろうと思いながら、「喪失をのりこえるガイド」という副題を見て、手にとって見ました。 きれいな緑色の帯に「どんなことがあっても、じぶんらしく生きるすべがある。」と書いてありました。 あとがきを読んで、喪失の痛みには、「必要なもの」と「不必要なもの」があると解説されており、なんだか気持ちが楽になりました。 そして、なにより励みになった言葉は、喪失は新しいスタートになるという著者の考えです。 読んでほんとによかった。少しずつでも、グリーフ(喪失の悲しみとその影響)を整理してみようと思いました。 失恋、失業、死別、いろんな「さよなら」に出合っても、少しはびびらなくなるかも。
(3) 第3章中の17のエクササイズのうち、特に面白そうなものは、以下の通り。
#7 (p.222-239):喪失の特性を描写する:喪失体験者が、喪失について、その経緯、内容、その人のアイデンティティに与えた影響などを記述して、喪失のプロフィールを描く作業です。回答の指示事項は、次の通りです。
「左のスペースに、主人公の経験した喪失に照らして、主人公(      )(あなたの氏名)の特性を描写して下さい。主人公が本、映画、演劇などの中心人物という前提で書いてください。主人公の最もよい理解者、または彼(彼女)を常に好意的に受け入れている親友になったつもりで記述してください。必ず主語は三人称にしましょう。」
#8 (p.240-246):意味再構成インタビュー:以下の三種類の代表的質問に答えていくものです。
A) 導入質問
「あなたは、どんな死別体験、喪失体験について一番話したいですか?」
「その出来事の直後、あなたが示した反応で覚えているのは、どんなことですか?」
「周囲の人たちは当時、この喪失の出来事に対してどのように反応しましたか? また、その人たちは、あなたの反応にどんな対応をしましたか?」
B) 説明質問
「あなたは、死の意味、喪失の意味を当時どのように理解しようとしましたか?」
「現在、その喪失をどのように理解していますか?」
「その喪失に適応するのに、どんな哲学的ないしは宗教的な信仰が役に立ちましたか?」
C) 詳述質問
「この体験によって、あなたの優先順位の判断基準はどのように変わりましたか?」
「亡くなった人から、またはこの喪失自体から、人を愛することについてどんな学びがありましたか?」
「あなたの人生は、万が一その人が生きていたら、あるいはこの喪失を経験しなかったら、どのように変わっていたと思いますか?」
#17 (p.283-288):届けられることのない手紙を書く:生前の故人に伝えられなかったことを記すのが目的です。この手紙は、グリーフを抱えた人が、人に言えない怒りや罪悪感の重荷を背負っている時に有効です。誰にも気もちを伝えられないでいる人は、故人の死、またそれ以前に経験した間接的な喪失について、感情的にがんじがらめになる傾向があります。手紙を書くシンプルな行為が、心のうちを思いきり開く有効な手段となります。

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