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マンガでわかる がんサバイバル

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マンガでわかるがんサバイバル 小森康永 2018.7.4

 世界の先進国では二人に一人ががんになる時代と言われています。そこで本邦でも、小中高におけるがん教育がいよいよ始まりました。今日は、愛知県の高校の保健主事の先生方にお集まり頂きましたので、生徒たちにがんについて教育する際に、皆さんが念頭に置いて欲しいことをお話ししようと思います。言い換えれば、いつかがんになるかもしれない当事者としてのあなたにも、がん教育をすることになる専門家としてのあなたにも、メリットのある話になればと思うわけです。しかも、タイトルにありますように、マンガでそれができればと思います。

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 今日、実際にがんの治療をしている当センターの医師ではなく、私がここでお話しすることになった理由は、2015年に始めた、家族向けのがん教育にあるかと思います。これは開始と同時に、その6回の講義内容も既に書籍化されていますので、お手にとって頂けるとありがたいです。さて、なぜこのようなことを始めたかはさておき、ここで新たなニードとして浮上したのが、副教材です。あまりしっくりくるものがなかったのですが、ようやく発見したのが『母のがん』というマンガでした。それがどのくらいクオリティの高いものかまずは1コマ、お見せしましょう。

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 医学教育ですから、「画像診断」といきましょう。
 ダメですよ、いきなり、「この人はがん患者で、化学療法で脱毛になっていて、五年生存率の低さを嘆いている」なんて答えたら。「画像診断」ですからね、頭のCTだって、骨から始めて、脳室、実質、皮質って決められた順に読んでいかないと見落とすでしょ、それと同じ。まずは体、心、人間関係、そしてスピリチュアリティの順で読まないと、いいストーリーは浮かびません。

 第一に、体。まさか「泣いています」なんて言わないでくださいね。鼻涙管が詰まっているというのは飛躍のしすぎ、これはがんの治療についての講義ですからね、この人を尼さんだと言わないのと同じです。
 そう、一番の特徴は「脱毛」ですね。これは、化学療法が行われたということです。
 あとは? 「痩せている」 そうですね、首から肩にかけて、普通はそう読む。
 あとは? 「車の中にいる」 そうですね、助手席。アメ車だから、左ハンドルで、右下の四角の中の言葉は、運転席に乗っている人の内面のつぶやきということになります。ふたりの思いがずれているわけだけど、それは、後で。
 あとは? 「顔は左右対称」。だから、ひどい脳転移はなさそうだ。左の眉が上がっているのは、驚きだろうね。シャツが左前だから(ユニセックスでない限り)男物ということになるけど、実は、それは作家の手抜きで、別のページでは右前だったりするから気にしなくていい。この人は女性、しかも60代です。

 次は、いよいよ、心。五年生存率の低さに驚いて、悲しんでいる。涙が溢れているから、これは誰にでもわかる。
 あとは?車内も逆光ではあれ、わざと黒くしてあるのは気持ちの暗さを表現しているのだろうし、窓の風景が水平線なのも、(こんな大切なことを車を走らせながら話すというのはあまりにデリカシーに欠けるのでないとして、停車中の車であれば、車窓の流れる景色ではなく)鬱積した気持ちを表現しているのかもしれません。

 さて、家族。ここで運転席にいるのは長女なのだけど、「まさかこんな反応だとは思わなかった」と感じている。実は、ここからがハイライト。このコマは、実は、ものすごく興味深い。ヒントは、このマンガが、全112ページで、このコマが94ページだということ。つまり、この対話は、(脱毛が示すように)化学療法が終わった時点でなされているということだ。
 ところで、母親の発言「5%ですって?!」は、普通、ステージ分類を教えられ、五年生存率を知らされて(あるいは自分で調べて)すぐの自問であるべきです。つまり、長女にしてみれば、「今更、それはないでしょう」っていう反応なのです。そんないい加減な認識でこれまでどうやって頑張ってこれたの、ってところなのです。一方、患者さんご本人にしてみれば、5%だってことを忘れていたから(あるいは否認できたから)、ここまでもっと高い確率だと信じてやってこれた、ってところかもしれない。何かに基づいて、治療に希望を託すということが、いかにあやふやなものに基づいているかが明確になる対話なんです。こんなに込み入ったやりとりがたった1コマで表現されるなんて、マンガはすごい!と思いませんか? マンガはわかりやすくていいよね、なんて能天気な考えは捨てた方がいいようです。実は、とても深い。
 ところで、がんのステージ分類は、ご存知でしょうか?がんは、初診時にがんがどこまで広がっているかによって、4つに分類されます。ただし、それが説明される時、五年生存率も合わせて知らされるので、ステージが4に近いほど五年生存率が低いことから、それを聞いた人は、まるで、がんのステージ分類は、がん細胞が一つできてから死ぬまでの時間を4つに分けたものだと勘違いすることがほとんどです。つまり、これが時間分類じゃなくて空間分類だということを忘れてしまうのです。となると、ステージ4と言われ、必要以上に不安になるのは当然です。これは、患者さんや家族向けのがん教育の一つの大切なポイントです。

 さて、ようやくスピリチュアル。もちろん「5%ですって!?」ですね。何で私が死ななきゃいけないの?と同義。がん患者が例外なく自問するものです。

 以上、マンガ1コマでこれだけ勉強できるわけです。このマンガ『母のがん』は、この女性の長男であるブライアン・フィース、つまり患者家族によって描かれたものですから、患者家族から学ばせてもらうということでもあります。こういう本が、生徒たちに真面目に読まれるのなら、ことさら授業でやらなくてもいいようにさえ思います。みなさんの中で「夏休みの課題図書」選定に影響力のある方がお見えでしたら、是非とも本書を推薦していただきたい。そして、読書感想文コンクールの入選作文を是非みんなで読めるようにしていただきたい。そうすれば、愛知県はすごいがん教育を実践しているなあと全国的に有名になるはずです。

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 では、次のスライドを見てください。みなさん、「がんサバイバー」という言葉を最近、耳にすることがあるかと思いますが、その概念を提唱したのが、モランさんという小児科医で、これは、それを私が地図にしたものです。もちろん、モランさんご本人からお墨付きを得ています。
 診断後に初期治療が終わるところまでが急性期、そして5年(乳がんは10年ですが)目にようやく「完治」とされる時期までが「延長期」、さらにそれ以後ずっと続くのが「長期安定期」です。これは、この3つの時期に特徴的な身体的、心理的、社会的、スピリチュアルな次元があることを示しています。もちろん誰もがすべての事象を経験するものではなく、その程度も様々であり、どのような道筋をたどるかも人それぞれということになります。
 先ほどのマンガの女性は、初期治療が終わったところですから、急性期の終わりにいて、スピリチュアルな次元としての死の直面化が起こっていたわけです。恐怖も不安も明らかですし、治療によって脱毛となり(女の髪は命ですから)二次的被害まで創造されます。

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 これが、1985年、NEJMに掲載されたモランの「サバイバルという季節」というわずか4ページのエッセイの冒頭です。小児科医のモランはその10年前にニューメキシコの病院に勤務中偶然、自ら縦隔にできた精巣がんを発見し、生検時の大出血で死ぬか生きるかとなりますが、その時の闘病記が『がんサバイバー』として上梓されていますが、日本でも昨年、翻訳が出ました。これも必読本です。

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 これは昨年、モランさんが日本緩和医療学会に招聘され、私たちの緩和ケアチームと晩餐会をした時の写真です。日本語版への序文には、以下のようにがん体験を記しています。「私たちすべてのがんの経験に共通するのは、実際の治療だとか病気の個別的経過、あるいは死か寛解かのどちらかを確信することではなく、まさしくその状況全体の不確実性にある。サバイバーシップは、何よりもまず、不確実な事態であった」

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 では、時間がある限り、『母のがん』で学ぶことができるがんサバイバルの現実を紹介していきましょう。これは、てんかん症状によって転移性脳腫瘍が見つかり、ステージWの肺がんと診断された母親を長男であるコミック作家が看護師である上の妹と高機能障害のある下の妹と協力して、治療をサポートする物語です。ここでは、ストーリーの展開に沿ってではなく、まずはバイオサイコソーシャル・スピリチュアルな次元で読んでいきましょう。ちなみに、本書は2006年にはドイツ語に翻訳されていますが、日本では昨年、私が翻訳をプロデュースしました。その時の興奮は、米国のナース、MKによっても次のようなマンガで示されています。

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「この女性の首から出てるのは中心静脈栄養のカテーテルなのかな?それが、グラフィック・ノベルの表紙?何なんだろう?!」「フィースって、天才!ヘルスケアチームへのなんと洞察に満ちた批判!患者であることをみごとに表現している!他にもこんなのあるんだろうか?」

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(p.53)Bio
 このコマを見てください。「数学の国の母さん」と記されていますが、モランの地図で行けば、急性期の身体的次元の中の「治療」に関連するものです。これこそ文字通り「画像診断」についてです。がん患者は、当該臓器の症状など何も出ていない時期に、化学療法によって吐き気と脱毛、全身倦怠感というつらさを味わうことになります。そして、さて、その成果はいかに、というところで、例えば、半径5センチの球体のがんが半径4センチになっていたとしましょう。そこで、治療者は何と言うべきか? 
 それがここに描かれています。画像診断の3次元性は小学生でも知っているごく当たり前のことですが、あれだけ苦しんだのにたった1センチしか小さくなっていないのだと絶望する本人と家族を前に、治療者には慰めの言葉しかない。それではだめですね。患者家族にはこう言って欲しいのです。半径5センチのがんが4センチになったということは、その体積は、4x4x4/5x5x5=約0.5、つまりがんはだいたい半分になったのです、と。もちろん、これは、その逆の人にはわざわざ言うべきではありません。このような説明を患者にしている腫瘍内科医を少なくとも私は見たことがありません。しかし、このマンガの読者である医療者には、それが言えるわけです。この差は、圧倒的だと思いませんか?

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(p.47)Psycho
 次は、急性期における心理的次元にある「抑うつ」です。これは、抑うつにじっと耐えている母親についての長男の観察です。もっとも鮮やかなのは、その原因を彼女が「考える以外にすることがなくなったからだ」と指摘している点です。認知行動療法的にも正しい見解です。日本では古く、家族や友人が病気の治癒を願って、折り紙でツルを千羽折り、吊るして贈る風習がありました。今でもベッドサイドに時折見られます。もちろん、この千羽鶴が有効だというエビデンスはありません。しかし、これをもしも患者自身が行えば、十分、有効だというエビデンスは得られるでしょう。なぜなら「考える以外にすること」としてツルを折れば、その悪循環を断ち切ることもできるからです。下手な精神療法より当たり前の作業療法、と言ってもいいでしょう。

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(p.63)Social
 実は、この家族の「父親」は母親の再婚相手で、下の妹は二人の娘ですが、長男と長女は前夫との間の子どもであり、ちょっと家族関係が複雑なようです。母親の病状についても長女は一切伝えないという方針を強烈に打ち出します。母親もそれに同意せざるを得ないというところ。長男も仕方なく同意。ところが、父親が息子に電話で「母さんはどうなっているんだ? 電話にも出ないじゃないか!」と言った時、思わず秘密を漏らす。そして翌日、母親が息子に「お父さんと話したわよ」という。「「私がお父さんに電話したの。大人になる時だと思ったの」と。息子は自分が秘密を漏らしたということにならずに胸を撫で下ろす。実際、がんについてどこまで話すかは当事者、家族が大いに悩まれるところです。

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(p.50-52)Spiritual
 がん医療、特に余命が限られてきた時にスピリチュアリティが問題になることが多いようです。元々は、「個人の存在よりもスケールの大きな、より超越的な存在との繋がりを指す」ものでしたが、今では、もっと広げて使われているようです。例えば、米国かかりつけ医協会では「自分の人生において意味や希望、安らぎ、そして内なる平和を見出す方法」としています。
 命の終わりを意識する時には、「体は死んでも物語は死なない」として、思い出を大切な人と共有することも推奨されています。ここに描かれた祖父の作った革細工の鞄がまさにその例でしょう。

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(p.50-52)Spiritual

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(p.88-89)Discourse
 これは死の受容を勧めることへの抵抗を描いたコマです。皮肉をきかせて、悲嘆の五段階に関する通信簿になっています。米国ではキューブラ・ロスによるこの五段階理論は真実とされる傾向が強く、弊害さえ出ているようです。これに合った悲嘆の段階を進んでいない自分はおかしいのではないかと自分を責める人が多いわけです。つまり、この仮説が世の中の規範となって、人々を苦しめているということ。
 それに対して、息子は反旗を翻します。「いったい誰がこんなことを決める権利があるのだろうか?これは母さんの人生だ。彼女こそがエキスパートだ」と。

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(p.55-56)Prevention
 最後に、予防についてのコマを紹介しましょう。多くの人々が、喫煙がかっこいいこととして通過儀礼として、いつのまにか馴染んでいるけれど、結局、最終通過地点は病院なんだと。

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 医学教育にマンガの利用は米国では当たり前のようで、そうした研究論文も沢山あります。これもその一例ですが、単にタバコは体に悪いを教えるだけでなく、どうやってその誘いを断るかまで踏み込んで考えさせています。がん教育が絵に描いた餅に終わらないよう、大切なことだと思います。

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(p.39)
 では、最後に、医者の言動について。多くの人が体験することかもしれません。
 「いつでもすぐに電話して」と言われたので、してみると、必要なかったり、なぜもっと早く連絡しなかったのかと叱られたり。
 こんなことがないことを祈るばかりです。

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 実は、この『母のがん』は単品で素晴らしいだけではなく、医学教育というもっと大きな分野において「グラフィック・メディスン」というマンガと医学のインターフェイスを研究するアプローチの代表作であることもわかってきました。これがそのテキストですが、もうじき訳書がでる予定です。お盆にヒマのある方は、高崎で開催される家族療法学会のワークショップでは、日本で初めてのGMのワークショップを行いますので、興味のある方はぜひご参加ください。

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 この講義でのマンガの使用は著者ブライアン・フィースの快諾を得ています。是非とも、彼の『母のがん』をお読みください。

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 漫画ならではの秀逸なレトリックを示すコマを3枚。
(p.18)
 医療場面特有のやりとりの命令的で診断的な感触をいかに表現しているかに目を向けてみよう。母親に対する神経学的検査がきっちり1ページで示されており、言語で語られることの通時的な流れを伴いつつも、そこにはイメージが共時的に配置されている。そして結果的に読者の注意は、診断するという隔たりのある位置から、共感へと引き寄せられる。  
 5つのコマの3段組みにおいて黒・白・グレーの背景を交互に示すことは、規則正しく連続して起こる神経学的検査の身体的体験を表している。それぞれのコマには、指示とそれに関連する母親の身体部分、そして時に医療者の手が描かれる。  
 「押して」「引いて」「聞いて」は心の中にいつまでも留まり、それに動かされつつたどりつく「感じて」で一体となり心をつかむ。その最後の指示とともに、快適とはいえない侵襲、バラバラにされた連続性、医療者になんとかついていこうと努める母親の行為といったことが、母親のからだも医師の手も見えない完全に暗転したコマにゆだねられている。そしてそれに代わるように、これを読みその行為を内面化するにしたがって、「感じて」という指示は、皮肉にも共鳴的な二重の意味を帯びて読み手である私たちを患者である母親に結びつける。   
 『グラフィック・メディスン・マニフェスト』第2章より

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(p.1)

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(p.86,87)
MJ Green: Graphic medicine: use of comics in medical education and patient care. BMJ 2010;340:c863 より。 Graphic stories, or adult themed comics, are a popular new cultural trend. Michael J Green and Kimberly R Myers argue that they are also a valuable tool for medicine.

Mom's Cancer similarly accomplishes some- thing that is almost impossible to do with pure text: the representation of a conversation along with the hidden, unspoken meaning behind the words. Depicting a telephone call between himself and his stepfather, Fies reveals in each of eight panels both the spoken conversation and the unspoken subtext of what those words really mean (told in separate boxes below each illustration). In this ingenious way, the reader simultaneously has access to both words and thoughts of the characters, illustrating that what we say is not always what we mean (fig 2).

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