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環境中のヒ素

ヒ素(元素記号As)は、地殻中に広く分布し、火山活動などにより自然に、また鉱石・化石燃料の採掘や産業活動に伴って人為的に環境に放出されます。環境中に放出されたヒ素は、大気、水、土壌と生物圏を循環するため、あらゆる生物がヒ素を含有しています。地殻中では銅、鉛、鉄などの金属と一緒に3価の原子化状態で存在していることが多く、土壌や水中では酸化されて5価で存在しているといわれています。ただし、酸素が少ない状態、例えば井戸水や海水でも深いところでは還元されて3価になります。火山性の温泉ではヒ素濃度が高い場合があり、またインド、バングラデシュ、中国などでは、地下水に高濃度のヒ素が含まれている地域があります。生物系の中では海の生物に高い濃度のヒ素が含まれていることが知られています。海水には約2ppb(ppb:1mL中に10億分の1gを表す単位)のヒ素が溶け込んでおり、プランクトンや藻類は海水から無機ヒ素を取り込み、蓄積します。これらを上位生物が摂取する食物連鎖による生物濃縮の結果、魚介類でのヒ素濃度はppm(ppm:ppbの1000倍の単位)のレベルになります。海の魚介類の生体内で、無機ヒ素は代謝されてアルセノベタイン(図)を主とする有機化合物として存在します。一方、ヒジキやワカメといった海藻では無機と有機の両方の化学形態で存在し、その割合は海藻の種類によって異なります。

ヒ素の利用

わが国において、ヒ素は平成10年の毒物混入カレー事件や昭和30年のヒ素ミルク事件といった甚大な被害を惹き起こしたことで知られる元素ですが、古くからその毒性を利用して、農薬や殺鼠剤、木材の防腐等を目的に使用されてきました。昭和20〜30年代前半にはこれらを誤って食品に混入した食中毒の事例が各地で散見されました。一方、ヒ素は他の元素と結合すると高性能な半導体として機能することから近年用途が広がり、発光ダイオードの高輝度化や携帯電話での画像伝達を実現したガリウム・ヒ素半導体、レーザープリンターやコピー機の感光体ガラス材料としてのセレン・ヒ素半導体など身近なところで使用されています。

毒性

ヒ素の毒性は、その化学形態によって異なります。自然界に存在するヒ素化合物(図)を大きく無機ヒ素と有機ヒ素に、さらに無機ヒ素を3価と5価に分類すると、一般的にその毒性は、無機ヒ素(3価)>無機ヒ素(5価)>有機ヒ素となります。化学物質安全性データブックによれば、ラットを用いた動物実験で、経口投与におけるLD50(50%が死亡する量)は、無機(3価)化合物の亜ヒ酸;14.6mg/kg、無機(5価)化合物のヒ酸;48mg/kg、有機ヒ素化合物のジメチルアルシン酸;644mg/kgです。

主なヒ素化合物の構造式

アルセノベタインについてはほとんど毒性がないと考えられます。過去の事例から急性ヒ素中毒の原因のほとんどは無機ヒ素を経口的に摂取して起こっており、先のカレー事件の中毒患者における三酸化二ヒ素(亜ヒ酸)の推定摂取量は20〜120mgです。さまざまな事例より無機ヒ素の致死量は、体重1kgにつき2〜3mg、成人では100〜300mgとされています。ヒ素の毒性発現は、生体内タンパクのSH基とヒ素が結合する結果さまざまな酵素活性を阻害することにより起こります。急性毒性の初期症状は、悪心、嘔吐、腹痛、下痢、血圧低下等で、数日後から肝機能障害、2〜3週間後から四肢の感覚異常が認められます。慢性ヒ素中毒の主な症状は、腹部や全身に認められる色素沈着と脱色、次いで手掌や足底が角化するなどの皮膚病変や末梢神経障害、皮膚がん発生等です。

吸収・代謝・排泄

ヒト生体におけるヒ素化合物の取り込みは通常消化管や呼吸器から行われ、このうち主な経路である消化管からの吸収率は、化合物の水への溶解性に左右されます。水溶性の化合物では90%が消化管から吸収され、溶解性の低いものは吸収されずに便として排泄されます。吸収されたヒ素の一部は肝臓、腎臓、肺、脾臓、皮膚、毛髪などに蓄積されますが、大部分が比較的速やかに尿中へ排泄されます。有機ヒ素の生物学的半減期(体内に取り込まれたヒ素が半分に減少するのに必要な時間)は5〜6時間とかなり短く、一方の無機ヒ素も、3価または5価の無機ヒ素として、また一部は肝臓においてメチル化もしくはジメチル化(有機化)されて排泄されます(生物学的半減期:28時間)。一日の無機ヒ素摂取量が0.5mgを越えると肝臓でメチル化する能力が飽和してしまうと報告されていますが、0.5mgという値は過去の中毒事例の検証から、汚染飲料水などを介して数年以上にわたって無機ヒ素が摂取された場合に慢性毒性を惹き起こすとされる一日摂取量と一致します。

また呼吸器を介する摂取には、労働環境にヒ素が存在する場合などが考えられますが、粒子の大きさや化学形態、溶解度などにより複雑に変化します。一般的に物質の粒子が6μm以上では鼻咽腔に沈着し、それ以下の粒子では肺に沈着します。気道に付着した化合物の一部は嚥下により消化管に入ります。肺からのヒ素の吸収については、メチル化合物は速やかですが、3価の無機ヒ素は吸収されにくく、水への溶解性の低い化合物では肺組織に長期間滞留するなどの実験結果が報告されています。

摂取量について

ヒ素摂取量の目安として、JECFA(FAO/WHO合同食品添加物専門家会議)が定めたPTWI(暫定耐容週間摂取量);[無機ヒ素として15μg/kg体重/週]という値があります。PTWIは、一生涯摂取し続けても健康影響が現れないとされる体重1kgあたりの週間摂取量です。日本の水道法で定められているヒ素の水質基準値0.01mg/LもPTWIを基に算出されており、諸外国の水質基準も同様の値です。水源によってはヒ素を含有するものもありますが、水道統計によると平成15年度における日本の水道水5739地点での測定結果において、基準値を超過したものはありませんでした。

2004年に英国食糧規格庁(FSA)は海藻のヒジキに無機ヒ素が大量に含まれているという調査結果に基づいてヒジキを食べないよう国民に勧告しました。世界的にみて日本人の海産物摂取量は多く、中でも有機ヒ素だけでなく無機ヒ素も含有している海藻類はヒ素摂取源として最も重要な食品です。特にヒジキは無機ヒ素の含有割合が高いことが分かっています。厚生労働省によると、先に示した無機ヒ素のPTWIを体重50kgの人の一日量に換算すると107μg(=0.107mg)となり、これはFSAが調査した中で最もヒ素含有量が高いヒジキの4.7gに相当します。日本人のヒジキ摂取量は、一日およそ0.9gであり、平均的な食生活であれば生体への影響はほとんどないと考えられます。

参考図書

糸川嘉則:ミネラルの事典:初版、p.389-396、朝倉書店、2003

石西伸、岡部史郎、菊池武昭監修:ヒ素−化学・代謝・毒性、恒星社厚生閣、1985

真柄泰基、金子光美監訳: WHO飲用水水質ガイドライン(第2版)、p.143-153、

社)日本水道協会、1999

(衛生化学部生活科学研究室)

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