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愛知県議会の歴史
議会の制度
議場(大正末期)
愛知県会は、国会(帝国議会)より10年以上も前の明治12年5月10日に開設されました。黎明期の段階を経て、まず、明治25年の府県制の実施により三部経済制度の廃止、常置委員制度から参事会制度への移行など大きく変化し、明治32年の府県制改正により、選挙制度の改革と併せて議決機関としての規定が整備されました。
また、初めての選挙時にはその資格が厳しく限定されていた選挙権・被選挙権の範囲も、大正デモクラシー等の影響を受けて徐々に拡大し、昭和2年には男子普通選挙が実現しています。
第二次世界大戦後は、男女平等の普通選挙が実現し、また、昭和22年の地方自治法施行により、議決権の拡大、委員会制度の法制化など、地方議会についても権限の大幅な強化が図られました。その後も、何度かの法改正が行われましたが、昭和31年地方自治法の改正に伴って、定例会を年4回とし、8常任委員会を設置する関係条例や会議規則が制定され、現在の議会のしくみがほぼ完成しました。
「三部経済制度」
三部経済制度は、県予算を名古屋とその他の郡部及び連帯支弁(共通経費)の3つに区分するもので、県会もそれぞれに分かれて予算の審議に当たりました。「常置委員制度」
明治13年の府県会規則改正に伴い設置された制度で、地方税支弁事業の執行方法について県令(後の県知事)の諮問を受け、意見を述べる等の権限を有し、本県では6名の議員で構成されていました。「参事会制度」
県会議員から選出される名誉参事会員と知事等で構成され、急施事件の議決等の権限を有し、副議決機関としての性格を帯びていました。 この制度は、地方自治法が施行されるまで存続しました。議事堂の移り変わり
東本願寺名古屋別院
明治12年5月10日に開設された愛知県会は、東本願寺の名古屋別院の庫裏で議会が行われました。
南武平町 議事堂
明治15年、名古屋区南久屋町(現在の地下鉄久屋大通駅南)に県庁舎と並んで初めての愛知県会議事堂が建築されました。その後、明治34年には、南武平町(現在の地下鉄栄駅東)に移った県庁舎の西隣に新たに建築されました。
愛知県本庁舎議事堂正面
昭和13年に、現在の愛知県本庁舎が新築完成し、議事堂はその2・3階の中央に置かれました。
現愛知県議会議事堂
本庁舎内の議事堂も、時代と共に手ぜまとなったので、昭和50年5月に、本庁舎東に現在の愛知県議会議事堂が完成しました。
お問い合わせ
議会事務局 調査課 電話 052(954)6742