知事の記者会見
メインメニュー
知事のマニフェスト 知事の発言・寄稿 知事記者会見 県議会知事提案説明 知事からのメッセージ 知事交際費の執行状況 プロフィール トップページ 写真で見る主な活動


平成30年1月9日(火) 午前10時

1 知事発言
(1)豊田達郎氏及び星野仙一氏の訃報について
 おはようございます。1月9日、今年2回目のですね、定例会見を始めさせていただきたいと思います。
 この先週末にですね、私どもも大変御指導いただいた、お世話になった方お二方のですね、訃報が届きましたので、そのことについて申し上げたいと思います。
 まずはですね、トヨタ自動車元社長の豊田達郎さんでございます。
 豊田達郎様におかれましては、トヨタ自動車社長をお務めになり、日本自動車工業会の会長もお務めになりました。途中、体調をね、崩されたわけでありますが、私も国会議員の折、度々とお会いをし、御指導もいただきました。まさにですね、トヨタ自動車きっての国際派として、日米自動車摩擦の解消、それからまた中国への進出に先べんをつけられたということでございます。心から御冥福をお祈りを申し上げたいというふうに思います。
 また後日お別れの会があろうかと思いますが、そちらの方には必ず出席をさせていただければというふうに思っております。心から御冥福をお祈り申し上げます。
 そしてもう一方は、1月4日に亡くなられた元中日ドラゴンズ監督のですね、星野仙一さんでございます。
 星野さんとは、国会議員時代からもですね、人を介しまして時々お会いをさせていただきましたが、もちろん知事になってからの方がですね、毎年シーズン前、そしてシーズン中もですね、名古屋に来られた折には度々お会いをする機会がありまして、御一緒する機会がありました。まさにですね、愛知・名古屋をね、明るく照らす、元気にする太陽のような方であったというふうに思っております。そういう意味では、こんなに早くね、お亡くなりになるということをお聞きをして、本当に残念でなりません。
 また再びね、再びドラゴンズのね、ユニフォームを着て、着るというのは難しいかもしれませんが、ドラゴンズの関係のですね、立場で、また、是非ね、また愛知・名古屋、そしてまたドラゴンズをね、大いに盛り上げていただける機会があると、私はそう思っておりましたんで、そういう意味で残念でならないということでございます。
 とにかく本当に盛り上げていただいたんで、引っ張っていただいたということに心から感謝を申し上げたいというふうに思います。心から御冥福をお祈りを申し上げたいと思います。

(2)愛知県精神医療センターの全面オープンについて
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/byoin-kanri/300109soumu.html
 愛知県精神医療センターの全面オープンについてであります。
 愛知県の精神科医療の中核的な役割を担ってまいりました旧愛知県立城山病院が、病棟が築50年以上が経過するなど、建物の老朽化が進んだため、平成26年2月から全面建て替え工事を実施してまいりました。平成28年2月には一部オープンをし、その際、名称を愛知県精神医療センターに変更いたしました。そして、この度、全ての建物が完成し、来月2月1日に全面オープンの運びとなりました。
 記者発表資料の左上のイメージ図にありますようにですね、新たな施設は五つの棟で構成されておりまして、各建物の内容は、施設の概要の(3)というところでございます。御覧をいただければと思います。
 既にオープンをしている西棟では、平成28年2月に精神科救急に対応する病棟を整備をいたしまして、救急患者の受け入れ態勢を強化をしたところであります。
 また、南棟は、平成28年9月に医療観察法に対応する病棟の運用を開始をして、国の要請に基づいて、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った精神障害者に対する入院医療の提供を開始をいたしております。
 この西棟、南棟はもう既にオープン、そして外来棟も既にオープン。三つは既に平成28年、2年前にオープンをしておりますが、今回はですね、この東棟と北棟を新たにオープンするというものでございます。
 今回オープンする東棟では、19歳以下の児童青年期の患者や発達障害のある成人患者など、民間病院では対応が困難な患者さんに対する専門医療を提供することといたしております。特に、児童青年期の患者に対しましては、北棟に新たに立ち上げる児童青年期専用のデイケアによりまして、外来、入院から退院後も一貫した対応を可能といたしております。
 まず、この成人発達障害対応ということでありますが、これはですね、通常、成人の発達障害の診断はですね、普通、大体外来で行うと1か月かかるわけでございます。最初初診に五・六時間かかりまして、その後、何回か通っていただいて、ソーシャルワーカーの相談、各種検査、頭部のCTとか血液検査、脳波検査、心電図等々やり、心理テストなどを全部やりますと、大体1か月を要するわけでありますが、今回4床、ベッドを四つ今回作りますので、そこで入院をしていただきますと、大体おおむね12日で診断結果を告知することが可能になるということでございます。1か月を12日ということになりますので、患者さんの御負担を相当和らげることができるということでございます。これを今回のこの東棟でやるということ。これが新機能ということですね。児童青年期対応と成人発達障害対応、重症対応が東棟。
 それから、北棟は、体育館と児童青年期のデイケアでありますが、この児童青年期のデイケアというこの新機能は、スポーツやレクリエーション、それから創作活動や料理といった集団活動や個人活動のほか、学習プログラムなど特色のあるデイケアを提供するために、月曜日から土曜日まで、毎日、午前・午後にですね、それぞれ3本のプログラムを設定をしてまいります。それぞれの子どもたちの状況に応じたプログラムを組んで、医師、看護師、作業療法士、臨床心理士、ソーシャルワーカーなどの多職種でこういったデイケアをですね、対応する。現在の見込みでは、約50人ぐらいがここに在籍をして利用していただけるのではないかというふうに思っております。そういった新たな機能を付加したものを今回オープンをするということでございます。よろしくお願いを申し上げたいと思います。
 特に、児童青年期の患者に対しては、北棟に立ち上げる児童青年期専用のデイケアによって、外来、入院から退院後も一貫した対応を可能にすると。外来、入院から退院した後も一貫して対応できるということでございます。
 そしてまた、2ページ目のですね、(4)のイの後段にありますように、今回の全面オープンに際しまして、本県の休日・夜間の精神科救急医療体制における後方支援病床を3床から5床に増やしてですね、体制の強化を図っていくということでございます。これは、精神科救急の対応を強化するということで、後方支援病床、あけてる病床ね、3床、いつでもいいよというのを3床確保するのを5床に増やすということで、救急に対応するということでございます。
 そして2、改築後の建物は、「施設の特色と病床数」の写真にありますように、患者さんの療養環境に配慮して、自然光が多く入る設計で、室内の壁、床も明るい色を使用し、温かみのあるデザインといたしました。また、落ち着いて治療を受けていただけるよう、個室、保護室を大幅に増やしております。
 さらに、民間病院との機能分担や長期入院患者の地域移行推進の観点から、病床数は改築前の342床から273床に削減をいたしますが、上の(4)のウにありますようにですね、退院された患者が地域で安心して生活できるように、多職種で構成するACT(Assertive Community Treatment)ということで、包括的地域生活支援プログラムのチームによる訪問支援の取組を引き続き推進をしていくということにいたしております。
 要は、入院からですね、地域へということが今のこの流れといいますかね、方向でございますのでですね、地域で、やっぱり入院医療中心から地域生活中心へ、これは障害者の福祉等とも同じでございますが、精神保健福祉におきましても、病院医療、入院から地域移行へという形で、こうした形で進めていくということで。ですから、入院の病床数もですね、民間病床、民間病院との兼ね合いもあり、今回は県立病院としては、これは削減をし、できるだけ地域移行していく。そのかわり、訪問での、訪問支援を充実をしていくという形で進めてまいります。
 これはですね、もう既に、この精神医療センターでは、平成27年度からですね、2年前から、医師、看護師、精神保健福祉士などの多職種のACTチームが、患者さんを訪問し、医療支援サービスや地域での福祉サービス、また生活支援等を一体的に実施をしております。引き続きそうした活動を充実をさせていくということでございます。
 この内覧会はですね、1月20日土曜日にですね、こうした形で東棟、北棟の内覧会を開催をいたします。
 また、報道機関の皆さんの取材につきましては、上記の日時にかかわらず、随時受付をいたしますので、またよろしくお願いを申し上げたいというふうに思っております。
 なお、今回、この城山病院の全面新築ですね、愛知県精神医療センターの全面オープンにつきましてはですね、かかる予算は、前期工事のですね、2年前にオープンした外来棟、西棟、南棟で70億円、後期工事の東棟、北棟、あと外構工事をこの後やりますが、で35億円、全部で105億円ということでございます。
 外構工事と解体工事は、この後も引き続きやりますので、今年の8月に全部完成するということで、平成26年度からかかりましたので、平成26・27・28・29・30年、5年間かかった大事業であったということでございます。
 ちなみに、先ほど築50年以上と言いましたけど、一番古かった建物は、中病棟というのが昭和33年9月なので、これで57年でございますか。南病棟は34年9月なので56年ということで、長年の懸案にけりがつけられたというふうに思っております。
 これ必ず必要な、特に医療観察法病棟はですね、法律で義務づけられて、重大な他害行為を行ったその精神の患者さんを治療するということで、各県で必要な病床数の確保をですね、要請されております。そういう意味では、こういう形で整備をすることができたということは大変有り難いことだと思っております。また愛知県の精神保健福祉のですね、向上に向けて、またしっかりと取り組んでいきたいと思います。

(3)「子どもが輝く未来に向けたシンポジウム」の開催について
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/chiikifukushi/29symposium.html
 「子どもが輝く未来に向けたシンポジウム」の開催についてであります。
 子どもの貧困問題につきまして、県民の皆様に御理解いただき、私たち周りの大人がこれから何をなすべきかを一緒に考える機会とするため、今月30日火曜日に名古屋市東区のウィルあいちにおきまして、「子どもが輝く未来に向けたシンポジウム」を開催をいたします。
 県では、経済的に困窮している家庭における子どもたちの生活実態や様々な課題を把握し、実効性のある子どもの貧困対策を検討するため、平成28年12月に「愛知子ども調査」を県内全域で実施をし、その調査結果を受けて、昨年9月に有識者による「愛知県子どもの貧困対策検討会議」から「子どもが輝く未来に向けた提言」を私自らいただいたところであります。
 この提言を道しるべといたしまして、現在、子どもの貧困対策推進プロジェクトチームにおきまして、具体的な施策、今後のロードマップを検討しているところでありますが、こうした事業を推進していくためには、まずは何よりも県民の皆様に子どもの貧困問題について御理解いただくことが重要でありますことから、県主催のシンポジウムを開催することといたしました。
 シンポジウムでは、記者発表資料の「6内容」にございますように、「愛知県子どもの貧困対策検討会議」の座長を務めていただきました日本福祉大学の後藤澄江教授を講師に迎え、「愛知子ども調査」の概要と「子どもが輝く未来に向けた提言」の概要について基調講演を行っていただきます。
 また、京都市で生活困窮世帯への様々な支援を実践されている「山科醍醐こどものひろば」の村井琢哉理事長を講師に迎え、子どもの貧困に対して、周りの大人に何ができるかについて、記念講演を行っていただきます。
 講演の後は、パネルディスカッションを行います。「愛知県子どもの貧困対策検討会議」構成員の日本福祉大学の中村強士准教授をコーディネーターに、3名のパネリストをお迎えをし、全ての人の身近に子どもの貧困があることに気づき、支えていくためにはどうすれば良いかを考える機会としていただきたいと思っております。
 私も開会の挨拶に参りまして、子どもの貧困対策の推進に向けたメッセージをお伝えしたいと思います。定員は700名、参加無料であります。本日から今月19日金曜日まで申込みを受け付けておりますので、是非皆様、お誘い合わせの上、御参加をいただきますようにお願いを申し上げたいというふうに思っております。
 「愛知子ども調査」による貧困率は、ちょうど1年前実施をいたしました。5.9パーセントということで、国民生活基礎調査による全国値13.9パーセントに比べてかなり低くなっておりますけれども、それでも、県内で7万人以上の子どもが全国の一般的な世帯の半分以下の所得で暮らしていると推計をされるわけであります。そうした問題をしっかりとですね、これは認識をしていただきたいということで、こういうシンポジウムをやります。
 なお、おさらい的に申し上げますと、日本における「子どもの貧困」というのは、食べることに苦労するとかそういうことじゃなくてね、日本における「子どもの貧困」というのは、食べ物や住むところに困るような状態ではなくて、経済的な理由により子どもたちの成長に影響を及ぼしたり、子どもたちが希望する進路を選ぶことができないような状態を指すということになっております。食べるところ、住むところがないということは、もう今日本にはないので、そうではなくて、経済的な理由により成長に影響が及ぶ、また希望する進路を選べないというような状態を指しております。
 それを受けて、我々としてはですね、この貧困の連鎖を断つということが大事であります。したがって、教育の支援、学習支援はもちろんのこと、成育環境の整備、きめ細かな支援体制の充実が必要だということでありますので、それを多くの方に認識をしていただくために、こういうシンポジウムを開くということでございます。
 資料の2ページにありますようにですね、基調講演後藤澄江先生、記念講演村井琢哉理事長、パネルディスカッションは中村強士先生をコーディネーターとして、パネリストお三方ということでございます。
 このお三方がどういう方かといいますと、杉原里子さんは、愛知県立刈谷東高校を拠点とした県立高校と、春日井市内の小・中学校で、スクールソーシャルワーカーとして御活躍されている方。貧困やいじめ、不登校など、様々な課題を抱える子どもへの支援をされている、実際にそういった活動、仕事に取り組んでいる方でございます。
 それから2人目の白上昌子さんはですね、「特定非営利活動法人アスクネット」の代表理事でありまして、高浜市と大府市から生活困窮世帯の子どもの学習支援を受託をして、学習支援やキャリア教育などの取組をされておられる方であります。
 3人目の山崎正信さんは、日進市で「いきいき塾NPO絆」の代表理事として、子ども食堂の実践や高齢者・障害者への支援に取り組むとともに、「あいち子ども食堂ネットワーク」の共同代表として、県内の子ども食堂間の連携や学習交流などに活躍をされておられる方であります。
 実際に子どもたちの身近で支援をされているお三方に、どういったことに気づけばいいのか、どういった支援を心掛けているのかをお話をいただいて、私たち大人に何ができるかを考えるきっかけとしていただければというふうに思っておりますので、よろしくお願いをいたします。
 私から以上です。

2 質疑応答
(1)星野仙一氏の訃報について
【質問】 星野仙一氏の訃報について、星野氏のプレースタイルや監督としての思い出、また知事との交流の中でのエピソードなど教えてください。        
【知事】 もちろんですね、星野さんは中日ドラゴンズのエースとしてですね、私が子供の時代はまさにプロ野球の大スターでありました。中日の20年ぶりの優勝の時、私中学生でしたけど、大変感動したことを覚えております。
 その後もね、やっぱり中日のエースとして大活躍をされた雄姿がね、本当に目に焼きついております。もちろん子供のときにね、そんな、お会いするような機会はありませんでしたが、大変そのプレースタイルね、闘志が前面に出てくるようなね、プレースタイル、まさにね、中日ドラゴンズを支えた大エース、中日ドラゴンズに君臨した大エースということではなかったでしょうか。
 そして、その後ですね、解説者等々を経て知名度が全国区になった後ね、監督として、ドラゴンズの監督で2回優勝、それから阪神の監督でも優勝、楽天でも優勝ということで、監督、指導者としても本当に手腕を発揮された方だったと思います。
 そういう意味ではね、いつもいつもこの愛知、東海地域ね、この中部地域を本当に盛り上げていただいた。何というかね、名古屋・愛知を代表するスポーツ選手、代表するスターだったと。戦後名古屋が生んだ最大のスターだったと言っても、私は過言ではないと思います。
 そういう方とね、御縁があって国会議員になってから何回かお会いできるようになりましたし、また、特に私が知事になってからね、やはり愛知の知事として、様々にお会いする機会が年に何回かありましてね。
 でも、この七・八年お会いしたときはね、もう何ていうんでしょうね、もちろん楽天の監督で現役で優勝されてね、優勝祝賀会も我々やりましたけどね、お祝い会もやりましたが、まあ何ていうか、昔の何かああいう闘志あふれる雰囲気じゃなく、もう好々爺(こうこうや)としてね、要は指導者として本当に練れたという感じでね。まあ我々とやってるときですからあれですけど、温和で温厚でね、いろんなことに精通されてね、もうあの時はこうだったとか、この時はこうだったとか、いろんなね、その内幕話も聞かせていただいてね、楽しい思いがいたしました。
 ただ、やっぱり言っておられたのはね、やっぱり中日の監督として2回指導し、阪神でもそう、楽天でもそうですけど、なかなか、何て言いますか、チームの再建をね、立て直していく。要は、はっきり言って負け癖がついてるチームをですね、特に勝利への執念に足らないようなチームをどう立て直していくか、どういうふうにモチベーションを上げていくか、もう一回、何て言いますかね、目標設定をして、目標をきちっと設定をして、そこに到達するまでにどういう手順を踏んでいかなきゃいけないのか、それをこう持っていくことについて本当に苦労したというか、苦労されたというお話をね、たくさんいただきましてね。それは我々の仕事にも共通するもんがありますので。
 そういう意味では、私は、大スターだった選手時代もまぶたに焼きついていますが、直接御指導いただいた監督、それも日本代表監督もされましたしね。そりゃあれじゃないでしょうか、戦後プロ野球が生んだ大監督、もうそりゃ五本の指に入る大監督の一人であることは間違いありませんよね。
 大監督としてもその苦労話というか、こういうふうに持ってったんだというか、その実際の体験談をね、直接何度も何度もお聞きする機会があってね、本当にそういう意味で私は親しく御指導いただいたというふうに思っております。
 私とのあれっていうのは、本当に何かこうざっくばらんに、率直に何か、何だろう、にこにこして温和でね、本当に温厚で温和な星野さんしかね、私は直接は拝見しておりませんが、何て言うんだろう、こういうそれまでに経験されたことの蓄積ってのは、もう本当に人間の幅というか、人間の幅の大きさというか、人間の大きさというのは、何か直接本当にひしひし感じられるようなね、そういう方だったと思います。
 ですから、ちょうど70歳ということでね、早過ぎる御逝去でね、本当に残念でなりません。もう一度、また繰り返しになりますけれども、もう一回ね、やっぱり我々としてはね、もう一回中日ドラゴンズ、中日球団という指導者はもちろんですけども、ドラゴンズのユニフォーム着てね、もう一回ナゴヤドームでね、采配振るってほしかったなと。1年で良かったのでね、1年でも良かったから、もうとにかく、もう一回ドラゴンズのユニフォームに袖通してね、采配するね、雄姿を見てみたかったなと、改めてそう思いました。