知事の記者会見
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平成30年8月13日(月) 午前10時
1 知事発言
(1)熱中症による救急搬送者数について
 それでは、皆さん、おはようございます。8月13日月曜日、お盆でございますが、役所はカレンダーどおりということでございますので、定例会見をですね、10時でありますので行わせていただきます。
 まだ連日暑い日が続いておりますので、お気を付けをいただきたいと思いますが、大分、この暑い暑いというのがですね、行き渡ってきまして、先週1週間、8月6日から12日までで熱中症で救急搬送された方は585人。その1週間前が、7月30日から8月5日が938人ということでございまして、7月中はその倍ぐらい搬送されておりましたので、少し救急搬送の方は落ちついてきたかなと思いますが、それでも、先週熱中症で2人の方がお亡くなりになっておりまして。これで、この夏、熱中症でお亡くなりになられた方は愛知県で14名、救急搬送された方は5,780名。去年の今の時期が2,374名でありますので、これはですね、やはり異常な数値だと思います。是非、この暑い夏をですね、御無理なさらないように、涼しいところ、クールシェアを行いながらですね、お過ごしをいただきたいと思います。
 改めてね、ちょうどお盆時なので外に出る機会が多いかと思いますが、是非、お気を付けをいただきたいということを申し上げたいと思います。

(2)杉原千畝顕彰施設の名称、展示内容等の決定について
(http://www.pref.aichi.jp/soshiki/kyoiku-kikaku/name-of-memorial.html)

 杉原千畝顕彰施設の名称と展示内容の決定について申し上げたいと思います。
 愛知県では、第二次大戦中、ユダヤ人難民に日本通過ビザを発給し、多くの命を救った杉原千畝氏の人道的功績を後世に語り伝えていくため、杉原千畝氏の母校であります旧制第五中学、現在の県立瑞陵高校におきまして、顕彰施設の整備を進めてまいりました。この度、施設名称と展示内容の詳細が決定しましたので、お知らせをいたします。
 まずはですね、記者発表資料の1ページを御覧をいただきたいと思います。1として施設名称の決定であります。
 この名称につきましては、Webページ等で今年の6月12日から7月3日まで募集したところ、高校生、保護者、同窓生等から95件の応募がありまして、御提案いただいた中から1点を選定をいたしました。それが、「センポ・スギハラ・メモリアル」ということにいたしました。これはですね、杉原さん御自身がリトアニア領事代理時代に自分の名前を音読みして「センポ」と言っておられたことなどを踏まえ、この名称とすることに決定したものであります
 なお、実際に展示もいたしますが、戦後ですね、友人に送った、海外から、モスクワから送ったはがきにも「センポ・スギハラ」という署名もあるということから、「センポ・スギハラ・メモリアル」という形にいたしました。
 そして、2ページを御覧いただきたいと思います。施設概要についてであります。
 現在、瑞陵高校の正門西側に展示施設の整備を進めております。この施設には主な展示内容を音声で案内する「音声ガイドシステム」を導入するということでありまして、スマホでですね、展示パネルのQRコードをかざしていただきますと、日本語、英語の音声解説を聞くことができるということを、システムを入れたいというふうに思っております。
 総事業費は、この平成29・30年度の2か年度で1億1,400万円、広さは475平方メートルということでございます。ポケットパークの屋外型の展示施設ということでございます。
 そして、主な展示内容につきましては、後ほどですね、ちょっと大部でございますが別冊で御説明をいたします。四つのゾーンになっております。
 屋外型のこうした施設で、後で御覧いただければと思いますが、これだけ内容の濃いものを展示するのは多分初めて、日本では初めて、他に無いのではないかというふうに思っておりますが、しっかりと最後の仕上げをしていきたいと思います。
 そして、完成記念式典、記念レセプションでございますが、3ページでございます。
 完成記念式典は、10月12日の金曜日の午後2時30分から4時まで、瑞陵高校で開催いたします。その後ですね、記念レセプションも開催いたします。当日の日程は、ここに書いてありますが、まずは、12時30分から1時間、生徒向けの記念講演、講師は調整中であります。2時30分にオープニングセレモニー、テープカット、それから3時から4時に記念式典、これは高校の体育館で行います。
 記念式典は、御来賓、瑞陵高校の全校生徒、教職員も参加をし、総勢1,400名の参加を見込んでおります。記念レセプションは、御来賓を中心に150名ほどの方々に御出席をいただきたいと思います。
 日程の概要は、今、申し上げた記念講演、それからテープカット、記念式典ということでございます。
 以上がですね、この発表の資料でございますが、それでは内容をですね、御覧をいただきたいと思います。お手元にあります大部の資料でございます。御覧をいただきたいと思います。それぞれに説明をさせていただきます。
 まずですね、前は4月にですね、同じような内容のものを発表させていただきまして、その折はですね、ブロンズ像をこういうふうに作っております。ブロンズ像の、粘土で作った模型といいますかね、彫像ですね、をできたということでお示しをいたしましたが、今回は、その施設内容全般がこれで確定をしたと。これで今、制作しているということで御説明をさせていただきたいと思います。
 まず、1ページはその施設概要でありまして、趣旨、概要、それから展示内容ということで、「決断と希望」、「運命のビザ」ゾーン、それから「杉原千畝の生涯」ゾーン、それから「歴史と年譜」ゾーンということで、四つのゾーンに分けて展示をいたしております。
 それから、2ページを御覧いただきたいと思います。施設全体の俯瞰(ふかん)図でございます。
 こういった形のポケットパークでございます。今、木をですね、こうした桜だとか木の緑をね、生かしながら壁を作り、その壁にパネルを展示をするということで整備をしていきたいと思います。そして、施設内の見学スペースを確保するため、オリーブの木、これはイスラエルの大使から寄贈いただいたオリーブの木の位置を、展示壁の正面から施設の南側に移したということでございます。
 3ページを御覧をいただきたいと思います。展示の配置図。四つのゾーンをこのようにですね、分けて配置をいたしております。メイン展示となる「決断と希望」ゾーン、@でございますが、ここが一番のメインで、ここにブロンズ像がありまして、その後ろにビザリストも展示をいたしますが、この@ゾーン。それからAの「運命のビザ」ゾーン、それからB「杉原千畝の生涯」ゾーン、そしてC「歴史と年譜」ゾーンの四つのゾーンに分かれまして、国内外から集めた歴史的資料を展示をし、杉原氏の人道的行為の全容、そして当時のユダヤ人難民の状況など、ここに来れば杉原千畝の全てが分かる施設となります。
 これを全部まとめていくと、相当な研究的な資料になるのではないかと思っておりまして、1時間2時間ではじっくり見たら見られないということだと思っておりますが、そういったものができるということでございます。
 そして、4ページを御覧いただきたいと思います。「決断と希望」ゾーンのイメージ図が4ページ、こういう形になります。ブロンズ像の後ろにビザリストが載っかるということで、「人道主義による決断」というタイトルのこちらにですね、杉原千畝さんの写真等々もあり、そして右側にはこの杉原千畝さんのビザにより命をですね、救われた方々のメッセージ等々もですね、年譜とメッセージ等々も紹介をしております。
 そしてですね、5ページもそのイメージということでございます。後ろはカウナスのビザリスト、プラハのビザリスト、全てを陶板に焼き付けて展示を、実物大で展示をいたします。
 そして、6ページがビザリスト陶板の完成イメージでございまして、これはこういうものでございます。これは全てですね、外務省資料館からお借りをして、陶板に焼き付けて実物大で展示をいたしますが、これだとちょっと小さく見えそうなのでですね、実際の現物大をちょっと、こういった形でパネルにしてまいりました。これは在カウナス帝国領事館、昭和15年分と。そして、これがカウナスのビザリストの実物大でございます。ということでございます。そして、これがプラハのビザリストの、これ手書きでございますが、これも実物大でございます。小さく見えますけど、これはしっかり読めますのでね、御覧をいただければ。これも手書きです。これもこの大きさなので読めますのでね、また是非、御覧をいただければというふうに思っております。
 そして、これはビザリスト。カウナスとプラハそれぞれで合わせて2,256名のビザリストを全てを展示をするというものでございます。
 そして7ページから14ページ、「決断と希望」ゾーンに展示するパネルを紹介をいたします。
 7ページのこの写真はですね、この写真は、杉原千畝さんの36歳当時のものでございます。これは、ソビエト連邦のペトロパブロフスク駐在の折の写真に、その折のですね、サインを、現物をその上に掲載をしたものでございます。
 そして、その下のメッセージはですね、杉原氏からビザを受けたユダヤ人のお一人であります、シカゴ・マーカンタイル取引所を始めとする四つの取引所で構成されるCMEグループの名誉会長を務められて、金融先物取引を始められたですね、アメリカ金融界の重鎮であるレオ・メラメド氏から、今回、このためにいただいたメッセージを冒頭に掲載をさせていただきました。このサインも御本人のサインでございます。御本人は86歳でございますが、御本人のサインでございます。“Chiune Sugihara proved that every individual has it in his power to make a difference in the world”ということでございます。それを訳して、「人は誰でも、正しいことをしようという意志さえあれば、世界を変えることができると杉原千畝は証明した。」というものでございます。
 そして、後ほどメラメドさんのものもですね、今現在の写真も含めて展示をさせていただきますが。
 そして8ページ以降は、ビザ発給時の状況でありますとか、9ページは、これはマーク・サロモンさんのコメント。それから10ページのパネルは、杉原氏がカウナスとプラハで発給したビザリストについての解説や日別の発給数のグラフ。どういうときが多かったかと、ぐわっと。最初は手書きだったのが、だんだん判子にして相当増やしたというようなことまでですね、全てここで研究をし、一つの研究論文と言っていただいても過言ではないと思いますが、というものでございます。そして、11ページから14ページまでがビザ受給者のエピソードを紹介するパネルでございます。
 このパネルの作成に当たりましては、カナダ、イスラエル、アメリカなど各国の関係者、御遺族等全ての方に当たってですね、確認をさせていただき、もちろんそうです、個人情報でありますから同意いただかなければ載せられませんのでね、全ての方に確認をいただき、同意をいただき、写真等々資料も御提供いただいて、このパネルができたということでございます。それでないと、これだけのものは作れないのでですね、ということで御理解をいただければと思います。
 例えば、No.2のカプラン氏、そしてNo.1822のランペルト氏につきましては、カナダ・バンクーバー在住のジャーナリスト高橋文さんに御遺族と接触をいただいて、展示の了解を取り付けていただいたと、様々な資料も御提供いただいたということでございます。そして、No.1225のズプニク氏につきましては、地元中日新聞の御協力をいただいたということでございます。そして、No.1758、1768のメラメド氏については、これ13ページですね。メラメド氏につきましては、先ほど申し上げましたように、御本人からメッセージと現在の写真の御提供をいただいております。下は、このメラメドさんがこの1939年にビリニュスにおきまして、お父さんお母さんと一緒に並んでいるその時の写真もこうして残っている。その後、メラメドさんは敦賀に上陸し、神戸、横浜、それからアメリカ・シアトルに行って、戦後のアメリカ金融界を築き上げたということでございます。
 ということで、14ページまでそういった、いわゆる「杉原サバイバー」という方々のですね、その後の軌跡等々をこうして掲載をさせていただきます。多くの方にですね、御覧をいただければというふうに思います。
 そして、15ページでございます。これは二つ目のコーナーでありまして、「運命のビザ」ゾーンのイメージ図であります。
 16ページは、その立面図でございます。
 そして、17ページから24ページが「運命のビザ」ゾーンに展示するパネルであります。ビザ発給の歴史的経緯やユダヤ人難民の避難、それを支援した人々を紹介をいたしております。
 ということで、17ページはポーランドから脱出するユダヤ人難民、歴史的な経過を詳細に記述をし、そして18ページは、在カウナス・オランダ領事代理の方、キュラソーに行くというビザを発給するということでユダヤ人の方にですね、脱出する手立てを与えたと。これを参考に、杉原さんがビザを発給をしていくということでございます。それが19ページでですね、在カウナス日本領事館におけるビザ発給で押し寄せるユダヤ人難民に対し、杉原氏がどのように対応していったかを、当時の外交電文のやりとりを通して紹介をしているものでございます。外務省本省との、松岡外務大臣等々とのやりとりを詳細に記述をいたしております。
 そして20ページでは、在ウラジオストク日本総領事代理 根井三郎さんのコーナーでは、杉原氏からビザを入手したユダヤ人難民の多くがウラジオストク、シベリア鉄道を通りウラジオストクを目指し、ウラジオストクで難民の対応に苦悩した根井三郎氏の動きを当時の外交電文のやりとりで紹介をいたしております。
 そして21ページが、敦賀への上陸、ウラジオストクへの送還、そしてまた上陸といったこともございます。
 それから22ページが、その後多くの方が神戸に行かれた、神戸のユダヤ人難民の足跡、滞在、そして多くの日本人が支援をしたといったことを、事実を詳細に記述をいたしております。
 それから23ページが、ユダヤ人難民を支援した人物として、小辻節三氏を紹介するパネルであります。
 この原稿は、「命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民」を書かれた俳優の山田純大さんと小辻氏の御遺族の御協力により作成することができたものでございます。山田純大さんは杉良太郎さんの息子さんでね、ということでございますが、この小辻さんに関わる詳細な本をですね、出版され、研究者でもあられるわけでございまして。今回、多大な御協力をいただいたということでございます。そして、1941年の9月までに、多くのユダヤ人難民が、当時、日本租界のあった上海へ送られたということでございます。
 24ページでありますが、イスラエル政府は、ホロコーストからユダヤ人を救った非ユダヤ人に「諸国民の中の正義の人」賞を授与しておられます。このパネルでは、イスラエル建国50周年の記念切手に掲載された、杉原さん以外の4人の外交官の活動を紹介をしております。要は、杉原さんを含めて5人の方をですね、こうした記念切手でイスラエル政府が顕彰をしているということでございます。その、他の4人の方を、こうしてここで御紹介させていただいております。
 そして25ページ、第3のゾーンでございますが、「杉原千畝の生涯」ゾーンのパース図、そして26ページがその立面図でございます。
 子供の頃、幼少期〜第五中学校、そして、早稲田大学〜外務省留学生時代、そして、在ハルビン日本総領事館〜在フィンランド日本公使館、在カウナス日本領事館、在プラハ日本総領事館〜在ケーニヒスベルク日本総領事館、そして、在ルーマニア日本公使館〜戦後民間人として歩んだ歴史というものを第3のゾーンで、「杉原千畝の生涯」ゾーンで掲載をいたしております。
 27ページから34ページに、「杉原千畝の生涯」ゾーンに展示するパネルを紹介してあります。
 27ページの「杉原千畝 略年譜」のパネルは、当初「歴史と年譜」ゾーンに展示する予定でありましたが、資料のつながりや展示テーマも踏まえまして、この「杉原千畝の生涯」ゾーンに展示をすることといたしました。一生涯の略年譜でございます。1900年に生まれ1986年に御逝去されるまでですね、こういう一生を歩まれたということでございます。
 そして28ページは「幼少期〜第五中学校入学」のパネルでありまして、これは、岐阜県八百津町を始め関係自治体、御遺族の御協力によりまして、こういった写真、通信簿などの資料を掲載することができました。なお、古渡(ふるわたり)尋常小学校関連の資料は、残念ながら戦災で焼けてほとんど残っていないということでございます。
 これは当時のですね、昔からの、子供の頃からの、幼少期からの資料ということでございまして、第五中学校のものは大体残ってるということでありますが、こういった形の学籍簿、それから当時の旧制五中5年生、今でいうと高校2年生の時のこの白い制服とね、白い帽子のクラス写真等々も全部ここに掲載をいたしております。こういったものは、今回本邦初公開のものになるということでございます。
 そして29ページは「第五中学校時代」のパネルでございまして、下の方の「英語との出会い」でありますが、これは4月の発表以降、新たに追加をした部分でございます。これは瑞陵高校同窓生の方や和歌山大学教育学部の御協力により作成をしたということでございまして、当時の第五中学校の英語の先生との出会いがですね、その後の外交官としての生涯を決めたといったというようなことが書かれております。
 それから、30ページは「早稲田大学〜外務省留学生時代」。
 それから、31ページは在ハルビン日本総領事館等々で、北満鉄道の譲渡交渉でありますとか、ソビエト連邦入国ビザ発給拒否といったようなこと。これは映画の「杉原千畝 スギハラチウネ」、唐沢寿明さんの主演の映画の中でも詳しく出ております。ここで辣腕を振るったのでソビエト連邦から非常に警戒をされ、ペルソナ・ノン・グラータを食らってですね、入国できなかったということでございます。
 それから32ページは、「在カウナス日本領事館」のパネルでは、上から3枚目に領事館の裏側から撮った現在の写真を掲載しております。杉原氏の執務室は半地下の1階、左から2番目の部屋にあったということでございまして、当時の写真、今の写真ということでございます。
 それから、33ページの「在プラハ日本総領事館」、そして「在ケーニヒスベルク日本総領事館」のパネルは、ケーニヒスベルク総領事館開設の経緯やそこで独ソ開戦情報の収集を行ったことなどを紹介する内容でございます。
 そして、34ページは杉原氏の生涯の最後のパネル、「在ルーマニア日本公使館」、そして「帰国、民間人として歩んだ戦後」のパネルであります。このゾーンでは、誕生から1986年7月31日に86年の生涯を閉じられるまで、様々な資料を通じてその生涯を紹介をさせていただいております。
 そして、最後でございますが、35ページと36ページが「歴史と年譜」ゾーンのパース図と立面図でございます。
 37ページは第五中学校から瑞陵高校への年表でございます。1907年にですね、開校いたしました第五中学校でございまして、もう既に112年目ということでございます。そうそうたる同窓生を輩出される大変伝統のある学校でございます。
 そして、38ページは著名な卒業生の紹介と、杉原氏と同窓会の関わりを示す資料でございます。同窓生にはですね、平井太郎さん、谷川徹三さん、岡部金治郎さん、都留重人さん、西塚泰美さんということでございます。平井太郎さんというのは、江戸川乱歩さんでございます。
 そして、その下にですね、「京浜五中会」ということで、谷川徹三さん、そして江戸川乱歩さん、杉原千畝さん、みんな写っている貴重な写真が残っておりますので、それも掲載をさせていただきます。
 そして、35・36ページに可変式のですね、展示枠がありますが、そこには生徒さんの作品のほか、平成27年の映画「杉原千畝 スギハラチウネ」の唐沢寿明さんのサイン入りポスターの現物を掲示したり、外交史料館や八百津町、敦賀市の関連施設の情報も掲載するなど、いろいろと展示を工夫してまいります。
 この37・38ページがね、常設で、あと、同じ大きさでこちらにいろいろ、随時掲載する枠を用意してありますが、ここにいろいろ生徒さんの作品だとかいろんなもの、八百津町とか敦賀市のね、情報とか、そしてその唐沢寿明さん主演の映画等々のものも掲載をしたいと思います。
 なお、記念式典前には、報道機関向け内覧会を開催する予定にしております。また、記念式典及びレセプションのプログラム詳細、出席者などは9月下旬に改めてお知らせをいたします。
 この施設の整備に当たりましては、外務省外交史料館や海外の関係機関、御遺族の皆様、個人の方々に大変多大な御協力をいただきまして、貴重な歴史的資料を一堂に集めることができました。心から感謝を申し上げたいと思います。
 そして、ここに来れば杉原千畝の全てが分かるという施設になると考えております。10月12日にオープンいたしますので、是非、多くの皆様に、国内外、世界中からも多くの方にお越しをいただいて、杉原氏の人道的功績に触れ、平和への思いを深めていただきたいというふうに思っておりますので、よろしくお願いを申し上げたいというふうに思います。
 なお、記念式典で海外からの方につきましてですね、海外といいますか、これは関係する国としては、イスラエル、リトアニア、ポーランドでありますので、在京大使館の皆さんとは今、調整をしているところでございますので、よろしくお願いを申し上げたいというふうに思います。
 なおですね、現在、今ちょうど制作中でございまして、大分壁が立ち上がってきまして。そこにもう、パネルは今、随時作っておりますので、そこにはめ込んでいくということ。そして、ブロンズ像はですね、モデルとなる樹脂はもうできましたので、この後ですね、4体のブロンズ像につきまして、実物大の樹脂の原型まで完成しておりまして、鋳型をとって銅を流し込んでいく鋳造工程に今、入っております。その後は、普通の彫刻を作るようにですね、ブロンズ像の彫刻を作るように整備をし、そして色を付けていくということもありますので、9月末完成、半ばかな、半ばに完成までは。また、完成時をお楽しみ、お待ちをいただければというふうに思っておりますので、よろしくお願いをいたします。
 大変、私も思っていた以上にですね、私の想定をはるかに超える見応えのあるものを作っていただきまして。コンサルタント会社等々に依頼するのではなく、この資料は全て教育委員会の県の職員がですね、2名がほぼ専属的に一生懸命頑張ってですね、他の仕事ももちろんやっておりますが、これについては頑張って、関係者とですね、連絡をとって、丹念に追いかけてですね、ここまで資料収集、完成をしたということでありまして。そういう意味では、非常に見応えのあるものになっているのではないかと思います。
 そういう意味ではですね、多くの方に御覧をいただいて、今一度、歴史的な経過、経緯、歴史をですね、振り返っていただく一助になればというふうに思っております。

(3)第70回全国植樹祭のカウントダウンボード除幕式の開催について
(http://www.pref.aichi.jp/soshiki/zenshoku/countdown-board.html)

 第70回全国植樹祭のカウントダウンボード除幕式の開催についてであります。
 先週の8月8日水曜日、公益社団法人国土緑化推進機構の理事会において、第70回全国植樹祭の開催日が、来年の6月2日に決定をされました。本県での開催は、昭和54年以来40年ぶり2回目でございます。
 全国植樹祭の開催に向けましては、平成26年9月の誘致表明に始まりまして、平成28年8月の本県開催の正式決定、そしてこの度の開催日の決定に至るまで、およそ4年の歳月、年月が経過をしておりまして、大変有り難いことでございます。
 誘致表明ですから、その前にもう下準備は始めておりますので、ですからこれで5年、もうちょっとになるかな、ということでございますが、一つずつ着実に準備を進めてまいりました。
 この開催日の決定を受けまして、県庁西庁舎に開催日決定の横断幕を設置をいたしました。また、開催機運をより一層高めていくために、この度、カウントダウンボードを制作し、県内3か所に順次設置をいたします。
 このカウントダウンボードは、県立瀬戸窯業高等学校電子機械科とデザイン科の生徒の皆さんに御協力いただき、制作をしたものであります。
 設置場所は、県庁西庁舎、名鉄名古屋駅構内、豊橋市役所の3か所であります。
 設置初日の8月24日金曜日には、名古屋駅のナナちゃん人形前におきまして、カウントダウンボードの除幕式を実施をいたします。当日は、私のほか、県立瀬戸窯業高校の皆さん、開催市であります名古屋市長さんと尾張旭市長さん、広報大使のマリ クリスティーヌさん、PR隊「チーム森ずきんちゃん」メンバーのSKE48の皆さんなどを予定をしておりまして、大いに盛り上げてまいります。
 現在、6月10日日曜日に開催された第69回全国植樹祭福島県大会におきまして、私が福島県知事から引継ぎを受けた、全国植樹祭のシンボルであります「木製地球儀」の県内54市町村におけるリレー展示もスタートいたしております。
 これまで、名古屋市、北名古屋市、豊山町、春日井市、小牧市、犬山市、大口町をリレーし、現在、扶桑町において展示・PRをいたしております。
 今後とも、こうした広報・PRを切れ目なく実施をし、多くの県民の皆様に強い関心を持って御参加をいただくことで、大会を成功に導いていきたいというふうに思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 
(4)空き家の増加と人口減少問題について
 昨日とか一昨日ね、土日、ちょっと地元でいろいろ、お世話になった人のところに、いろいろ何軒か顔出させていただきましたが。改めて、ちょっと感想めいたことで恐縮ですが、思うのはですね、私の地元で安城市とか知立市とか刈谷市の、今、まだ人口が増えている所ですね。西三河でもうーんと増えている所で、僕のかつての選挙区、愛知13区というのは碧海5市でね、最初のね、僕が選挙をやった平成3年、1995年から2010年、15年間の間に最初人口はね、40万ちょっと。15年間で10万人ぐらい増えたんだ、確かね。ですから、多分日本で一番増えた都市じゃないかなと思いますが。そこでまだ増えているんですけれども、そこで改めてお世話になった方のところを回っていくと、元々の集落の所でね、空き家が増えているんですね。
 ここもあれだな、空き家だなとか。要は、玄関とかね、窓とかそういうのが雨戸になっていたりするので分かりますでね。それから、やっぱり庭がね、手入れされてないから草がいっぱい生えてるとか、そういう本当にね、目に見えて分かる。いや、20年前はこんなんじゃなかったもん、はっきり言って。2000年でもそんなんじゃなかったね。
 あれがね、2005年ぐらいから段々段々目立つようになってきて。ただその一方でね、新築の家が多いんだわ、はっきり言ってあの地域は。あっ、ここも新築、ここの家も大きな家がちょっと空き家になってあれしたら、更地になって、区分けになってね。要は新築の家が、また若い人が増えてるな、とかね。本当にそう思います。
 だから、そういう元々の方のところが、子供さんとかがね、東京に行ったか名古屋に来たか、町に出て、空き家になって。お盆だけ戻ってくるとかのはあるんですけどね。それでもね、やっぱり空き家が増えているなと思う一方で、新しい家がね、ぼんぼん建っていると。ここも新築の家、ここも新築の家。もちろん古い家も、跡取りさんがいるところはもう大体家が建て替わってね。またここ建て替わっている、ここも建て替わっているという感じでね、両方目に付くというか、両方よく何か目に入ってくるんですね。
 空き家になってあれしていく家よりも、入ってきて新築の家の方が多いのでですね、やっぱり人口が増えているということなんでしょうけど。
 やっぱり翻って、日本全国こんな感じじゃないわなというふうに思いましてね。やっぱりなかなかこれは、人口減少問題というのは簡単じゃないというか、大変なことだなと。日本の集落がどんどんどんどん変わっていっているんだなというのを、本当にね、やっぱり肌で感じるんですね、こうやって回っていくと。
 ですから、そういう意味では、1年に1回ね、この夏のお盆の時に地域を回るというのは大変いい経験になるので、今でもさせていただいてますけどね。そんなことをちょっと思ったこの何日かということでありました。
 いずれにしてもですね、そういうことでありますが、どんどんどんどん時代は流れていきますので、我々としてはそれに追い着き、追い着き、そして、その時代を乗りこなしてね、やっぱり元気な愛知をね、作っていきたいなというふうに思っております。


2 質疑応答
(1)杉原千畝顕彰施設の名称、展示内容等の決定について
【質問】 杉原千畝顕彰施設について、顕彰が主な目的ではあると思いますが、施設の名称や展示物の英訳説明文など海外からの来訪者向けの視点もあるかと思います。観光振興や地域振興の面での計画や構想がありましたら教えてください。
【知事】 もちろん杉原千畝さんの功績というのは日本にとどまるものではなく、世界中をですね、世界的にですね、私は大変大きな功績であり、大きな人道的な功績であり、価値であるというふうに思います。ですから、国内だけでなくて、国内外ですね、世界中の人にですね、このことを知っていただき、そして実際に足を運んでいただき、御覧いただきたい。そういうふうな思いをですね、持っております。
 今回こうした形で展示施設をね、確定をいたしましたので、これをしっかりと作って、そして10月12日のですね、オープン、テープカット、そして記念式典はですね、しっかりそういった世界中にですね、発信ができる、そういった一つのですね、そういった式典にね、していければというふうに思っておりますし、折に触れて、これから更にしっかりとね、発信をしていきたいというふうに思っております。

(2)自民党総裁選挙について
【質問】 自民党総裁選挙について、先週石破氏が正式に出馬を表明し、安倍総裁も続投に意欲をにじませるような発言をしています。今回の自民党総裁選挙における争点や、期待している論戦等について知事の考えを聞かせてください。
【知事】 自民党の総裁選挙ですね、3年に1回の総裁選挙が事実上スタートということではないかと思います。来月、9月がですね、その選挙であります。
 私は、国会議員時代は何度もこの総裁選挙は経験させていただきまして、それぞれに思い出がございます。最初は小渕先生の時ですね、それからまた、小泉総理の時、それからその後のですね、小泉さんが代わられた後、安倍さん、福田さん、それから麻生さん、ずーっとありましたが、それぞれに携わらせていただいたので大変思い出がありますが。やはり、今のこの現状からすればですね、自民党の総裁選挙というのは日本のリーダー、首相を選ぶ選挙でありますので、それにふさわしいですね、堂々たる政策論争をね、それも公明正大にね、行っていただきたいなと。それは国民の期待するところではないかというふうに思っております。ですから、堂々たるね、政策論争、そして公明正大なね、論争をね、期待したいというふうに思います。
 そして、今、言われました論点でありますが、とにかく国政、我々の県政もそうですけれども、森羅万象にわたるということでありますが、その中でもやはり何点かね、特に今の現状の日本とかを踏まえれば、そしてまた私自身のいろんな思いも踏まえればね、例えば私自身が注目したいのを挙げろと言われればね、やはり特に憲法と言っておりますから、お二人ともね、安倍総理も石破さんもですね。安倍さんも石破さんも憲法と言っておられるので、憲法を始めとしたこの国の形の在り様、憲法始めとしたこの国の形、これをどういうふうに持っていくかというをね、まずね、大いに議論を戦わせていただきたいというふうに思います。
 その上で、やはり、今、現時点での外交面での最大の懸案事項といえば、北朝鮮問題ではないかと思います。ですから、北朝鮮を始めとした日中関係、日米関係、この北東アジアのね、平和と安全保障、そうしたことをしっかりと議論していただきたいと思います。
 そして、日本の外交といえば日米同盟が基軸でありますけれども、特に日米関係ではですね、今、最大の関心事としては、やっぱり通商関係、通商交渉ではないでしょうか。先般も、ワシントンで行われたですね、交渉においても、車とか農産物等々、個別具体的な話にまで至らなかったということでありますが、我々この日本一の産業県愛知、特に自動車産業の集積地でありますから、この点をどういうふうに持っていくのか。
 基本はやっぱり自由貿易でね、自由貿易体制をどう作っていくかということでありますが、重大な利害関係をね、日米関係で持つものとしてですね、この地域は、やはりこの日米関係を始めとした経済の関係のね、外交施策、これについてはしっかり注目をしたいというふうに思います。
 あわせてですね、経済施策でいえば、やはりアベノミクスの検証というのは、これは避けて通れないのではないでしょうか。5年半やってきてですね、その結果どうであったのかということ。行き過ぎた円高をね、是正したということは私も評価をいたしますが、正直言って成長戦略、日本という国の経済が成長しているのか、それは国民の皆さんに実感が湧いているのかということについては、様々な御意見があるのは事実でありますから。そこについてですね、チャレンジャーである石破さんがどこまで切り込んでね、安倍さんがどういうふうに切り返すというか受けて立つのか、そういったところはね、大いに注目をしたいというふうに思っております。
 そして社会保障ですね。これは、多分お二方ともほぼ同じかもしれませんが、少子高齢化の中でね、年金、医療、介護、この社会保障をどういうふうに持続的に持っていくのか、どういうふうに持続的な社会保障制度を構築していくのか。これはしっかりと議論を戦わせていただきたいというふうに思います。
 先ほどの経済施策とも関連いたしますが、やはり地方創生というのはね、これは石破さんも担当されたので、大きな論点ではないでしょうか。これも大いに注目をしたい。東京一極集中をね、どう是正をし、どういうふうに日本という国をね、バランス良く発展をさせていくのか。これは大いに期待したいと思います。
 特にアベノミクスの検証、経済政策とも関連すると思いますが。私、前から申し上げているのは、日本の経済の成長戦略としてですね、ポイントはね、やっぱり三つあると思うんですよね。
 一つは、グローバル化にどう対応していくのか。グローバル化にどう対応していくか。それから二つ目は、デジタル化の波をね、どう乗り越えていくのか。そして三つ目がね、やっぱり地方分権、分権の推進ですよ。要は、東京一極集中でね、やっていくことで日本全体が成長していくということはもうない、ないと。もう霞が関では知恵は尽きたと、ないと。永田町もと言ってもいいと思いますがね。要は、グローバル化とデジタル化と分権、この三つをセットにして初めて日本は成長していくので、そういった点をね、やっぱり真剣に議論を戦わせていただきたいなというふうに思っております。
 要はね、自民党の総裁選はね、やっぱり日本のトップリーダーを選ぶ選挙でありますから、日本の未来図をね、どういうふうに描いていただけるのか、それを期待したいなと思います。
 なのでですね、例えばね、時々出てくる話でね、人事で干すだとかね、冷遇するだとかですよ、そういう品性に欠けるね、レベルの低い、そういう話はやめてもらってですね、格調高くね、日本の行く末をね、しっかりと語っていただきたい、そのことをね、大いに期待したいなというふうに思いますね。
 御本人同士は言われないと思いますがね、周りのところでね、何か、少し肩書の持っている方々がですね、時々、人事で干すだとかね、冷遇するだとか何だとか、それまで何て言うんですかね、何か揚げ足取りみたいなことをね、言われるというのは、はっきり言って、あんまり聞いていてね、気分のいいもんではありませんのでね。選挙なんで、論争なんで、そういったものも付き物かもしれませんけれどね。この際、そういったのはやめていただいてね、日本の未来図をしっかり議論できるような、そういう場にしていただきたいなというふうに思っております。
 いずれにしてもね、大変大事な選挙なので、大いに注目したいというふうに思います。
 そして、ついでにと言うと怒られますけど、あわせましてね、野党の国民民主党の代表選挙もあるということでありますので、そちらの方もね、チャレンジャーとしてどういうふうな対立軸を打ち出すのか、何を国民に訴えるのかということを、これもね、正々堂々とね、議論し、国民の皆様にね、訴えかけていただきたいなというふうに思っております。

(3)北設楽郡町村議会議長会から知事への知事選挙出馬要請について
【質問】 先々週、北設楽郡町村議会議長会が、知事に三選を目指して出馬するよう要請しました。その後10日ほどたちましたが、このことに対して知事はまだ意思表明はしないということでしょうか。
【知事】 あの時、申し上げたとおりでありまして、大変過分な御言葉をいただきましてね、光栄でありますけれども、私について申し上げることは特にないということは申し上げさせていただきました。
 しっかりとね、いただいた任期で全力を挙げて取り組んでいきたいということでありますし、今後についてはよくよく考えていきたいということを申し上げたので、それ以上のことはありません。

(4)翁長沖縄県知事の逝去について
【質問】 先週、沖縄県の翁長知事が亡くなりました。知事の受け止めと、今後の影響についてどのように考えますか。
【知事】 翁長知事はですね、基地問題ね、辺野古移設についての対応については様々な、これは御意見、御議論があろうかとは思いますが。翁長さん御本人はですね、長い長い保守政治家としての歴史、経緯ですね、自民党沖縄県連の幹事長時代にですね、私も度々沖縄には選挙応援に参りましたので存じ上げておりますが、大変沖縄県政のですね、保守政界の代表といっていいお方だったというふうに思います。
 その翁長さんが那覇市長さんになられ、そしてやっぱりオール沖縄という思いを持たれですね、この基地問題についてはですね、沖縄の心を真っ向から強大な政府に対してぶつけられて主張されたということは、これは大変骨の折れる仕事と言ったらあれですけども、本当に大変なお仕事だったろうかというふうに思います。
 ただ、それを貫き通されてね、政治活動、一生涯を終えられたということについては、本当に心から敬意を表したいというふうに思っております。
 また、ある意味、壮絶な戦死と言ってもいいような御逝去だろうと思いますけれども、御自身の信念にね、殉じられたということで、本当に心から御冥福をお祈りしたいというふうに思っておりますし、私、今日この後、お昼には、名古屋にも記帳所が設けられているとお聞きしておりますので、中日ビルの4階かな、沖縄県の事務所といいますかね、センターがありますので、そちらの方で記帳してきたいというふうに思っておりますが。
 知事になられてからは、知事会でも度々お会いをさせていただいておりましてね、そういう意味では、非常に何か人懐っこいね、非常に人柄のいい方でありましてね、思い出も深いと思いますが、いずれにしても、これまでの翁長知事の御活躍、信念を貫き通されたということについては心から敬意を表しますとともに、御冥福をお祈りしたいというふうに思います。
 そして、今後でありますが、9月の後半、末になるんですかね、50日ですからね、には沖縄県知事選挙、11月予定が二月繰り上がる形でね、あるので。これがどうなっていくか。これからの沖縄県政にとどまらずですね、国政全般にも影響与える大きな選挙になろうかと思います。そういう意味ではですね、どういう形になっていくか、特に翁長さんのですね、後継者がどういう形で選ばれるのか、どういう方が選ばれるのか、しっかり注視をしていきたいというふうに思っております。
 いずれにしても、ちょうど自民党の総裁選挙と時期的に重なりますのでね。私は、これは国政についても相当大きな影響があるんではないかと思います。そういう点からしてもですね、しっかり注視をしていきたいというふうに思っております。

(5)第20回アジア競技大会の準備状況について
【質問】 知事は8月19日のOCA(アジア・オリンピック評議会)総会に出席される予定ですが、第20回アジア競技大会(愛知・名古屋大会)に向けた現時点での準備等の状況はどうですか。
【知事】 そうですね。現時点では順調にきておりますので。
 その時点で、OCA総会で我々からプレゼンテーションし、プレゼンテーションというのは2026年のね、愛知・名古屋で今、こんな形で、愛知・名古屋ってこういうところですよということを私と河村市長でね、プレゼンテーションを行い、そしてOCA、それからJOC、そして私ども愛知県、そして名古屋市、四者でですね、開催都市契約が結べれば有り難いなというふうに思っております。準備は順調に進んでおります。
 あわせてですね、しっかりまた、この今回の2018年のね、ジャカルタ・パレンバンでのインドネシア大会の成功、そして次は中国の杭州ですからね、2022年、これも大成功になっていただきたいということ、それからその後ね、我々2026年、しっかり引き継いでね、盛り上げていきたい。そのことをね、その思いをしっかり伝えていきたいというふうに思っております。