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Aiレポート

あの瞬間を忘れないために 〜愛知県内に今でも残る地震の痕跡をたどる〜
リポーター:マヌマヌ



 2011(平成23)年3月11日午後2時46分……東日本大震災が発生したこの瞬間は、私たちに
とって忘れられないものになってしまいました。この震災は被災地に非常に大きな爪痕を残し、本格
的な復興や原発事故の収束には、まだまだ長い年月がかかることでしょう。

 今回は東日本での震災でしたが、実は愛知県も過去において大規模な地震被害を何度も経験を
しています。
 被害を受けた度に、私たちの祖先は立ち上がり復興を遂げてきましたが、未だに私たちの身近に
残っている地震の痕跡もあります。
 そこで愛知県内に今でも残る地震の痕跡をたどりながら、私なりに地震や防災について考えて
みたいと思います。
 
■ 清洲城下町遺跡 (清須市)
 清洲城下町遺跡は、清洲城が築城された室町時代後期から名古屋城が完成し城下町ごと
移転した江戸時代初期にかけての遺跡で、清洲城の南方に位置しています。
 愛知県埋蔵文化財センターが中心となって発掘作業が進められ、城下町時代の建物や井戸の
跡が多数見つかりましたが、当時あった地震によって発生した液状化現象(噴砂)の跡も同時に
見つかりました。
 液状化現象とは、地下水位の高い地下の砂地層が地震の揺れによって液体化して地上に吹き
出してきたり、構造物が倒れたり浮き上がる現象のことをいいますが、清洲城下町遺跡からは
砂が噴水のように下の砂層から整地盤を貫いてその上に吹き出した跡が見つかっています。
 上下の地層の時代関係などから、この噴砂は1586年1月18日(天正13年11月29日)の天正
大地震と、1891(明治24)年10月28日の濃尾地震(マグニチュード8.0)によるものと考えられて
います。

 私が訪れた1月下旬の時点では発掘調査が終了し、道路建設予定地である遺跡は残念ながら
既に埋められて整地されていました。
 ただ、敷地外には調査結果を伝えるボードが立てられており、この噴砂と城下町の形成に関する
考察を知ることができるようになっていました。

清州城城下町遺跡発掘現場   遺跡調査結果を伝えるボード
既に埋められた発掘現場 調査結果を伝えるボード
遺跡の断層(現地説明会資料)








 液状化現象(噴砂)の跡が発見されたときの写真
 地層や文献から地震が発生した時代を推測します

(愛知県埋蔵文化財センター「清洲城下町遺跡現地説明会資料」2011より)

 なお、この清洲城下町遺跡の他にも、一宮市にある田所遺跡や門間沼遺跡で古代から中世に
かけての地震によって発生した噴砂の跡が見つかっています。

 ○愛知県埋蔵文化財センター
   (清洲城下町遺跡についての各種資料を閲覧・ダウンロードすることができます。)
   http://www.maibun.com/top/
 
■ 深溝断層(幸田町/蒲郡市)
 1945(昭和20)年1月13日午前3時38分、三河湾を震源としたマグニチュード6.8の直下型
地震である三河地震が発生しました。
 この1ヶ月ほど前である1944(昭和19)年12月7日に発生した東南海地震(マグニチュード7.9)
とともに、愛知県内に甚大な被害を及ぼしました。
 これだけ大規模の地震だったのですが、政府によって報道管制が敷かれたために、被害規模が
全国に詳しく報道されることはありませんでした。
 それは当時が戦時中で、軍需工場の被害状況が敵国に漏れることを恐れたため、また国民の
戦意を低下させないようする必要があったためだとされています。
 そういったこともありなかなか知られていない三河地震ですが、地表には地震の痕跡がはっきりと
残っています。それが深溝(ふこうず)断層です。

深溝断層   深溝断層
幸田町深溝にある「深溝断層」の写真。段差がはっきりと見て取れます。 

 幸田町深溝にある、谷間の狭い土地。何も知らなければ、段差にそって細かく仕切られただけの
棚田にも見えるのではないでしょうか。
 しかしこの細かい段差こそが、三河地震によって地表に現れた断層なのです。

 この断層には、上の写真ように色を塗られた杭が何本も立っていますが、同じ色の杭によって
垂直方向・水平方向のずれが示されています。
 この地点における最大落差は約1.5m、左右のずれは約1m。南側にある三ヶ根山の方向から
押されたことによってできた逆断層で、杭の先端部に塗ってある赤い長さだけ隆起しています。
 この段差を見ただけでも、自然のパワーがいかに大きいものなのかを感じずにはいられません
でした。
  この地震断層から南に約3km下ったところにある、蒲郡市一色町の宗徳寺。その本堂裏の
雑木林の中にも三河地震による痕跡が残っています。
 下の写真は、大雨か何かによって発生した崖崩れの跡にも見えますが、実は三河地震による
地割れなのです。
 深溝断層は蒲郡市形原町からこの蒲郡市一色町、そして先ほどの幸田町深溝に向けて三ヶ根山
の山裾を迂回するかのように延びており、ちょうど断層上にあるこの地に地割れを作ったのでした。

宗徳寺本堂裏の断層
 宗徳寺本堂裏の地割れ

 また本堂の左隣にある「番神堂」という建物も三河地震発生前は同じ高さの土地に建っていたの
ですが、番神堂の建っている土地が隆起してしまったため、本堂より1mほど高い位置になって
しまったそうです。
宗徳寺本堂と番神堂
 宗徳寺本堂と番神堂

 ○深溝断層(文化財ナビ愛知)
   http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/kinenbutu/tennen/kensitei/1007.html
 ○宗徳寺(蒲郡市ホームページ)
   http://www.city.gamagori.lg.jp/site/museum/bun-c-104.html
 
 以上のとおり、現在でも残っている地震の痕跡をたどってきたわけですが、他にも死者を弔うため
や津波の被害があったことを後世に伝えるための石碑が愛知県内に数多く存在しています。
 私たちは、これらの痕跡から何を学んだらよいのでしょう?

 まずは、地震が実は身近なものであり、大きな被害も十分想定されるということをしっかりと肝に
銘じておくことが必要でしょう。
 直接の揺れによる被害だけではなく、建物の火災や津波など揺れがおさまった後に発生するもの
もあります。
 普段から地震への備えをしておくとともに、暮らしを守るための防災意識を高め続けておきたいと
思います。

【地震をはじめとした防災全般についてお知りになりたい方へ】
 ・愛知県防災局ホームページ http://www.pref.aichi.jp/bousai/
 ・愛知県防災学習システム   http://www.quake-learning.pref.aichi.jp/
 ・愛知県防災局 Twitterアカウント https://twitter.com/#!/aichi_bousai
 
【参考】 
 ◇逆断層
  水平方向に押す力がかかっている場所に存在する断層。
  左右からの力に対し、その力を逃がすために破断面ができて、片方が斜め下へ、もう一方が
  相手にのしかかるように斜め上へ動いた形でできた断層。


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