
尾張旭市の棒の手は、印場、庄中、稲葉、新居に伝えられている。
無二流は水野又太郎良春とその一族の修験者たちによりもたらされたものである。東軍流は、印場村薬師堂の修験者塚本伝寿が、名古屋出来町の平岩清伝に学び、貞享元年(1684)に棒目録を受けたことに始まる。その特色は呪術性を持たない奉納芸能として武芸的な振り付けを行ったことである。直心我流は八木弥市郎が猪子石村の修験者から免許を受けて流派を創始した。直師夢想東軍流は庄中の森下里右衛門が出来町から、文政4年(1821)に伝えた。この頃から、印場村では集落や血縁などにより、いずれかの流派に属することになったと言う。稲葉村の検藤流は毛受周平が、文化8年(1811)に伝えたものである。
今日、無二流は新居の多度神社に、検藤流は稲葉の一之御前神社、直心我流・東軍流・直師夢想東軍流は印場の渋川神社に奉納される。