
正面
■指定理由
名倉川右岸の小高い丘の上に鎮座する八幡神社は、永禄2年(1559)に、足助(豊田市)の八幡宮を勧進したとものと伝えられる。
社殿は、覆屋内にあり、一間社流造で、屋根はこけら葺、正面に一間の庇と5段の木階、浜床を付す。
■詳細解説
神社の創建は詳らかでないが、永禄2年(1559)に足助の八幡宮を勧請したものという。現存する本殿は、江戸時代初期に建立され、江戸時代中期の改造を経て、寛政8年(1796)に更に大改修を加えられたものと考えられる。
一間社流造の大型社殿で、軒は二軒繁垂木(ふたのきしげだるき)、正面に一間の庇と五段の木階(もっかい)と浜床(はまゆか)を付す。身舎(もや)の柱は円柱、庇の柱は几帳面取角柱とし、この間に海老虹梁(えびこうりょう)を渡す。身舎の正側面には端部を刎ね上げた刎高欄(はねこうらん)付きの縁を廻らし、縁の後端には脇障子(わきしょうじ)を立てる。身舎柱上には実肘木(さねひじき)付きの出三斗(でみつど)を載せ、正側面とも中備(なかぞなえ)に蟇股(かえるまた)を置く。
正面の柱間には桟唐戸を吊り、両脇の板壁前に高肉彫りの龍の彫刻を嵌めるが、これらは江戸時代後期に付加されたものと考えられ、もとは正面吹き放しの前室付き社殿であったと思われる。頭貫より上を朱塗、他を漆塗として外観を引き立てているがこれも後の仕事と考えられる。(岩田敏也)