愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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津島神社拝殿(つしまじんじゃはいでん)等

分類 県指定
種別 建造物
所在地 津島市神明町1
所有者等 津島神社
指定(登録)年 昭和56年(1981)
時代 拝殿:慶安2年(1649)
蕃塀:江戸後期以降
祭文殿・釣殿:文政6年(1823)
回廊:文政8年(1825)
弥五郎殿社本殿・拝殿:寛文13年(1673)
居森社本殿:天正19年(1591) 荒御魂社本殿:元和5年(1619)
八柱社本殿:寛文12年頃(1672)

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拝殿

拝殿

■指定理由

津島神社の現在の社殿は、天正~寛文年間(1573~1673)にかけて、織田信長、豊臣秀吉、尾張徳川家等の寄進を受けて造営されたものであり、祭文殿と廻廊はさらに文政年間(1818~1830)にも改修されている。
社殿の配置は、流造(ながれづくり)の本殿の前に東西に延びる廻廊を配し、廻廊の中央に中殿(中門)を設け、その前に切妻造の拝殿を置き、前方には南門を構える。

■詳細解説

祭文殿・釣殿

祭文殿・釣殿

回廊

回廊

弥五郎殿社本殿

弥五郎殿社本殿

居森社本殿

居森社本殿

荒御魂社本殿

荒御魂社本殿

八柱社本殿

八柱社本殿

拝殿・蕃塀(はいでん・ばんぺい)

尾張地方の神社には大社から中小にいたるまで「尾張造」と呼ばれる社殿配置がある。それは、門、蕃塀(透垣)、拝殿、祭文殿、回廊、釣殿(渡殿)、本殿を南北軸線上に一直線に並べ、拝殿は切妻造、蕃塀は透垣とされる。津島神社の社殿もその一つであり、拝殿は棟札によれば慶安2(1649)の建立、蕃塀は江戸時代後期以後の建立である。拝殿は、桁行6間、梁間3間、切妻造、妻入、檜皮葺である。柱は、身舎柱(もやばしら)を丸柱として丈を高くとり、側柱を面取角柱とし、斗きょうは舟肘木としており、柱ならびに軸部を丹塗としている。間取りは、南妻の1間を吹き放しの土間、その奥5間を板間としている。正面の南妻では、中央間に飛貫(とびぬき)を通し、柱上に虹梁を渡し、上部に束を立てて扠首(さす)を組み、両脇間では身舎柱と側柱間の飛貫、繋虹梁を渡し、破風の拝みに猪の目懸魚を吊り、軒は一軒疎垂木、木舞打としている。蕃塀は、桁行3間、切妻造、檜皮葺の塀である。柱は丸柱とし、礎石上に立て、柱間に地貫、腰長押、内法長押を通し、腰下を縦板張とし、腰上に三連の連子窓を入れている。

祭文殿・釣殿(さいもんでん・つりでん)

津島天王祭りの起源は、永享8年(1436)とも、永禄年間(1528~32)ともいわれ、弘治4年(1558)には織田信長、その後も福島正則、松平忠吉、徳川義直などの祭り見物があったとされ、中世から近世にかけて尾張国の名社として手厚く保護されてきた。祭文殿・釣殿は、回廊と本殿の間に置かれ、祭文殿は、古記録より文政6年(1823)の再建、釣殿も同時期の再建と考えられている。祭文殿は、「尾張造」では四脚門形式をとるものが多いが、桁行3間、梁間2間、切妻造、檜皮葺とする。柱は総丸柱とし、軸部を丹塗としている。間取りは、内部を一室とし、高欄付の切目縁を廻らし、正面中央に3級木階を設け、両側面の縁側の後端に脇障子を立てている。正背面の中央柱間を開放し、正背面の両脇間では連子窓を設け、両側面では壁としており、柱上では大斗・肘木を載せている。内部は、床を畳敷き詰めとし、格天井(ごうてんじょう)を張っている。釣殿は、祭文殿の屋根の中段から唐破風屋根を後方に延ばし、本殿の向拝の軒下に達しており、本殿軒下から吊り上げているようであり、全体を丹塗とする。

回廊(かいろう)

「尾張造」の回廊は、祭文殿(四脚門形式)の左右に取り付くのが一般的であるが、津島神社では祭文殿が本殿の前に独立して建てられたため、回廊の中央部分に中殿を設け、その左右に回廊を延ばしている。回廊は、古記録によれば文政8年(1825)の建立である。回廊は、桁行9間、梁間2間、中央1間中殿、切妻造、中殿正面軒唐破風付、檜皮葺の建物である。拝殿の後方の中央に間口1間、奥行1間の中殿を造り、その両脇では回廊を東西に4間延ばし、回廊東端では北にL字形に折れ、後端に神饌所を設け、本殿周囲には透垣を一巡させている。柱は、いずれも丸柱とし、柱ならびに軸部を朱塗としている。中殿は、正背面に大虹梁を渡し、柱上に大斗・肘木をおき、正面に唐破風を上げている。内部は格天井を張り、背面には双折格子扉を吊り、両脇は回廊と接続するために梁行の虹梁を渡し、中央に大瓶束を立てて妻飾とする。東西の回廊は床板を張り、柱間を開放とし、背面柱列のみ連子窓を入れている。内部は化粧屋根裏とし、各柱間の梁行には中殿の妻飾りと同様の虹梁・大瓶束を渡している。

弥五郎殿社本殿・同拝殿・居森社本殿(やごろうしゃほんでん・どうはいでん・いもりしゃほんでん)

津島神社は、多くの摂社をもち、南門の参道の西脇には居森社、南門を入った西側には弥五郎社が置かれている。古記録より、弥五郎社本殿・拝殿は寛文13年(1673)、居森社本殿は天正19年(1591)の建立である。弥五郎殿社は、正平元年(1346)に堀田弥五郎正泰が建立し、願主の名が殿社に付けられた。本殿は、一間社流造、銅板葺である。庇(ひさし)部分では正面に7級木階を設け、柱上に虹梁を渡し、連三斗をおいている。身舎(もや)部分では、四周に高欄付の濡縁を廻らし、両側面では背面柱列に脇障子を立て、前方では庇柱より前に濡縁を出すが、正面の7級木階の前面位置まで延ばすため、凹字形の濡縁が張られる。弥五郎殿社拝殿は、桁行2間、梁間3間、切妻造、妻入、銅板葺である。内部は、床板を一面に張り、身舎部分を間口1間、奥行1間の一つの空間として格天井を張り、庇部分は化粧屋根裏としている。居森社は、社伝によれば、須佐之男命が対馬より津島に来臨の折に最初に鎮座したところと伝え、天正19年(1591)に秀吉の生母大政所の寄進と伝える。本殿は、一間社流造、瓦葺形の銅板葺であり、規模、形式とも弥五郎殿社本殿に類似している。

荒御魂社本殿・八柱社本殿(あらみたましゃほんでん・やはしらしゃほんでん)

津島神社境内には、本殿・祭文殿を囲む回廊の東側に御魂社が鎮座し、本殿の透塀を隔てた西側に八柱社がある。古記録によると荒御魂社本殿は元和5年(1619)、八柱社本殿は寛文12年(1672)頃の建立と考えられている。御魂社本殿は、一間社流造、瓦葺形の銅板葺とし、規模はやや小型であるが、居森社本殿と同様の形式である。柱は、身舎柱(もやばしら)を丸柱、庇柱を面取角柱とし、土台を組み、その上に立てて全体を丹塗としている。庇部分では正面に7級木階を設け、柱上に虹梁を渡し、連三斗をおき、身舎柱との間には竹の節欄間と海老虹梁を入れている。身舎部分では、四周に高欄付の濡縁を廻らし、両側面では背面柱列に脇障子を立て、前方では庇柱より前に濡縁を出し、凹字形の濡縁が張られている。この本殿は、居森社本殿と比べてやや木柄が細いが、庇の蟇股、連三斗、妻の大瓶束の斗などに鮮やかな装飾文様を描いており、華やかな装いを見せている。八柱社は、前方に拝殿をおき、渡廊を後方に延ばして本殿を構えている。本殿は一間社流造、瓦葺形の銅板葺としており、荒御魂社本殿と同じ形式である。また、本殿前方の拝殿は、桁行2間、梁間1間、切妻造、妻入、銅板葺である。(杉野 丞)

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