
外観
■指定理由
大樹寺は、浄土宗鎮西派に属し、松平氏4代の親忠により、文明7年(1475)に創建されたと伝えられる。
塔は、心柱の紀年銘から、天文4年(1535)の立柱であることが知られる。方三間で、屋根は宝形造とする。本来はこけら葺であったが、現在は檜皮葺となっている。蟇股(かえるまた)や木鼻(きばな)などに室町時代後期の意匠がよく残されている。
■詳細解説

内部
寺は、浄土宗鎮西派に属し、文明7年(1475)に4代松平親忠が勢誉愚底を開山として創建された。徳川家・松平氏の菩提寺として盛衰をともにしている。天文4年(1535)に7代松平清康が伽藍を再興し、多宝塔はその時に建立されたものである。3代将軍徳川家光は寛永13年(1636)から大造営を行って寺観を整備し、現在の三門、総門、鐘楼、旧裏一の門、裏二の門はその時に建立されたものである。その後、安政2年(1855)の火災で主要堂宇を失ったが、同4年には本堂、大方丈、小方丈、庫裏などが再建され、いまなお徳川家・松平氏の菩提寺として相応しい威厳ある浄土宗伽藍を呈している。
この塔の建立年代は、心柱銘から天文4年(1535)の立柱と知られる。塔は和様で造られており、方三間(一辺4.35m)で、屋根は宝形造で元はこけら葺であった。和様の多宝塔では、一般に下層裳階の柱は角柱とされるが、この塔では丸柱が用いられ、組物は二手先で、中備に蟇股、間斗束を用いている。上層では白色の板張りの亀腹(かめばら)をつけ、禅宗様四手先の組物をのせて軒の出を深くする。上下層の釣合いがよく、蟇股や木鼻などから室町時代後期の意匠がよくわかる。境内においては唯一の室町時代の遺構である。(沢田多喜二)