愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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源敬公(徳川義直)廟(げんけいこう(とくがわよしなお)びょう)

分類 国・重要文化財
種別 建造物
所在地 瀬戸市定光寺町373-1
所有者等 個人
指定(登録)年 [源敬公墓、唐門、焼香殿、宝蔵、竜の門、築地塀]昭和12年(1937)、[獅子門]昭和40年(1965)
時代 承応元年(1652)、[獅子門]元禄12年(1699)

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源敬公墓唐門

源敬公墓唐門

■指定理由

源敬公廟は、慶安3年(1650)に没した尾張徳川家初代義直の墓所であり、慶安4年に墳墓と石標、翌承応元年に門、殿舎、塀が完成している。
この廟は、明人の陳元贇(ちんげんぴん)が設計したと伝えられており、建物の構成は、儒教に基づく祠堂に倣っている。

■詳細解説

竜の門

竜の門

焼香殿

焼香殿

焼香殿・宝蔵

焼香殿・宝蔵

廟域旧状

廟域旧状

慶安3年(1650)に江戸で没した尾張徳川家の初代義直の墳墓、霊廟は遺命により定光寺東北の山上に造営された。慶安4年に墳墓と石標が、翌承応元年に門、殿舎、塀が完成した。元禄年間には殉死者の墓が整備され、元禄12年(1699)には参道中ほどに獅子の門が建造された。廟域は周囲に瓦葺土塀を巡らせ正面中央に正門である竜の門を開き、石敷の参道正面に焼香殿(しょうこうでん)を、焼香殿の東に宝蔵を配し、宝蔵の東には殉死者の墓所を設ける。焼香殿背後は一段あがって前面石柵の中央に唐門(からもん)を開き、石標を立てた円形の墳墓を築く。
焼香殿(祭文殿(さいもんでん))は墓所の拝殿に相当する建物である。一重、寄棟造、銅瓦葺、内部は一室の建物で石積基壇の上に建ち、前面二か所に石造階段を設ける。柱の上方に丸みを付け柱上の組物に繰形を施し、正面中央間は二つ折れの桟唐戸(さんからど)、脇間および側面には花頭窓(かとうまど)を開けるなど、意匠は寺院建築で禅宗様と呼ばれる様式を基調とする。正面、背面の戸に施す雲竜の浮彫彫刻は精緻である。床は黒釉の志野の陶板を敷き詰め、天井は折上げた格天井(格子で縁取った天井)、屋根は棟に中国風に魚形の正吻(棟飾り)をのせ、四隅には蕨手(わらびて)を二段に突き出す。
焼香殿の東に西面して建つ宝蔵(祭器庫)は、規模は焼香殿よりやや小さく装飾の細部で相違する部分があるものの外観の意匠は焼香殿に準じる。儒教の祠堂(しどう)に準じて内部は3室に分ける。
竜の門は、廟所正面に開く入母屋造(いりもやづくり)の四脚門(しきゃくもん)である。意匠は焼香殿と同様な禅宗様を基調としており、扉の獅子と唐草牡丹の浮彫は精緻である。屋根の装飾も焼香殿に準じた中国風の構成である。
唐門は、焼香殿の背面の石造階段を昇った正面に建つ平唐門(ひらからもん)である。腕木で軒を支える腕木門の形式で本柱は御影石製、扉や主要部材は銅板張、屋根も銅瓦葺で銅板製の鬼板を置く。
源敬公墓は、焼香殿背後に一段高くなった墓地中央やや北寄りに築かれた円形墳墓で、墳丘上に石標を立て、周囲には角柱の石柵を巡らす。宝塔形式を基本とする徳川将軍家の墓所とは対照的に簡素な構成である。
廟全体を囲い込む築地塀(ついじべい)は腰を石組みとした土塀で、壁は熨斗(のし)瓦積、屋根は銅瓦葺とする。
獅子の門は、参道の中程に位置する切妻造の四脚門である。造営は元禄12年(1699)で他の殿舎からおよそ50年遅れる。意匠は禅宗様を基調とするが、構成は簡略化されて装飾は他の建築に比べて少ない。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、棟は金泥で縁取りした黒色釉の織部焼である。
源敬公廟は、建築の配置に儒教に基づく祠堂の構成を顕著に示している。一方、建築的な特徴では、焼香殿、宝蔵、竜の門に用いられる棟飾の中国風の意匠は類例をみないが、禅宗様を基調として彩色や彫刻は限定的である。江戸時代における中国建築の理解の実態を示す事例としても興味深い遺構である。(溝口正人)

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