
正面
■指定理由
尾張大国霊神社は、国府宮あるいは尾張総社ともいわれ、崇神天皇7年の創建と伝えている。
拝殿は、桁行5間、梁間3間の切妻造で、檜皮葺とする。平面は、妻入の縦長となっており、簡素な構成となっている。意匠的にも社格の高い神社らしい伝統的な和様となっている。
■詳細解説

内部
当社は、国府宮あるいは尾張総社とも云い、社伝によれば崇神天皇7年の創建と伝えられ、延喜式(えんぎしき)神名帳にのる古社である。社殿配置は、当地方に広く分布する尾張造で構成され、南から楼門、蕃塀(不浄除)、拝殿、祭文殿、釣殿、本殿をほぼ一列に並べ、祭文殿の左右に廻廊を延ばし、廻廊から延びる瑞垣(みずがき)で本殿を囲み神域を形成する。尾張造では、この拝殿や津島神社拝殿(津島市)のように縦長平面・切妻造・妻入の拝殿形式がとられている。拝殿の建立年代は、斗・蟇股(かえるまた)などの細部意匠から判断すると江戸時代前期と考えられるが、天保の修理で一部の材が取り替えられている。
拝殿は、桁行5間(7.97m)、梁間3間(10.35m)、一重切妻造、檜皮葺、妻入の縦長平面をとる。柱は総丸柱で、壁や建具はなく開放され、低い床板を張る。組物は舟肘木(ふなひじき)が用いられている。主柱と側柱(庇柱)間には繋虹梁(つなぎこうりょう)をいれ、中央の主屋部分には小組格天井を張る。妻飾りは、2本の斜材を入れる豕扠首(いのこさす)で、猪目懸魚(いのめげぎょ)をつる。この拝殿は、縦長平面で簡素な構成をとり、意匠的にも垂木の反り・舟肘木・妻飾などに旧態を伝え、二軒疎垂木・小舞打ちや小組格天井など、社格の高い拝殿形式を示し、神社建築らしく伝統的な和様に終始している。(沢田多喜二)