愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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望月家住宅(もちづきけじゅうたく)

分類 国・重要文化財
種別 建造物
所在地 新城市黒田字高縄手7
所有者等 個人
指定(登録)年 昭和49年(1974)
時代 江戸後期

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全景

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■指定理由

望月家は、武田家の家臣で、長篠の合戦後この地に土着したと伝える。屋敷地のやや西寄りに建つ主屋(居室部)は、東西棟で寄棟造の萱葺とし、同じく寄棟造で萱葺の釜屋(土間)は南北棟となる。
主屋と釜屋で構成される「釜屋建」の古い時期の遺構として、東三河山間部の民家の年代指標となっている。

■詳細解説

主屋(左)・釜屋(右)

主屋(左)・釜屋(右)

望月家は武田家の家臣で長篠の戦の後に当地に土着したと伝える。敷地は、南下り斜面で、敷地中央やや西寄りに主屋と釜屋が建つ。主屋は東西棟、寄棟造(よせむねづくり)、茅葺の建物で、内部は4室からなる四間取の平面である。天井は張らず、小屋組は扠首組(さすぐみ)、屋根棟には千木(ちぎ)をのせる。釜屋は南北棟、主屋に対してやや東へ振って建ち、東南隅にウマヤを設け、残りは1室で北寄りにカマドを設ける。主屋と釜屋で年代差があるものと認められ、様式的に主屋が18世紀後半、釜屋が18世紀末年の建設と推定されている。現在は釜屋が建造された頃の状態に復原されている。
主屋(居室部)と釜屋(土間)が棟の向きを変えて並列する形式は、豊川流域および天竜川流域に色濃く分布する形式で、豊川流域では釜屋建(かまやだて)、天竜川流域では撞木造(しゅもくづくり)と称する。望月家住宅は、釜屋建の中では当初の状況を知りうる遺構として古く、東三河山間部の民家の年代指標となっている。(溝口正人)

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