愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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大縣神社本殿祭文殿及び東西回廊(おおあがたじんじゃほんでんさいもんでんおよびとうざいかいろう)

分類 国・重要文化財
種別 建造物
所在地 犬山市字宮山3
所有者等 大縣神社
指定(登録)年 昭和56年(1981)
時代 本殿:寛文元年(1661)
祭文殿及び東西回廊:寛文元年(1661)頃

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本殿外観

本殿外観

■指定理由

大縣神社は、尾張開拓の祖神とされる大縣大神を祭る。社殿は、正之御殿、渡殿、内院の三者が複合した「大縣造」といわれる形式となっている。
この社殿形式の成立は明らかでないが、永正元年(1504)火災後に再建され、その後、万治2年(1659)の火災で再度焼失したものを、寛文元年(1661)尾張藩主徳川光友が再興したのが現存する社殿である。
なお、万治2年の被災時の記録には、三棟造と明記されており、「大縣造」の成立はそれ以前にさかのぼるものと考えられる。

■詳細解説

祭文殿内部

祭文殿内部

本殿

当社は、本宮山の西麗に鎮座し、尾張開拓の祖神の大縣大神を祀り、尾張国の二の宮として知られる。永正元年(1504)に焼失して再建し、万治2年(1659)にも炎上したが、寛文元年(1661)に尾張二代藩主徳川光友によって再興された。「二宮大県宮之絵図」には、南北軸線上に御供所、勅使殿、拝殿、川を隔てて祭文殿、その両脇に東西回廊が延び、釣殿、本殿が続き、門のみ勅使殿の西側に置かれた。本殿は寛文元年(1661)の建立であり、拝殿は明和4年(1767)上棟の棟札がある。本殿は、桁行3間、梁間2間、入母屋造、檜皮葺の建物2棟を前後に繋いだ複合社殿であり、大床、内院、渡殿、正之御殿からなる。間取りは、前殿(内院)に奥行1間の向拝(大床)、間口3間、奥行1間の相の間(渡殿)を加え、その奥に後殿(正之御殿)が続くため、間口3間、奥行6間の縦長の長方形平面となる。当本殿は一見すると権現造のような外観を呈するが、前殿と後殿が相の間により一体化され、前殿の正面には千鳥破風でなく縋破風(すがるはふ)を上げている点に違いが認められ、固有の複合社殿と見ることができる。

祭文殿及び東西回廊

当社は、「延喜式」神明帳(延喜五年・905)に丹羽郡大県神社とあり、「尾張国内神明帳」(貞治3年・1364)には正一位大県大明神とある名社である。万治2年(1659)に炎上し、寛文元年(1661)に尾張二代藩主徳川光友により、本殿、祭文殿及び東西回廊が再興された。祭文殿は、桁行1間、梁間2間、四脚門形式、切妻造、檜皮葺の建物である。柱は総丸柱とし、正背面の控柱間では、柱上に頭貫(かしらぬき)を通し、柱頂に大斗(だいと)・実肘木(さねひじき)をおき、中備に皿斗付の巻斗・実肘木(さねひじき)を入れ、軒桁を支え、主柱間では、蹴放(けはなし)・付敷居ならびに内法貫を通し、方立を入れ、内法貫に藁座(わらざ)を打ち、敷居を軸受けとして双折格子扉(もろおりこうしとびら)を外開きに吊っている。内法上部では差し肘木付の大虹梁を渡して固めている。東西回廊は、共に桁行5間、梁間2間、切妻造、檜皮葺、両袖塀付である。回廊は、祭文殿の左右に対称形に造られ、祭文殿寄りの3間は複廊形式とし、両外側2間を収納庫としている。(杉野 丞)

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