
位置図
■登録理由
長野を北南に縦断し名古屋に通じる伊那街道の難所伊勢神峠に建設された長さ308m、幅員約3mの総花崗石造の隧道。ルスチカ積のピラスターと、仕上げの異なる二重迫石からなる馬蹄形坑口でポータルをつくる。中部地方における明治期の代表的道路隧道の一つ。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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■詳細解説

坑口
長野を南北に縦断し名古屋に通じる伊那街道と、尾張・三河を結ぶ飯田街道は、中馬(ちゅうま)(賃馬)で荷駄を運ぶ通商の道として、別名「中馬街道」とも呼ばれ、足助町(現豊田市足助町)は街道の中継地として、山間部と平野からの物資集積の地であった。
その飯田街道の難所の1つが伊勢神峠で、昔、伊勢神峠は「石神峠」とか「石亀峠」と呼ばれていたが、文久4年(1864)、伊勢神宮遥拝所が設けられ伊勢拝峠と改められ、後に現在の「伊勢神峠」と呼ばれるようになった。
近年に入りこの街道の改修工事が進められる中で、難所の伊勢神峠に長さ308mの総花崗石造のトンネル(幅3.2m高さ3.3m)が開削され、明治30年(1897)11月に竣工した。坑口は左右両側に補強と装飾を兼ねた石積の壁柱を有し、アーチは仕上げの異なる2重の迫石(せりいし)で造られており、中部地方における明治期の代表的道路隧道の一つである。(馬場慎一)