愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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料亭河文(りょうていかわぶん)主屋・表門・塀及び脇門・新用亭及び渡廊下・用々亭・厨房

分類 国・登録文化財
種別 建造物
所在地 名古屋市中区丸の内2-12-19
所有者等 株式会社 河文
指定(登録)年 平成17年(2005)
時代 主屋:昭和25年(1950)
表門・塀・脇門:昭和25年(1950)
新用亭:昭和25~27年(1950~52)
渡廊下:昭和25~27年(1950~52)
用々亭:昭和25~27年(1950~52)
厨房:昭和12年(1937)/昭和25年(1950)増築

※ 別ウインドウで開きます

正面

正面

■登録理由

主屋

江戸時代中期から続く名古屋屈指の老舗料亭の主屋。2階建、入母屋造、桟瓦葺で、1階東方に帳場や土間を配す以外は客室とする。座敷飾を備えた座敷や和風を基調とした洋間を廊下や鞘の間で適当な距離をおいて配し、格調高くゆとりのある接客空間を創出する。

登録の基準 造形の規範となっているもの
表門、塀及び脇門

名古屋城の南、東西に走る魚の棚通りに南面し、東寄りに表門を開き両脇を屋根付の高塀で仕切る。表門は棟門形式を基本とするが、前後一段下に庇を付け、前方の庇の正面は柱を立て3分し中央に戸口を構える。比例や形式を工夫して格式ある構えを実現している。

登録の基準 造形の規範となっているもの
新用亭・渡廊下

主屋北に建つ離れ。平屋建、入母屋造、桟瓦葺で、10畳の座敷と5畳の鞘の間を南北に並べ、南・東・北3方に広縁を廻らす。南西に接続する渡廊下は、両下造、化粧屋根裏で、床は中央畳敷、両側板張とする。木柄の細い瀟洒な構えでくつろいだ接客空間を造る。

登録の基準 造形の規範となっているもの
用々亭

主屋北西に位置し渡廊下で連絡する。平屋、切妻造、桟瓦葺一部銅板葺で、6畳主室の南を幅1間弱の廊下とする。柱や桁に丸太を用い、掛込み天井等で変化に富んだ室内を構成し、各面とも大きく開口部を開き茶屋風に造る。小規模で簡素ながら瀟洒(しょうしゃ)な意匠になる。

登録の基準 造形の規範となっているもの
厨房

主屋の北面東端部に接続する。鉄筋コンクリート造、2階建、陸屋根の主体部を中心に、南及び西に戦後復興された木造の下屋や廊下を付設する。主体部は装飾を廃した機能的で簡明な造りだが、内部の磁器タイル、鉄骨階段、滑り出しの窓などに時代の特徴を示す。

登録の基準 造形の規範となっているもの

■詳細解説

表門

表門

玄関

玄関

2階主座敷

2階主座敷

新用亭

新用亭

洋間

洋間

新用亭、手前は流れ床の庭

新用亭、手前は流れ床の庭

渡廊下

渡廊下

江戸時代、名古屋城下町の魚の棚(うおのたな)通には、「魚の棚四軒」と呼ばれる料理屋が店を構えていたとされる。そのひとつである料亭河文の創建は、約350年前で、初代河内屋文左衛門による。名古屋屈指の老舗料亭とされる。
第二次世界大戦中の名古屋空襲で建物を焼失したが、昭和25~27年(1950~52)にかけて建物が再建され、現在に至っている。設計は篠田川口設計事務所。

主屋(しゅおく)

魚の棚通に面して、主屋を置く。しかし、高級料亭らしく、道路境に塀を建て格式を整えている。主屋は、桟瓦葺、入母屋造、木造2階建で、昭和25年(1950)の再建。
1階玄関(6畳)と鞘の間を中心にすると、東側には帳場と下足室などがあり、西側には洋間、あかねの間、中座敷などの客間が配されている。
洋間は、梁柱を外部に見せ、その間を漆喰仕上としている。床は寄木張で、西側に暖炉を置く。大きさは2間×3間と小振りだが、品の良い部屋で、待合などに使用されている。
主屋1階の広間は、あかねの間(10畳間)と呼ばれるが、南北に入側と廊下を持つ。入側の天井は北寄りが網代(あじろ)張、南寄りが化粧屋根裏。
主屋2階は東西廊下を挟み、複数の客座敷が並ぶ。主座敷は10畳間で、1間幅の床の間、付書院、天井に接した戸棚(天袋(てんぶくろ))のある床脇(とこわき)を持つ。主屋の部屋は格調高い接客空間となっている。

表門・塀及び脇門(おもてもん・へいおよびわきもん)

魚の棚通に面して、延長約25mの高塀がそびえる。腰部は竪板張、上部は開口部のある白壁、その上に瓦屋根をのせる。高塀越しに前庭の樹木の梢(こずえ)がのぞく。高塀の東寄りに表門と脇門がある。表門は棟門型式であるが、高塀に合わせ高くしている。このため、高くなった表門に軽い感じの庇を付け、バランスをとっている。表門の間口は3.9mであるが、中央1間に格子戸と板戸を入れ、両側への引戸としている。
脇門は表門の東脇に位置する。ここから、通り土間、帳場、厨房に至ることができる。高塀の屋根の下に銅板葺の庇をつけ、その下に板引戸をつける。建造は主屋と同じ昭和25年(1950)。

新用亭及び渡廊下(しんようていおよびわたりろうか)

主屋北側の中庭と「流れ床の庭」に挟まれたところに新用亭がある。桟瓦葺、入母屋造、木造平屋建で、北側と東側の軒先は銅板で、その奥を瓦葺とした庇がつく。この屋根と庇の構成は、北側の「流れ床の庭」からの眺めを意識したものとなっている。
新用亭には、10畳の座敷と5畳の鞘の間がある。部屋のまわりは、内側を畳敷、外側を板敷とした廊下をまわす。10畳の座敷と鞘の間の境には板欄間を入れる。座敷には、1間幅の床の間を設える。床の間の北側には書院窓をつけた平書院(ひらしょいん)を配す。床脇は、地板に接して戸棚(地袋)を置く。地袋の上に障子戸を建て、明かりをとる。戦後再建期の昭和20年代の建築。
渡廊下は船底天井で、天井板や化粧垂木を見せる化粧天井。壁は、一方が窓で、他方をガラス戸にし、変化を持たせている。

用々亭(ようようてい)

用々亭は、「流れ床の庭」の南に位置する。安政年間に焼失した建物を再建する時に、工事用仮小屋として使われた建物を茶室に転用し、初代用々亭とした。無用の物を用立てることから用々亭と名づけられたとされる。
現在の用々亭は、戦後に造られたもの。切妻造、平屋建、桟瓦葺で、軒先部は銅板葺とする腰付屋根となっている。北側妻面には銅板葺の庇が付き、下部に板敷の濡縁(ぬれえん)がある。「流れ床の庭」に対して、北側と東側に開く。
室内は、床の間などの飾は一切ない簡素な6畳間。天井は斜めの掛込天井と平天井で、茶室風の仕立。東側窓には吹寄せの竪桟を持つ障子をたて、西側を障子窓とする。正面北側は網代の腰付障子とし、障子を開けることで視線を庭に集中させる工夫がこらされている。

厨房(ちゅうぼう)

主屋の東北部に、戦災で焼け残った建物がある。鉄筋コンクリート造2階建の厨房である。昭和12年(1937)に建築された。戦後の再建に際し、主屋と厨房の間に附属屋などが増築された。厨房の腰壁には白色磁器タイルが張られ、衛生的で機能的な建物になっている。2階は物置。1階と2階は室内階段でつながれている。(瀬口哲夫)

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