愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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寂光院(じゃっこういん)本堂・随求堂・弁天堂・山門

分類 国・登録文化財
種別 建造物
所在地 犬山市継鹿尾杉ノ段12
所有者等 寂光院
指定(登録)年 平成17年(2005)
時代 本堂:明治12年(1879)
随求堂:文化2年(1805)
弁天堂:文政3年(1820)
山門:天保7年(1836)

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■登録理由

本堂

桁行5間、梁間5間、寄棟造、正面1間向拝付、桟瓦葺で、4周に切目縁を廻す。前2間分を吹放しで小組格天井の外陣とし、後方の内陣には禅宗様須弥壇を構え、厨子を置く。軸部は円柱で、組物は出組とする。装飾を押さえた伝統的形式になる本格的な本堂建築。

登録の基準 造形の規範となっているもの
随求堂

本堂西に東面して建ち、渡廊下で結ばれる。桁行5間、梁間3間、一軒、入母屋造、桟瓦葺で、4周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。軸部は角柱で床下部を高くつくり、縁を絵様付持送り板で受ける。側廻りに蔀戸を多用した住宅風の外観は籠堂の性質を示している。

登録の基準 造形の規範となっているもの
弁天堂

本堂北方の高所にある。ほぼ正六角形の平面をもつ小堂で、前半を吹放しで板床張の見世棚風とし、中央境に格子戸を設け、後方を板壁で囲った内陣とする。柱や屋根を六角形につくり、天井の棹や垂木は放射状に配る。弁天像台座裏の墨書銘と同時期と考えられる。

登録の基準 造形の規範となっているもの
山門

境内入口に建つ。形式は1間1戸薬医門で、二軒繁垂木、屋根は切妻造、本瓦葺である。組物は三斗で、妻は詰組、背面は中備に龍の彫物を入れる。妻飾は大瓶束で、両側には牡丹を彫った笈形をつける。木太いつくりで、虹梁・木鼻の絵様に時代の特徴がみられる。

登録の基準 造形の規範となっているもの

■詳細解説


南側正面

本堂の組物・虹梁形頭貫

本堂の組物・虹梁形頭貫

本堂内宮殿

本堂内宮殿

随求堂の西南側、右は本堂

随求堂の西南側、右は本堂

随求堂東南側右は渡り廊

随求堂東南側右は渡り廊

弁天堂正面

弁天堂正面

山門西南側

山門西南側

正面扉

正面扉

西側妻詳細

西側妻詳細

寂光院

寂光院の草創は古く寺伝によると白雉5年(654)法相宗の寺院「白鳥山神宮寺」と号して道昭により開基され、養老年間(717-723)に「継鹿尾山(つがおさん)八葉蓮台寺」と改号し、弘仁年間(810-823)に弘法大師の留錫により真言宗に改め、子院18、黒印寺領500石有した。その後火災で焼失し、廃寺となったが永禄8年(1565)織田信長により黒印50石、山林50町歩余を施入し、復興を命じたと伝える。寂光院は八葉蓮台寺の子院の一つであった。

本堂(ほんどう)

本堂は麓の庫裏がある敷地から東側の石段を300段ほど上った山頂に所在する。この見晴台からは、木曽川から鵜沼(うぬま)の町、岐阜まで濃尾平野を一望する。信長は戦略上の拠点として黒印を与えたものであろう。
桁行5間、梁間5間、寄棟造、桟瓦葺で正面に向拝1間付、4周に縁を廻す。正面側2間は吹放しで小組格天井(こぐみごうてんじょう)の外陣(げじん)とし、後方の内陣(ないじん)は禅宗様の須弥壇を構え、宮殿(くうでん)を安置し千手観世音菩薩を祭る。内外陣境は木連格子戸(きづれこうしど)とし、軸部は円柱で、頭貫(かしらきぬ)は虹梁(こうりょう)型、組物は出組(でぐみ)とし、二軒繁垂木(ふたのきしげだるき)、瑞雲(ずいうん)の彫刻付き板支輪(いたしりん)、装飾を抑えた伝統的形式による本格的な本堂建築で、棟梁は尾張藩御大工竹中一門である。

随求堂(ずいぐどう)

本堂西に東面して建ち、渡廊下(わたりろうか)で結ばれる。桁行5間、梁間3間、一軒(ひとのき)繁垂木、入母屋造、桟瓦葺で、四周に擬宝珠高欄(ぎぼうしゅこうらん)付きの縁を廻す。軸部は角柱で柱上は直接桁(けた)を受ける。床下部を高くつくり、縁を絵様付持送(えようもちおくり)板で受ける。内部は畳敷きの広い一室で、背面側に仏壇を設け、中央に黒漆塗丸柱3間、虹梁、出組斗きょう(でくみときょう)、その前方に四天柱(してんばしら)を配しているが、四天柱は後補である。側廻りに蔀戸(しとみど)を多用した住宅風の外観は籠堂(こもりどう)の性質を示し、簡素な造りである。文化2年(1805)銘の擬宝珠、内部柱に天保年間の墨書があることなどから、文化2年の建築と思われる。大工棟梁は不明であるが、竹中一門の手になるものと思われる。

弁天堂(べんてんどう)

弁天堂は本堂裏側の300段の石段を登りつめた左側に所在する。ほぼ六角形の平面を持つ小堂で前半を吹き放し、板床張りの見世棚風(みせたなふう)とし、中央境に格子戸を設け、後方は板張りで囲った内陣とする。一軒疎垂木(まばらだるき)、屋根銅板葺、柱や屋根を六角形に造り、天井の棹縁(さおぶち)や垂木は放射状に配る。弁天像台座の墨書銘と同時期ものと思われる。

山門(さんもん)

山門は継鹿尾(つがお)山麓の西側に位置し、庫裏(くり)の正門である。1間一戸薬医門(やくいもん)で左右に袖塀(そでへい)、潜戸一戸付、二軒繁垂木、切妻屋根、桟瓦葺である。男梁(おばり)を本柱上の冠木(かぶき)から控柱まで架け渡し、両端に出三斗組(でみつどぐみ)、中央に平三斗組(ひらつどぐみ)を配して、虹梁(こうりょう)を支持し、大瓶束大斗実肘木(たいへいづかだいとさねひじき)で化粧棟木(けしょうむなぎ)を支え、牡丹の笈形(おいがた)を付ける。扉は八双金物(はっそうかなもの)、乳金物(ちちかなもの)、菱形鋲(ひしがたびょう)を打ち、冠木上中央に群猿の彫刻を置き、女梁(めばり)、男梁(おばり)は絵様木鼻付き、背面側虹梁上には龍の彫刻を配する。屋根は現在桟瓦を載せているが、当初は本瓦葺きであった。棟札により、天保7年(1836)に大工棟梁は尾張藩御大工の竹中泉正敏により建築されたことが分かる。薬医門の傑作である。(長谷川良夫)

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