愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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甘強味醂(かんきょうみりん)旧本社事務所・工場・住宅主屋・住宅土蔵

分類 国・登録文化財
種別 建造物
所在地 蟹江町本町字海門96番地他
所有者等 甘強酒造株式会社および個人
指定(登録)年 平成17年(2005)
時代 旧本社事務所:昭和12年(1937)
工場:明治10年(1877)頃/明治39年(1906)・大正2年増築
住宅主屋:大正12年(1923)・昭和12年(1937)一部改造
住宅土蔵:大正12年(1923)

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旧本社事務所

旧本社事務所

■登録理由

旧本社事務所(きゅうほんしゃじむしょ)

蟹江川に西面して建つ。南北に細長い台形平面のRC造3階建塔屋付であるが、堤防際のため、西面は2階建外観になる。窓は縦長の上げ下げ窓、外壁はスクラッチタイル張、頂部はコーニスを廻し、玄関はテラコッタ飾りで縁取る。地方における事務所建築の好事例。

登録の基準 国土の歴史的景観に寄与しているもの
工場(こうじょう)

敷地東にコの字型平面で建つ。北辺が古く、次に西辺が増築、これより東に延びた南辺が増築、現在の形となった。土蔵造2階建を基本とするが、一部煉瓦壁を用い、外壁の高い位置に窓を整然と並べる。伝統産業の発展過程を示す施設で、独特の景観を創っている。

登録の基準 国土の歴史的景観に寄与しているもの
住宅主屋(じゅうたくしゅおく)

社屋と工場の間にある2階建の和風住宅。東西棟の入母屋造、桟瓦葺、西面に玄関を設けた妻入で、東面に茶室を接続し、北辺が増築部である。良材を用い、洗練された書院造風を基調としつつ、2階の洋室や開放的な開口部を設け、当時の住宅の有様を示している。

登録の基準 造形の規範となっているもの
住宅土蔵(じゅうたくどぞう)

主屋の南東隅にあり、蔵前は主屋と接続している。土蔵造2階建、南北棟の切妻造、桟瓦葺で、1階西面に観音開扉を設け、東面の窓には庇を架ける。外壁は黒漆喰塗、頂部に鉢巻を廻す。小屋は登梁式とし、垂木を用いずに厚板を載せる。堅牢なつくりになる土蔵。

登録の基準 造形の規範となっているもの

■詳細解説

甘強味醂住宅〔左〕・蔵〔中央〕・工場〔右奥〕全景

甘強味醂住宅〔左〕・蔵〔中央〕・工場〔右奥〕全景

社屋、住宅、工場が建つ敷地は、蟹江町の中心を流れる蟹江川の左岸に位置し、蟹江町の旧市街地の中心に位置している。社屋は、敷地の西端に位置し、川沿いに通る堤防道路に面している。住宅は、社屋の東側に位置し、住宅の2階と社屋の2階は渡廊下で結ばれている。住宅の東側に土蔵が附属している。工場は住宅の東側に位置し、コの字型に配置されている。
甘強味醂では、蟹江川の水運を利用して原材料や製品の運搬を行っていたため、社屋やそれ以前に会社の事務所を置いていた住宅棟のいずれもが、川側に正面の入口を設け、川からのアクセスが容易になるように配置されている。
旧本社事務所は、鉄筋コンクリート造3階建で、外壁にタイルが貼られている。建物の1階は倉庫、2階には玄関や応接室、事務室、3階には和室と応接室が設けられている。2階の東側には、隣接する住宅の2階に通じる渡廊下が設けられている。渡廊下を通って住宅に入ると、右手に洋間の応接間があり、そこも、会社の賓客を接待する部屋として使われていた。また、旧本社事務所には、屋上があり、さらに塔屋がついている。屋上から塔屋の屋根にも上れるように階段が設けられている。屋上や塔屋は、社屋前の蟹江川に設けられた船着場や蟹江川全体を見渡す場として使用されたと推察できる。なお、文献資料により、この建物は、当時、名古屋市中区にあった水谷工務所(水谷清ニ郎)の設計・施工である。
住宅は、木造2階建で、大正12年(1923)の竣工と伝えられる。竣工時には、1階の西側にある玄関と土間、さらにそれに面する部屋は、「みせ」と呼ばれ、会社の事務所として使われ、その後、昭和12年(1937)の旧本社事務所の新築に合わせて、2階の洋間や渡り廊下とともに改造された。この住宅の小屋組は、日本の伝統的な和小屋であるが、東側に1ヶ所のみトラスが使われている。なお、文献資料より、明治時代初期には同じ場所に木造茅葺平屋建の住宅が建っていたことが判明しており、規模や部材から判断すると、現在の建物は、旧住宅の一部を利用しながら建てられたと推察される。また、この住宅は、和室を主体として、応接部分のみを洋室とする典型的な近代和風建築である。
住宅の東側には、この住宅と一緒に建てられた土蔵があり、住宅の廊下から土蔵に入るように配置されている。
工場は、住宅に隣接する場所に、明治10年(1877)頃建てられた建物を使いながら、明治時代半ばに二度の増改築をおこなった後、明治39年(1906)から大正2年(1913)にかけて、南東部分と南側部分の増築を大規模に繰り返し、現在の規模と配置になった。工場の南西角にある煉瓦造の壁は、明治39年の増築時に造られたもので、工場内部の断熱効果を確保するために建てられたとされる。文献資料から、この増築部分は、棟梁磯部吉次郎が請け負っていることが判明している。(西澤泰彦)

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