分類 | 国・登録文化財 |
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種別 | 建造物 |
所在地 | 犬山市 |
所有者等 | 個人 |
指定(登録)年 | 平成18年(2006) |
時代 | 主屋:明治16年(1883) 離座敷:大正頃(1912) 渡り廊:明治26年頃(1867) 土蔵:明治26年頃(1867) 作業場:明治26年頃(1867) 高塀:昭和初年頃(1926) |

主屋北東側全景
■登録理由
主屋
北側道路に沿って建つ木造2階建で、切妻造、桟瓦葺の平入である。桁行9間半、梁間4間で、表と裏に瓦葺半間の下屋がつく。南面西端には水屋が付属する。内部は西に土間と台所、東に六間取の居室を配す。2階は座敷2室の他は物置とし、養蚕を行ったと伝える。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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離座敷
主屋の南面東端に接続する木造平屋建で、桁行5間、梁間2間半の入母屋造、桟瓦葺とする。床、棚を備えた8畳座敷と押入を取り込んだ次の間7畳からなる。西面から南面へ縁を巡らせ、ガラス障子を建て込み、ガラス欄間を設ける。近代和風建築の一例である。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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渡り廊
主屋南面西端の水屋から敷地西辺に沿って南の土蔵前まで延びる。桁行9間、梁間7尺規模、片流れ屋根の桟瓦葺である。敷地外側の壁上部は波板鉄板張で、腰を押縁下見板張とする。内部には物置、便所、風呂等を配し、敷地内側に設けた土庇下を通路とする。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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土蔵
敷地の中央に建つ、桁行4間半、梁間2間半の土蔵造2階建で、切妻造、桟瓦葺とする。北側に片引戸の戸口2箇所を設け、1間幅の瓦葺庇をつける。外壁は漆喰塗で、軒下まで押縁下見板張で養生する。内部は西から2間位置で間仕切りする。小屋組は登り梁である。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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作業場
土蔵の東に接続する切妻造、桟瓦葺の木造平屋建。桁行3間半、梁間2間の物置に、落棟で桁行3間、梁間2間の農作業小屋が接続し、これに桁行3間、梁間2間の蚕室を並置する。外壁は真壁造の白漆喰塗りで、腰を下見板張りとする。同家の生業を示す遺構である。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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高塀
敷地の北辺、主屋の前面に並行する木造の塀である。折曲がり延長22mで瓦屋根を葺く。玉石積の基礎上に建ち、要所に控柱を添える。外面は腰に波形鉄板張り、内面は土壁中塗仕上げとする。主屋との間は1間半幅の前庭とする。重厚な街路景観を形成している。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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■詳細解説

主屋玄関

表側奥座敷
10畳室は根太天井

離座敷西側

部屋境の欄間
桐板に草花の彫物

渡り廊西側
水屋から土蔵まで

同左渡り廊内側
手前は井戸

土蔵北面

通り庭に面した井戸

作業場北面
土蔵の左側に隣接

作業場南東面

作業場南面
手前が物置、右は農作業小屋

高塀北面

高塀内側
主屋(しゅおく)
堀部家住宅は犬山城下より名古屋に通じる街道「名古屋往還」の外堀桝形(ますがた)を出て東に一筋入った位置に所在する。ここは江戸時代足軽組長屋が所在した場所である。堀部家は代々成瀬家に仕えた武士であったが、明治初年に第12代堀部勝四郎(天保3年生)がこの土地を購入し、養蚕業を営んだ。主屋は明治16年(1883)の建築である(棟札)。
主屋は北側道路に沿って建つ、木造2階建、切妻造(きりづまつくり)、桟瓦葺(さんがわらぶき)、平入である。
桁行9間半、梁間4間で、座敷の北と南に半間の下屋(げや)、東側は2間の下屋が付く。
内部は西に入口土間と台所、東側奥は北側に床、棚付きの8畳室を、次に10畳室、8畳室を並べ、南側奥は1間の床と押入付の8畳室、箱階段付の10畳室、8畳室を配した整形6間取りの居室を配し、居室の南北と東側に縁を廻らし、東側は縁の外側に半間幅の押入、便所を配している。
東側の奥座敷2室は棹縁天井(さおぶちてんじょう)で、長押(なげし)を付けるが、他の室は根太天井(ねだてんじょう)、差鴨居(さしかもい)である。
南側中座敷北東隅の箱階段を2階に上ると、廊下で東側に、床と棚付きの6畳室2室を配し、それぞれ外側に畳廊下をつけ、南側6畳室は西側に1間の押入を配している。廊下の西側は小屋裏で明治期には養蚕が行われていた。
離座敷(はなれざしき)
主屋の南面東端に接続する木造平屋建(ひらやだて)で、桁行5間、梁間2間半の入母屋造(いりもやづくり)、桟瓦葺。
床(とこ)、棚(たな)付の8畳室と押入を取り込んだ7畳室の2室からなり、西と南側に縁を巡らせ、ガラス障子を建て込み、ガラス欄間(らんま)を設ける。2室とも棹縁(さおぶち)天井(てんじょう)、長押(なげし)付で、廊下の縁板は幅5寸長さ3間の檜縁小板(ひのきえんこいた)を用いるなど近代和風建築の一例である。建築年代は明確でないが、大正時代と推定。
渡り廊(わたりろう)
主屋南西端の水屋(みずや)から敷地西辺に沿って南の土蔵まで延びる。桁行9間、梁間7尺規模、片流屋根(かたながれやね)、桟瓦葺である。敷地外側の壁上部は波板鉄板張りで、腰を押縁下見板張(おぶちしたみいたばり)とする。内部には井戸、物置、便所、風呂等を配し、敷地内に設けた土庇(つちびさし)下を通路とする。建築年代は明確でないが土蔵と同じく明治16年(1883)と推定。
土蔵(どぞう)
主屋南側中庭の南側端中央に建つ、桁行4間半、梁間2間半、土蔵造、2階建で、切妻造(きりづまづくり)、桟瓦葺とする。北側に片引戸2か所を設け、内部1階は中央で間仕切り2室になるが、2階は1室である。蔵前は一間幅の瓦葺土庇を付け、壁は漆喰塗りとするが、腰は洗い出し仕上とする。正面側以外の外壁は漆喰塗で、軒下まで押縁下見板張とする。出入口扉は設けず、土塗戸、板戸、網入戸の片引戸3重の締りである。小屋組は登梁(のぼりばり)である。棟札によると明治24年(1891)に大工棟梁、は服部市之助により建築されたことが分かる。
作業場(さぎょうば)
主屋南側中庭の南端に所在する土蔵の東端に隣接する切妻造、桟瓦葺の木造平屋建。桁行3間半、梁間2間の物置に、落棟(おちむね)で桁行3間、梁間2間の農作業小屋が接続し、これに桁行3間、梁間2間の蚕室を並置する。外壁は真壁造の白漆喰塗で、腰を下見板張とする。当家の生業を示す遺構である。
高塀(たかべい)
敷地の北辺、主屋の前面に並行する木造の塀。折曲がり延長22mで桟瓦葺、玉石積基礎上に建ち、要所に控え柱を添える。外面は腰に波形鉄板を張り、内面は土壁中塗仕上とする。主屋との間は1間半幅の前庭とする。建築年代は昭和初年と推定。主屋の前にあって重厚な街路景観を形成している。
この屋敷は明治16年(1883)の建築であるが、天保14年(1843)頃建築の御用瓦師の尾関家住宅と規を一にする造りである。質素な造りで襖の金具など細部にも随所に武士好みを偲ばせるものがある。
禄を離れた武士が我が国の近代化に貢献した養蚕によって財をなした経過も分かり、住宅史上にも貴重な遺例である。(長谷川良夫)