元治元年頃(1865年)尾張藩の武家屋敷に女中奉公をしていた「八重女」という女性が、又八地区(現在の弥富市又八)の大島新四郎方に嫁入りした時、日頃世話をしてきた桜文鳥をもらって持参したのが弥富市で文鳥飼育が始まった由来です。又八地区を中心に近隣の農家の間でも文鳥飼育が副業として盛んになりましたが、明治の初頭になって突然変異により「白文鳥」が誕生し、これを飼育改良の結果、現在のように日本唯一の白文鳥の特産地にまで発展して、趣味と実益を兼ねた文鳥飼育が盛んになりました。
写真1 白文鳥発祥地の石碑
文鳥は人になつくのが特色で、手乗り文鳥として人々に愛されています。最近は、従来の「桜文鳥」、「白文鳥」に加え、羽毛が茶色がかった「シナモン」や灰色の「シルバー」が育成され、希少性が評価されています。
写真2 かわいい文鳥
毎年、春の桜祭り、秋の農業フェスティバルの2回、展示販売が行われます。展示販売は、日本でも弥富市だけです。生産者は高齢化により減少しましたが、全国に文鳥マニアがおり、多くの方が生産地を訪れています。
写真3 弥富市内の文鳥マスコット
農林水産部農業経営課普及・営農グループ
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