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(1) 知多の黒鍬 黒鍬
 江戸時代から明治、大正時代にかけて、知多半島の各地に「黒鍬」と呼ばれた土木技術集団がいました。普段は農家で、農閑期に田畑の開墾やため池、用排水路作りの他、道路や護岸工事などの土木作業にあたりました。知多半島のため池の工事だけでなく、声がかかると遠く近畿地方まで出稼ぎに出ました。大阪府の狭山池等の改修工事に参加したとの記録(大阪府狭山池博物館資料)もあります。
黒鍬(くろくわ):知多市歴史民俗博物館
(2) マンボ
 池と池を連絡したり、池と水田地域へ用水を導くための地下水路が掘られている。これらをこの地方では、マンボあるいはマンボーと呼んでいます。
 美浜町矢梨地区の新池には池と池を結ぶ127mの水路と池と水田を結ぶ182mの水路があります(美浜町誌)。美浜町、武豊町内に数か所、現存します。
 なお、マンボはかんがい用水などを取水するためのトンネルで、三重県、岐阜県にも見られ、イランのカナートも同種のものです。
マンボの縦坑 マンボの縦坑
新池から用水を引くマンボの縦坑 美浜町) マンボの縦坑 深さ6.5m
(3) 桝池と条里制〔参考:図説知多半島の歴史 H7発行〕
 近畿地方、濃尾平野には、飛鳥時代・奈良時代の条里制とよばれる方形に区画した水田がありました。知多半島のせまい平野部にも認められ、常滑市小倉の桝池は、一辺が約100mの堤防で囲まれた正方形の皿池であり、そのなごりと思われます。 桝池
桝池:中央が桝池で、池の西(左)と南(下)は未整備で条里制が見られる(昭和55年撮影)常滑市


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