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窯場今昔100選  仲野泰裕

(2) 三田焼

  • 青磁牡丹文重箱 三田 江戸時代後期 総高57.2センチ 愛知県陶磁資料館蔵
   三田焼(さんだやき)は、兵庫県三田市の三輪、虫尾、志手原地区において焼かれた陶磁器の総称で、天狗ヶ鼻窯、三輪上野窯、三輪明神窯、三輪明神前窯、虫尾新田窯、志手原窯、志手原新窯などの釜跡が知られている。豊かな造形とその独特の色調から、三田青磁と呼ばれて名高い青磁製品をはじめとして、染付、赤絵などがあるが、特に型製品に優品が多く知られている。

 三田焼は、宝暦年間(1751-64)に小西金兵衛が志手原窯を開いたのが、その始まりとされ、粗い陶胎に白化粧を施した製品であった。その後、志手原窯で修行した内田忠兵衛が青磁を手がけたが、三田城下の豪商神田惣兵衛がこれを援助したことにより、大きく発展し全国に三田青磁として、その名を轟かせるほどとなった。文化年間の末期から天保年間(1830-44)が最盛期であり、京都の欽古堂亀祐が招聘され、型成形や青磁釉などの指導をしている。その後、曲折を経るものの操業は継続されていたが、昭和10年代には最後の窯となった志手原新窯が窯を閉じている。

 このような三田焼諸窯の内、三輪明神窯跡と虫尾新田窯跡が発掘調査されている。その内、三輪明神窯跡においては、横狭間の蓮房式登窯3基と素焼窯1基が検出された。江戸時代後期にもっとも盛んに焼かれた3号窯跡は、遺構の重複のため全掘されていないが、推定全長約52メートル、最大幅9.2メートル、斜面を利用して階段状に築かれた焼成室は14室以上あったと考えられている。また、明治から昭和にかけて使用され、焚口から煙出しまで最も保存状態の良い1号窯跡が昭和47年(1974)兵庫県の史跡に指定されている。

 その後、周辺の確認調査と窯体を中心とした保存整備.事業が実施されており、県の指定を受けている1号窯跡を中心とした「三輪明神窯史跡園」として、平成15年12月2日以降、一般公開されている。施設内には、三田焼参考資料の展示コーナーの他、陶芸学習棟を併設している。(JR三田駅から徒歩10分、三輪神社裏手)  三田焼関連資料は、三田市立歴史資料収蔵センター(屋敷町、旧金心寺跡)の他、三田市立図書館特別展示室(JR三田駅からバス)では、故細見英氏の三田焼コレクションを観覧できるが、いずれも休館日確認が必要。なお先回紹介した兵庫県陶芸館(仮称・17年度秋開館予定)のコレクションにも優品が知られる。
(写真の作品)
青磁牡丹文重箱 三田 江戸時代後期 総高57.2センチ 愛知県陶磁資料館蔵
この作品は、型成形による大形の四段重で、窓絵状の構図を四面に配し、それぞれ牡丹文を浮き彫にしている。全体に深みのある青磁釉がかけられている。また内面中央部(写真右)に、側面とは異なるデザインの牡丹文が施されており、花弁部分を無釉にすることにより、緋色を引き出し、青磁釉と美しく調和している。

(平成16年 『釉人』第64号掲載)

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