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コラム

窯場今昔100選  仲野泰裕

(3) 湖東焼

  • 赤地金襴手花入
  • 染付木瓜形向付
  滋賀県彦根市古佐和町の佐和山山麓で焼かれた陶磁器。
 文政12年(1829)彦根城下の古着商絹屋半兵衛が絹屋窯を開き、染付・赤絵などの良質の磁器を焼造したことに始まる。天保13年(1842)彦根藩の召し上げとなり、窯や関連施設を大幅に増改築する一方で、瀬戸・九谷・京都などから職人を招き、藩の御用窯としての体制が整えられた。

 その中には、瀬戸の岸太郎などの名が認められる。特に十三代藩主井伊直弼(在職1850-60)の代には黄金期を迎えることとなっている。直弼は茶人として知られるほか、自ら楽焼の作品を残すなど、やきものに強い興味を示しており、直弼の保護のもと鳴鳳、幸斎などの上絵付師にも恵まれ、やや青みのある白磁胎の染付・金襴手・赤絵や青磁など磁器製品を中心とした多くの優品が誕生している。

 また染付、赤絵、金襴手などの煎茶器や文房具が多く焼かれていたことは、あまり知られていない特徴のひとつで、その優品を藩が積極的に買い上げているのである。これは、直弼が茶の湯に限ることなく、幅広いお茶の文化を懐深く受け入れていたことを物語っており、下屋敷である「槻御殿」には、煎茶席としての「楽々の間」が設けられており現在も保存されている。
 しかし万延元年(1860)に直弼が桜田門外で暗殺された後は、急速に藩庁の援助を失っており、文久2年(1862)に閉窯となった。その後、窯場・設備等の払い下げを受けた山口喜平らによって、再び民間経営の窯として、明治28年(1895)まで細々と存続している。

 湖東焼は、彦根城内にある彦根城博物館に常設展示コーナーがある。また彦根城旧中濠に架かる京橋から東西へ伸びる約350メートルのとおりが、平成の城下町「夢京橋キャスルロード」として再現されている。その中程に湖東焼再現に取り組んでいる中川一志郎氏の作品を紹介するギャラリーがある。

(平成17年 『釉人』第65号掲載)

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