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コラム

窯場今昔100選  仲野泰裕

(7) 笹島焼

  • 花形透し覗絵盃台
  江戸時代後期の名古屋城下においては、生業のやきものとして、軟質施釉陶器を焼いた窯が知られている。その代表的な窯のひとつとして笹島焼がある。

 笹島焼は、文化年間(1804-18)、名古屋笹島(現在の名古屋市中村区名駅)に、牧朴斎(1782-1857)が開いた軟質施釉陶器窯である。朴斎は画を月樵に学ぶ一方で彫刻も得意としており、これらを陶芸に生かして、様々な土型を用いたり鮮やかな色彩や山水などで器面を飾っている。茶器、酒器、置物などを制作し名工として知られ、尾張藩十二代藩主徳川斉荘(なりたか)の御前制作や、名古屋場内の御庭焼である萩山焼に奉仕した他、『尾張名所図会』(1844)などにも紹介されている。
 その後、三代続いたが、名古屋駅の拡張に伴い、大正12年(1923)頃廃窯となった。

 「篠嶋」「篠島」「笹嶋」「笹島」などの印銘が知られる。また、笹島地区は愛知万博関連会場などとして利用されているが、窯跡の所在などは不明である。
【作品解説】
この盃台には、盃台の他に箱状の器が付属しており、その上面には花形の透かし彫りの文様がある。そして、その内面は空洞になっており、木や紙で宴席の状況を製作し彩色したものが収められている。この器の上部に付けられた覗き穴から、中の状況を角度を変えて楽しみながら、盃をかたむける酒肴となっている。

(平成18年 『釉人』第69号掲載)

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