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窯場今昔100選  仲野泰裕

(13) 小代焼

  • 白釉流貼付文注口壺
  • 魚形皿
 熊本県の北部玉名郡南関町と荒尾市にまたがる小岱山麓で焼かれた陶器を小代焼(しょうだいやき)と呼んでいる。
 開窯については、加藤清正が朝鮮から連れ帰った陶工によるという説もあるが、詳細は不明であり、寛永9年(1632)の細川忠利の肥後転封に伴い、豊前上野の陶工源七と八左衛門が、この地に共同で窯を開いたのが始まりとするのが一般的である。
 源七は上野の牝小路、八左衛門は同所加津羅木山から移り住んだことにより、それぞれ牝小路家、葛城家を代々称している。正保元年(1644)には、両家共に藩から開墾した土地には課税しないという御赦免開と呼ばれる特別の権利を与えられるなどの保護を受けている。
 さらに明和六年(1769)に両家が共同で初代以来の古窯の上に、瓶焼窯と呼ぶ連房式登窯を築いたが、これらの功績により郡代直触に任命されている。
 その後、文政三年(1820)には前藩主へ作陶を上覧し、苗字を許された。また天保3年(1832)には、同地の御山支配役瀬上林右衛門が近くに連房式登窯を築いており、瀬上窯と呼ばれている。

 初期の小代焼は、上野焼や高取焼、八代焼などとの類品があることや、朝鮮唐津と混同されることにより、茶人の間でもてはやされた。  茶碗や水指などのほか、壺、鉢、皿などの日常雑器が多く焼かれている。胎土は、鉄分を多く含む粗めの土であり、藁灰などの白濁釉を流し掛ける作品が多く知られている。
 これらの各窯は、明治から大正にかけて閉窯しており、現在では、小代焼の素朴な作風の再興を目指して数十軒の窯が作陶している。2005年秋に熊本県立美術館において「小代焼展」が開催された。  
(平成21年 『釉人』第75号掲載)
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