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コラム

窯場今昔100選  仲野泰裕

(16) 丹波焼(たんばやき)

 丹波焼は、兵庫県篠山市今田町を中心とする地域に所在し、現在も日本を代表する窯業地の一つとして知られている。いわゆる六古窯に数えられる中世以来の伝統のある窯業地で、自然釉の掛かった重厚な壺が、長く焼き継がれてきた。丹波において、近世的な窯構造である登窯(窖窯から)へ移行するのは、慶長年間(1596-1615)の後期頃と考えられており、下立杭などに初期の登窯の存在が知られている。


 現在も使われている登窯には、江戸時代中頃から焼き継がれたと考えられる割竹式登窯がある。蛇窯とも呼ばれ、隔壁及び「ヒガキ」と呼ばれる通炎施設により10区画前後に区切られるが、床面は全体的に無段構造であり、一般的な連房式登窯とは異なる構造である。窯構造の発展とともに轆轤成形も盛んとなり、水簸土を用いた薄手で均整の取れた形状のものが多く焼かれ、器種も豊かになっている。

 施釉陶の時代となり、17世紀前半には、黄土を用いた赤土部釉を施した製品が特徴的な存在となっており、葉文や貼り付け文などを伴う例がある。
 さらに、18世紀中頃には栗皮釉や黒釉、末期以降には筒描(イッチン)、などの新しい試みが認められる。


 そして白素地への憧れと需要は、丹波焼にも及んでおり、白化粧土を全面にかけた「白丹波」が登場している。白丹波には、鉄絵や墨流し、釘彫りなどの文様の他、上絵付の施された例も知られる。

 これにより、尾崎家は瓢形枠に「因久山」印、芹沢家は角輪印に「因久山」印、勘蔵家は「因久山」「勘」印、そして文政(1818-30)初年から加わった山本家含めた四家が因久山焼の隆盛を高めている。

 伝世する作品の多くは茶陶であり、藁灰釉、緑釉、白釉、黒釉などを単調に流しかけた例が多いl。  また捻り物にも優品は知られるが、写真の水指のように細やかな細工の作品は少ない。

 現在は、江戸時代から続く七室の連房式登窯を焼き継ぐ、芹澤家が窯元として知られる。 [作品解説] 松と竹がテーマとなっており、竹で編んだ籠に松葉が詰め込まれた状態が表現され、両耳と蓋の紐は硬くしまった松毬をかたどっている。底部には、「因久山」「勘」の印銘が認められる。 なお、「勘」印は、数種類知られているが、父子の作品の区分は明確ではない。
(平成21年 『釉人』第78号掲載)
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