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コラム

窯場今昔100選  仲野泰裕

(18) 川名焼(かわなやき)

 川名焼は、愛知郡川名村(名古屋市昭和区川名山町)において焼かれた陶磁器。川名山焼ともいう。
 嘉永年間(1848-54)頃、瀬戸の陶工で川本治兵衛(号・-僊堂)の門弟加藤新七が開窯した。製品は染付磁器であったが、瀬戸の窯屋からの抗議により、当時最新の絵付技術であった、銅版転写による絵付け製品のみ生産することとなった。

 しかし技術の習熟度などの問題から、生産効率が悪く、その後、興廃を繰り返している。安政年間(1854-60)には、-僊堂の門弟で、湖東焼(滋賀県彦根市)に招かれていた寺尾市四郎が帰郷の後に再興したとされるほか、一時、赤津の加藤春岱が関与したとされるなど不明な点が多い。
 磁器素地に銅版転写技法により、唐獅子牡丹文(写真1)、草花丸紋繋ぎ、捻り文などの伝統的な文様の他、西洋風景や人物など新奇で異国情緒をかきたてる洋風文様を施したものが特徴的である。

 製品は、火入がよく知られているが、酒器や水屋甕などもあり、「川名山製」「安政年製」などの銅版転写による染付銘が伴う。窯は同町に所在する曹洞宗味岡山香積院に隣接してあったとされ、同院の什器(筒形小碗、写真2)も焼いている。中国風とは異なるエキゾチックな唐草文が銅版転写で染付され、高台内には「香積」の染付銘がある。
 なお同院には、常滑系の山茶碗の見込みに鉄絵を施し灰釉を掛けた意味不明の資料も伝世しており、川名焼の興廃に関係するものと推測されている。
(平成21年 『釉人』第80号掲載)
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