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コラム

窯場今昔100選  仲野泰裕

(19) 甲山(岡崎永楽)焼

 愛知県岡崎市六供町の甲山で焼かれた陶磁器。永楽和全が招かれ、京都から轆轤師西山藤助、九谷から絵付師平田常次郎を呼び寄せて開窯した。和全は、明治三年(1870)に山代から京都に引き上げており、翌4年には隠居して長男常次郎(得全)に家督を譲り、自らは善一郎を名乗った。
 この頃、西村姓を永楽姓に改姓している。和全の岡崎入りは、今日庵玄々斎宗室の高弟にあたる岡崎の豪商鈴木利蔵の招請によるもので、明治5年から同10年まで、指導・制作にあたっている。この期間を一般に岡崎永楽と呼んでいるが、同6年には、東京の三井家を頼って上京した他、永楽家の問題解決のため、たびたび京都へ帰郷している。

 この岡崎永楽の時期には、金襴手の煎茶器などの優品が焼かれている。和全の帰郷の後も、残った職人により断続的な操業が続いており、和全風踏襲時代(同15年まで)と岡崎永楽復興時代(同17-20年)などに分けられている。さらに同22年から25年にかけては「甲山」印を伴う陶磁器が焼かれている。この甲山焼の名称は、地元の念願であったことが、『陶工永楽伝』(三井高徳著、1939)に「三河の人々は、甲山の名を以て売出さんとし、和全は、永楽の名にて通さんとし意見対立せり」と述べられていることからも推察される。

 このようなこともあり、近年は初期の岡崎永楽の時期を含めた全体を甲山焼と呼んでいる。製品は、色絵陶磁器の他、絵高麗風の煎茶器や日常雑器が焼かれている。
 「永楽」「河濱支流」の円形印、「甲山」楕円形印などの他、「岡崎永楽」の赤絵銘、「大日本甲山製」染付銘などが知られている。

 さらに近年の発掘調査により、瀬戸市の赤絵窯跡より「永楽」印銘の伴う磁器素地が出土しており、注目を集めている。
(平成22年 『釉人』第81号掲載)
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