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食器よもやま話  著:神崎かず子

(2) おお飯と精進料理

  • おお飯と精進料理
 前回は奈良時代から平安時代の食文化として、春日若宮の「おん祭」および春日大社の「春日祭」の神饌と、宮中または大臣家の大饗料理を紹介しました。これらはともに神社や貴族が主催するハレの行事で、そこでは生もの・干物・燻製などの他、煮物・蒸し物・塩漬け・なれ鮨などが饗されました。しかし、この献立にはメインとなる品目はなく、各々の料理が対等の関係であったことから、食器にも同様の傾向が見られ、形状・大きさともほぼ同種の碗皿類が使用されていることが特徴的でした。

 これに続く時代の食文化は、主として武家中心に展開したといえます。今回は鎌倉時代の「-飯」と「精進料理」の食習慣及び食器について考えてみたいと思います。
 はじめに「-飯」とは、質素倹約を旨とした鎌倉幕府の飲食儀礼です。もともとは宮中に集まった際に出される簡単な供膳のことで、大饗料理の延長線上にある公家の伝統でした。これが武家の儀式とされたのは承久の乱(1221年)以降の事と考えられています。主従関係を強化するための儀式であり、飯を盛った椀を中心に副食物を添え、盃酒を加えて供されました。
 同時代の絵画資料は知られていませんが、南北朝-室町期の絵巻物には懸盤・脚付膳・折敷などに、朱か黒塗の飯椀・盃・青磁らしき皿、あるいは木地物か土器や須恵器を思わせる白生地の椀皿類などが描かれています。(右図参照)

 次いで「精進料理」は、肉食禁忌の観念が神仏習合とともに広まったものです。平安時代にも「精進物」があり、精進潔斎という儀式上の必要性から、粗末な食品と簡単な調理法(煎る・煮る・蒸す)による料理が作られています。
 しかし鎌倉時代初期(12世紀)には、中国(宋)への留学僧によって禅宗とともに高度な調理技術がもたらされ、野菜・穀類・海草による「肉もどき」をはじめ、禅の修業に打ち込むため、健康に配慮された料理が作られるようになりました。
 鎌倉中期(13世紀)には天皇家の御膳や幕府の中枢にも中国的な精進料理が並ぶようになり、これまでの日本料理に大きな影響を及ぼし、次第に定着していきました。
 寺院では漆塗りの膳・椀・櫃・湯桶(ゆとう)、取り回し用の料理(煮物や香物など)に用いられる鉢皿(曲げ物・陶磁器など)など様々な食器が用いられました。

 以上をまとめると、陶磁製食器は「-飯」の副食物と、「精進料理」の取り回し用料理に用いられた可能性が考えられます。一方で、絵巻物に描かれた食事場面には、膳をはじめ椀類や盃、桶や櫃などが木器あるいは漆器のように表現されていることから、武家の儀式や禅宗寺院における食器の主流は、やはり漆器類であったと考えられます。

(平成23年 『釉人』第84号掲載)

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