食器よもやま話  著:神崎かず子

(5) 懐石道具

先回は室町時代の「精進料理」が日本料理に取り入れられ定着していく様子を紹介しました。禅宗寺院内での生活規範は信徒の広がりとともに各地・各方面に伝えられ、中国的な精進料理も広く社会に浸透していきました。精進料理の料理人は「調菜人(ちょうさいにん)」、本膳料理は「庖丁人(ほうちょうにん)」と呼ばれましたが、前者は効率の良い栄養摂取と、高度な調理法、あるいは豆腐・沢庵をはじめとする新しい食品の加工法をもたらし、後者はカツオ・コンブのだし・醤油・味噌・塩などで味付けした料理を、配膳や飾り付けに規範が伴う式正(しきりょう)料理として完成させました。

精進料理の食器については、日々の食事と開山忌法要の斎(とき)(昼食)などとは異なりますが、総じて漆器の膳・椀(応量器)などを用いました。総括すると、日本料理の代表的食材や調理法、伝統的な食事作法などがほぼ完成したのは室町時代、ということができます。

日本料理の新たな展開は、禅宗寺院と武家の文化を融合させた「わび茶」から生み出されました。すなわち、室町後期から桃山時代に隆盛期を迎えた茶の湯は、禅林の茶礼を参考にして、紹鴎(利休の師)が一汁三菜のもてなしを、利休は後段(酒宴)を切り捨てるなど、独自の供応料理を考案しました。その献立は本膳料理と精進料理を併せた内容で、本膳料理の形式的束縛から離れ、自由に料理を組み立て楽しむという、合理的ですぐれた形式になっています。ちなみに、茶の湯の供応料理は「懐石料理」と呼ばれていますが、この呼称は元禄年間(1687-1703)頃から使われるようになったものです。

さて、懐石料理の特長は、①数少ない料理に趣向を凝らす(季節感、旬の食材の取り合わせ、盛り付けの色彩、バランスや立体感など) ②料理と器の調和を重視する ③料理を出すタイミングを計り、出来立ての料理を給仕するなど、いずれもこれまでにない視点を持った内容で、以降の日本料理に大きな影響をおよぼすこととなりました。

食器については、当初は膳に4つ椀(飯・汁・平・壺)の本膳様式であったものが、元禄年間頃から膳に飯椀・汁椀・向付という現在のスタイルになっていったと推測されています。茶席では各人が必要分を器にとって次の人に手渡す、という給仕方法が行われますが、これは禅宗寺院でも行われていたとりまわし方式であり、すぐれて合理的な給仕方法です。

こうしたことと関連付けて、様々な食器のバリエーションを楽しむ懐石料理を、次回もう一度ご紹介させていただきます。



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