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乳がんサポートグループ報告

かのこやすらぎ通信Vol.1.2

No4…大会議室にて(7/10/2008)

 梅雨の晴れ間、体調を崩しやすい時節ですが、フルメンバーにお集り頂けました。前回レター朗読後、私が静岡での日本緩和医療学会の話をしたあと、みなさんの近況報告に入りました。

 Aさん「昨晩、今日何を報告するか考えていたんですけど、特にこれということはなくて、なにげなく日常を送れているので幸せかなって。自毛デビューです。いろんな反応があって、それぞれに面白いです」
 Bさん「まずは、インディージョーンズを観てきました。ひとりで。そして、前からインパクトのある表紙の写真が気になっていたけど読めなかった松井真知子さんの『アメリカで乳がんと生きる』を読み始めました。客観的に書かれているのに共感できる、素敵な本です。お勧めです。それから、診察でエコーをされていたときに“この傷は落ちるよ”と言われたので、スポンジでこすってみたら、もう一年たっているのに本当に落ちました。これまで傷を気にしていたわけではないのに、白い胸が戻って、不思議な感覚です。わたし、職場には内緒で三ヶ月休んだんです。それで皆、どうしてなのか聞きたかったみたいで。中に、すごく知りたがり屋の人がいて、もう1年3ヶ月もたっているのに、ある日、“ねえ、子宮?”と逃げようのない状況で聞いてきたんです。入院中はどうも、乳がんだって噂になっていたみたいです。復帰した日に(くやしくて、がんばってワイヤー入りのブラを使いました)すごく視線が胸に集中して、陰で“乳がんじゃなかった”と言われていたようです。結局、その日、乳がんだって言ったんですけど、はっきり言って、むかつきました。彼女は、わたしの髪がウィッグかどうか見ました。“胸は?” 温存だよ。 “近所の方がウィッグらしくて、ニット帽かぶってるんだよー”って、まるで珍しいもの、忌わしいものみたいに言ったんです。涙が出ました・・・今日、マドレーヌ焼いてきました!」
 Cさん「化学療法中のせいか奥歯のあたりが歯肉炎で、抜いたほうがいいと言われるんですが、そのままにしています。問診表を書くにも、健康診断でも、健康のところにチェックしていいのかどうか迷うんです。みなさんどうしてますか?」 何人かの方が実際どうしているかを話してくださいましたが、内服中でなければ、薬の相互作用を考える必要もないので、無記入でいくということでした。Gさんは今回の引っ越しで子どものかかりつけの病院がすべて変わり、初診の問診票に親の病気まで記入しなければならなかったことがショックだったとおっしゃいました。
 Dさん「ある方が、術後、一年半で展覧会をされるというニュースを聞いて、どんなものか観てきました。最初は白黒だったのが、次第に色彩が豊かになって、赤をよく使われるようになっていました。イライラすることもあるとおっしゃっていました。それで、私もそろそろ再開しないといけないと思い、先月からお稽古を始めました」
 Eさん「前回のニューズレター読んでみたら、私、すごくつらそうなこと言っているんですね。もともと栄なんか行かないのに(笑い)。ただすこし不便かなくらいです。話す順で影響受けますね。遠くから友だちが来てくれて、一緒に散歩をしました。昆虫好きの人で、スズメバチの巣を見つけました。後で、その写真を見せて、保健所に頼んで巣を撤去してもらいました。少しだけ社会貢献ですね。うわさのオオタカの巣も見てきました。近くの公園には50種類以上も鳥がいます。もう30年も住んでいるのに名古屋が嫌でしたが、今は、鳥がこんなにたくさんいる所として誇りを持てるようになりました。そうそう、夫と螢を見に行ったんですが、夫がそんなことに時間を費やしただけでなく、“よかった”なんて言葉が聞けるなんて、思いもしませんでした。はじめてです。でも、調子に乗り過ぎたせいか、ハーセプチンのあとで翌日吐いてしまって、中々元気が戻ってきません。先日、淀キリのホスピスを『プロフェッショナル』で見て、ああいうナースがいると安心だと思いました。最後まで人としての尊厳を守り、希望をもつことを支えていました」
 Fさん「友人が膠原病になって、2週間前に入院したと昨日メールがあって、最悪で、大量のステロイドが要るそうです。白内障、緑内障、糖尿病、骨粗鬆症、それに高脂血症などの副作用が心配です。彼女にどう声をかけたらいいのか。がんのときは、自分が闘えばいいと考えていましたが、友人には、どうやってがんばっていってもらえたらいいのかと考えます。泣けちゃった。彼女が私にいろいろ打ち明けてくれるのは、私ががんになったからだと思います。病気の種類は違うけれど、病気と戦うという立場は同じですから。もしもこの病気になってなかったら、こういうことも考えられなかったと思います。私は夫から“一緒にがんばろうね”って言われたのが、一番嬉しかったから、彼女の御主人にもそう伝えました。
 Gさん「7月4日金曜に引っ越しでした。夫が休んで一緒にやるはずだったのに、研修が入って、私ひとりでやったのでぐったりです。疲れていると精神的にもダメで泣けてばかり。いつもなら聞き流せることもクヨクヨ悩んでしまって。月曜の診察でゾラデックスを打っておしまいだと思っていたら、“服を脱いで”と言われ困りました。脱毛処理してなかったんです! 女としてあたり前のことをしてなかったことが自分でも許せなくて。術後に、胸に板が入ったみたいになったときに先生(主治医ではありません)から“男の人と一緒になったわけだからね”と言われた時は、なんだ、それじゃガッチャマンに出てくる半男半女の悪者と一緒か私は、と笑い飛ばしたくらいなのに。今になって、その言葉を思い出し、私は女性失格なんだと。友人にがんのことを言ったときに“なんだ、4人目ができたとでも言うのかと思った!”と軽く流されたときには、乳がんは特別じゃないんだと思ったものでした。“あなた浮気する予定ある? 使わないんならいいじゃない” 絶句。 “あなたが病気になったことで、子どもが病気にならずに済んだと思いなさい!”って。これで、なんでこの病気にならなくちゃいけないんだとばかり考えていたのが、ふっきれていたんですけどね」
 Hさん「前回はじめてで、元気をもらって帰ろうと思っていたのに、落ち込んで帰りました。でも、時間が解決することってあるのかな、と思いました。病気のことは信頼している人にだけ話したのに、ひろまっていて、子どもの保護者会に行っても、無私する人がいて、すごく傷つきました。夫は“なんて言っていいのか分からないんだよ”と言いますが、メールは普通にきたりで、人間不信です。でも、一年ぶりに友人と会ったらすごく楽しくて、病気のことは言っても言わなくてもどっちでもいい気になって、それでも話したら、すごく自然に受け止められて。そういう人たちとつきあえばいいのかなって。伏見のロールケーキの美味しい店に並んで友人は三本買いました。その一本は乳がんの友だち用だそうで、その人の家に行ったら、もうひとり乳がんの人がいて、みんな元気でいるよと言われて、すごく嬉しかった。同じ病気の人が元気だと、嬉しいです」
 Iさん「私はソーシャルワーカーなんですが、今、ある患者さんがすごく大変で、抜ける体制を整えられなかったんですが、このグループはすごく楽しみなので、もう一度掛け合って、同僚の休息時間までとってしまいました。絶対でなきゃならないというものでもないのに、職業人としてどうかとも思ったけれど、“自分のことを大切にする”ということが、今まで分かってなかったんだなって思える部分があって。その患者さんのことも、今の大変さはきっとこの人のいい所につながるんじゃないかと思えるんですけど、それはきっと、自分がこの病気になったせいだろうなと思っています。告知のとき最初に思ったのは、ふたりの娘に“また、ふたりを私のせいで傷つけてしまう”ということでした。早くに離婚したので、自分のせいで娘たちを傷つけてしまったという思いが常にあって、そのときも離婚したときと同じ状況でした。乳がんの先輩が、こんなことを言いました。“乳がんをすると、日常生活のことは、それほど大したことじゃなくなるのよ”と。それが分かってきました。つらいのも、生きてるからのことなんだなって。告知後に父の死が続き、自助グループやカウンセリングにも通いました。“きっといい方向にいく”というのを付け加えるようにしていても、はじめはウソっぽくて。この何年かは、さらに地獄だってあるかもしれないけど、もう今度は、あかるい面を見ようと思っています。以前、10年生存率を70%と言われても、30と70どっちが大きいの? とか、自分は30に入るんじゃないかとばかり思っていましたから。病気が後押ししてくれなかったら、今でも、何かが足りないと思っていたでしょう」
 Jさん「みなさんの今日の話、本当に深くて、泣いたり笑ったりしてしまいます。7月2日が術後一周年記念日でした。その日は、一日中、ふっと時計を見ては、今から着替えしたんだなとか、今から手術室に入ったんだとか、今頃、手術が終わったんだとか、同時進行的に考えていました。この一年は、あっという間だったと思います。来年の7月2日はどうしてるかな? 元気でいられるかしら? 再来年はまだ生きてるかしら? そう考えていたら、せっかくの一周年記念日なのに、気分が落ち込んできて、これはムッシュ・デプレのせいだと思い、先生が以前、認知には行動で介入するのがいいっておっしゃっていたのを思い出して、買い物と散歩に出かけました。それで乗り切りました。前回のレターにあった『夜と霧』を借りましたが、ちょっと重かったのでやめて、『ニーチェが泣くとき』を読み始めたんですけど、推理小説みたいで面白く読んでいます。私にも、現在は年賀状だけのつきあいなのに、大事なときには必ずそばにいてくれる人がいて、“手術して退院するところから乳がんは始まるんだよ”とか“一緒にがんばろうね”と言われて、ものすごくうれしくて励みにもなりました」
 Kさん「今日は、ほんとにお腹一杯って感じです。私は、何も変わったことはなくて、幸せです。リンパを取っているので、虫刺されや日焼けに注意しなければならず、庭の草引きができないので、庭を見るのがいやです。もともと土いじりは好きで、気分転換によくしていました。パンこねも大好きです。それも、できません。なんか空回りしているみたいです。でも、元気です、本当に」

 さて、近況報告が終わったら、もう一時間半がとっくに過ぎていました。ずっしりと厚みのある会話でした。すぐには、身動きできなくて、Bさんのマドレーヌの甘さがとてもありがたかったですね。実は、今、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んでいます。それは、バフチンという思想家の『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)を仕事で読む必要があってのことなんですが、そこで提唱されている「ポリフォニー」という概念は、まさに今日のグループを表現するのにぴったりだと思いました。バフチンによると、ドストエフスキーが小説史上画期的なのは、作者が登場人物を動かすのではなくて、登場人物に固有の声を持たせることで物語が展開するよう徹底的に考え抜かれているところだそうです。ポリフォニーというのは、もともと多声法という音楽用語ですが、それぞれの声が響きあうということです。同じ乳がんの患者さんたちが、思い思いに御自分の話をされるときに、それは全体として大きな宇宙になるようです。ブロイヤードを引用しましょう。

すべての病者に助言したいのは、病気にたいするスタイルを、あるいは病気にたいする声を作りだすことだ。わたしの場合、自分の病気をもてあそんでいる。病気を蔑んでいる。意図的にそうしたのではない。ひとりでにそういう反応が生まれたのだ。病気にたいしてあるスタイルをもつことで、病者は、自分自身のグラウンドでそれと対決することができる。それを自分の物語のなかの一キャラクターにしてしまうことができる。(89頁)

 それでは、次回8月14日いつもの時間、いつもの場所でお会いしましょう。     

小森康永@記録係

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