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#1. シナリオ「ダンシング・ウィズ・ミスター・D. ver. 3 」

脚本:小森 康永
(ver.3: 10/25/06)

(ローリング・ストーンズ『山羊の頭のスープ』より「ダンシング・ウィズ・ミスター・D」のイントロにのって、ミスター・D登場)

セラピスト(以下1): はじめまして、ミスターD。私、精神科医の山崎と申します。今日は、どのようなご相談でおみえになったのですか? テーマソングの雰囲気とはずいぶん違う印象を受けるのですが。
ミスター・D(以下2):(陰鬱な面持ちで)ああ、あれは、もう30年以上も前にストーンズの奴らが私のために作ってくれたんだ。あの頃は、私も元気満々だったからね。しかし、この頃じゃあ、どう言ったらいいのか、私にもよく分からないんだが、気分がすぐれなくて、そして、それはどうも仕事に関係しているようなんだよ。
1:仕事でうまくいかないことでもあるのですか?
2:うまくいかないというわけではないんだ。私の仕事は、あんたもよく知っているように、人々に死を提供することだ。死を迎えるにあたっては、何ヶ月かの誤差はあるにしろ確実にその日が来なければならないし、死んでから生き返ったなどという話は許されないからね。
1:では、仕事はうまくいっているわけですね?
2:ところが、そうでもないんだ。人間たちは、私のことを妙に怖がっているんだよ。死は、誰にも避けて通れない。そんな、いわばあたり前のことを、私がさまざまな手を駆使して、ものすごく恐ろしいものに演出しているって、言うんだ。そして、私を無視する。私について語ることさえ禁じられている。タブーって言うのかね?
1:そうですね、私もひとりの人間として、そしてターミナルケアにも関わる精神科医として、それは実感しています。
2:私は嫌われているのかね?
1:ええ・・・何と申し上げたらいいのか・・・その・・・
2:私は、なんだか不安だし、自信を喪失していて、欲求不満なんだと思うよ。死を司る仕事に、自分は向いてないんじゃないかとさえ思うありさまだ。専門職として失敗したという感覚を抱いていると言ってもいいね。これが現状さ。そして、ここからどこに行くべきかも分からないんだ。今のところ、本当に辞めるつもりはないよ。でも、本当に不適格だとは感じている。実際、これまでで最悪で、自分がひどい失敗者だと感じている。少なくとも三回は、辞職寸前まで行った。それで、あんたの前にいるわけだ、山崎さん、お分かりだろ。私はどうしたらいいんだ?

1:あなたは個人的に不適格だという結論に達し、失敗者だと感じているわけですね。どのように考えると、あなたが不適格だということになるのでしょう? ご自分が何らかの達成に失敗したことについて、どんなお気もちですか? 
2:実際には、自分が死を司る立場において基準に達していないという感じだね。あんたは、がんの患者さんたちと仕事をしているから、それを例に上げれば、分かってもらえるだろうかね? 未だに「がん、イコール死」というイメージは強いからね、がんを告知された後1ヶ月ほどは、患者がうろたえ、自暴自棄になるのは、必須だよ。これじゃあ、まるで私が死神みたいじゃないかね!
1:違うのですか?
2:精神科医でさえ、その程度の理解なのかね? 死神というのは、前近代的な産物だろう。人間のからだについてあまり知られていなかった時代に、人間どもが死を擬人化したんだよ。まるで疫病神みたいにね。私は、ミスターDだよ! 近代医学も一通り出そろい、病人が家ではなくて病院で死ぬようになった時代に擬人化されたんだよ。そのあたりの区別も分からないようじゃあ、私がタブー視されるのも無理ない話だね?
1:勉強不足で済みません。
2:ところで、「がん、イコール不治の病」というイメージも根強いね。だから、人々は友だちにだって、がんのことはなかなかそうおいそれとは話せない。話題としては重過ぎるからね。一方、家族は、生活全般にわたってさまざまな変更を余儀なくされるから、家族全員疲労困憊、イライラして、つまらないことでいがみ合うこともあるだろう。治療は長いからね、期待通りに治っていかない患者や、治せない医療関係者に腹を立てることさえあるだろう。私は、人間たちが、こんなふうにがんで苦しむのを見ていると、つい同情してしまうんだ。そして、自分の仕事として、彼らに、いざ死を提供する段になると、すごい迷いが出てくるんだよ。自分が、今後うまくやれるかどうかまったく分からないね。
1:何がうまくやれそうにないのですか?
2:知ってるだろう? 仕事を効率的にこなすということだよ! 自信をもって、堂々としているべきなんじゃないかね? 仕事は卒なくこなすべきなんだ。だけどね、たとえば、がん患者のなかには、「適応障害」や「うつ病」になる人も多いだろう。精神科医がちゃんとがん医療に関わってくれていれば、私が同情することもなく、変な遠慮もせずに済むんだがなあ。
1:何もかも悪い方に回った感じなんですね。適格である代わりに、不適格さを手に入れ、自信の代わりに、不安を手にされた。自己主張する代わりに、受け身になり、自分を信頼する代わりに、不安になった。どうしてそうなったんでしょう?
2:そこなんだよ! ところで、なんでおまえ、そんなに上手く言えるんだよ!

1:とんでもない、あなたもかなりうまくお話しになりましたよ。目標に達しない点を見つける中で、何をなさっていたのですか? 適格さの追求において、何をどうしてこられたのですか?
2:かなりきつかったよ。次の死者が決まった時点で、自分にハッパをかけるんだ。「仕事は冷酷に進めろ」と言い聞かせて、自分がいかにクールビューティかって自己イメージを魔術的に思い描こうとしたね。
1:かなり厳しそうですね。
2:確かに、消耗するよ。
1:基準に達するためにあなたがしてきたことは、どれも効果的でしたか? 助けになりましたか?
2:おまえ、可愛い顔して、冗談きついな!

1:興味深いところがあるんですよ。うまくいっていないと感じていて、とても辛い時間を過ごしていらっしゃるのに、あなたは仕事を続けていてお辞めにはならない。辞めかけても辞めない。何か自分を励ますものとか、あなたにそれを続けさせるものが、何かあるのですか? それとも、休み休みやるだけのことなのですか? 一体どうやってお仕事を続けているのです?
2:あんたは、私がナイスなひらめきを持っているとでも思っているのか? 
1:いいえ。ドラマチックなことを考えてはいません。ただ、あなたがどうやってお仕事をし続けているのか理解するのに役立つことは何だろうと考えていたのです。もしかすると、それはとても小さいものかもしれません。
2:知らないよ。ただ・・・もしかすると、休み休みやっていたのかもしれない。実際、いや、そうだ。確かに、そうしていたね。
1:ところで、もしかしてあなたは、適格さの追求や、基準達成のための重労働を小休止させる何かを発見しているのではないですか?
2:小休止だって?
1:あるいは安心とか、安堵。もしくは他の何か・・・どんな言葉がフィットするのか知りませんが・・・
2:そうだな、考えてみよう。自覚しているのは、人間たちともっと親密になりたいのかもしれないということだね。確かに、私の仕事は、人間たちにとって一番辛いことになる場合が多い。がんの経過は、一筋縄ではいかない。寛解したところで、再発の恐怖には怯えていなくちゃならない。転移だって、ほかの臓器に新たにがんができることだってあり得る。しかも、「実存的苦悩」って言うのかい? 人生の最期に人生を振り返り、ああもできたこうもできたはずなのに、自分の人生には何の意味があったのだろうと悩み苦しむことも、病気ではないから、薬では治療できないと言われる。そして、その後で私が登場するわけだよ。人間たちと疎遠になるのも無理ないじゃないか。でもね、身体はなくなっても、なんらかのものは残ると信じる人たちがいる。思い出とか、故人のメッセージ、それに故人ならこんな場合どう考えるだろうかっていう想像力なんかが豊かな人たちだよ。こないだも、息子に死なれて、毎週日曜日に3年も続けて墓参りをしていた老婆と話をする機会があった。彼女は、孫まで連れて墓参りを続けたからね、もちろん孫はもう成人しているんだが、早くに亡くした父親のことをとてもリアルに、いつでも思い出せるというわけだ。こういうのが「象徴的不死」なのかね? こんなとき、私は、それで安堵を得たりする。それが私のこだわりかもしれない。良くないことだろうがね。
1:「死ねば無になる」という固定観念について考えてみるのは、いいかもしれませんね。古代ギリシャの数学者たちは皆、何も無いものを数える必要などないと考えていました。ところが、名もないインドの数学者たちが、その無というものを数字で表現しました。「ゼロの発見」ですね。それによって、存在しないものが存在することになったわけです。これと似たことが、あなたについても言えるのではないでしょうか? 葬式仏教だと揶揄されることの多い、日本の仏教徒がよい例です。彼らは、愛する人のことを死後いつまでも憶えておけるように、さまざまな儀式を生み出しました。お通夜、初七日、四十九日、一周忌、三周忌、七周忌、・・・。「命日」などという言葉は、「命の日」と書くわけですから、実に意味深い表現です。欧米では、「アニバーサリー・オブ・デス」、まるでデパートの開店記念みたいですが、それに比べたら、日本におけるあなたの豊かさは歴然としています。英語では「故人に属していたもの」としか表現されないものも、日本には「形見」という美しい言葉があります。水子供養だって、そうでしょう。それによって、江戸時代以来どれだけ多くの人々が救われてきたことか。ポックリ信仰だって、実に興味深い。つまり、日本人の多くは、あなたと実に親密だったということになりますね。
2:そうだな。日本では、お盆に死者が帰ってくると信じられていたが、似たようなことが、メキシコにもあるんだ。「死者の日」という祭りが11月にあって、そのときはカラベラという骸骨がその主役になり、町は骸骨の絵や人形でにぎわうんだ。パン屋はカラベラパン、菓子屋はカラベラの砂糖菓子を店頭に並べ、人々はカラベラと花で祭壇をつくり、墓へ出かけて死者を偲び、宴をはるんだよ。
1:あの国では、あなたは3人いると考えられていますね。最初は医者によって告げられる死、二つ目は肉体が大地に戻る死、そして最後が心の死だと。心の死は、死者を思い出す人がひとりもいなくなったときに訪れるものだそうです。だから死者の日に、人は亡くなった家族を思い、この世から呼びかけるわけです。2:ところが、世界には、私を完全に無視する連中もいる。昔のジプシーだよ。死ぬとその存在そのものを「なかったこと」にする。故人の名前や思い出話を口にしないのはもちろん、遺品も残さない。言ってみれば、誰も死なない。これは、当人たちにとって相当厳しいんじゃないかねえ? それに引き換え、パプアニューギニアの人々は、死んだら、隣の島で暮らすと考えている。これは、見事と言うほかないね。

1:死にゆく人や遺族と親密でいるべきだということを忘れないように、あなたは何をしているのですか? そのために、どんなステップを踏んでいるのですか?
2:何かをしなければならないのかどうかも知らないよ。難しいことではないんだ。彼らの生活への興味に従うだけだよ。
1:他に何か考えられますか?
2:彼らは傷つきやすい立場にいる。しかも、彼らは自分の生活を医者や看護師たちにさらけ出すわけだ。だから、医療関係者がいくら一生懸命やっていても、彼らが傷つけられたと感じたり誤解されたと感じることは、日常茶飯事なんだ。そこで、せめて私はそうならないよう気をつけているんだよ。

1:その興味の基礎となる、あなたの大切なものに名前をつけるとしたら、どんな言葉が思い浮かびますか? これは本音にあたるものですよね。仕事において結果を出すことについて、あなたにしっくりくる言葉は、何ですか?
2:心に浮かんでくるのは、「誠実」ということだけだね。それが自分自身の誠実さの反映だといいんだが。それを決して忘れないことが、自分にとって大事なことだった。ただし、自分の望み通りに、いつもそれをしっかり踏まえていたかどうか自信はないよ。というのは・・・(声が小さくなる)

1:誠実さですか! となると、誠実さの表現にあなたを導くものは何なのか、いくつか質問したいですね。しかし、これは私たちの面接の課題としてはあまりふさわしくないかもしれません。他のすべてのこと、すなわち自己主張性、自信、信頼感などについて話し合えなくなりますからね。それでもいいですか?
2:いいとも! 素晴らしいよ。本当に素晴らしい。そうしよう! 今、思い浮かんだのは、すべての人が公平に扱われ、尊敬される権利を持っていて、話を聞いてもらう権利も持っていること、そして自分の人生について決定する機会を持つということを、私が優先事項として大切にしているということだね。

1:確かに、よく言われることですが、死は誰にも平等に訪れる。
2:だろう? 私は、賄賂をもらって死を免除したことなど、一度もないからな。金持ちだろうが、権力者だろうが、公平に扱っている。ところが、その一方で、死にゆく人というのは、社会的に完全な弱者なんだよ。死んだ後で、盛大な葬儀をしてもらうことはあっても、死にゆく過程で、本当に敬意を払われているのか、話を聞いてもらっているのか、公平に扱われているのかというのは、問題だね。これは、私の仕事というよりも、むしろ家族や医療関係者の問題だとは思うがね。それを見ていて、私は自分のしていることに不満を抱くのかもしれないね。
1:すこし具体的に話してもらえませんか?
2: ああ、いいよ。最近、カナダからの輸入物で「ディグニティ・セラピー」っていうのが、あるじゃないか。死を意識した患者さんたちに、愛する人たちへのメッセージを遺す手伝いをする仕事さ。あれだと、名前のとおり、「尊厳」を大切にできるかもしれないね。本人の語り口そのままに文書に残してあるから、遺族はいつでも患者のことをリアルに思い出すことができるしね。こういうことがなされた後だと、私は、自分の信念を曲げずに仕事ができたという思いを抱くね。
1:すこしプライベートなことになりますが、そういう信念の元になっている、あなたの原体験というものがおありなのでしょうか?
2:あれは、1401年のボヘミアでのことだったから、もう600年以上前のことになる。ひとりの農夫が、愛する女房を殺されたといって、私を告訴したんだ。結局、神は、農夫に栄誉を、私に勝利を与えて下さった。しかし、そのとき、私は、女房が農夫になんらかのメッセージを遺していたら、あれほどこじれることはなかったのではないかと思ったんだよ。

1:そんなおつらいことがあったのですね。ところで、あなたが誠実さを経験していて、ご自分の価値観にもしっくりきていると感じているとき、それはどんな感じですか? つらい思いをされていますか? それとも、そうじゃないのですか?
2:ああ、そのような時は、違うね。そういう時には、なんの疑問もないとは言わないが、私は・・・私は何を感じているのだろう? そうだね。おそらく「もっと自然体でいる」と言ったらいいだろうね。
1:もっと自然体でいる。それは、自分自身にいつもとは違った態度を取ることですか? それとも・・・
2:ああ、自分自身に対していつもとは違った態度を取っているね。
1:それについて、もうすこし話してくれませんか?
2:このような時、それはとても珍しいのだが、私は自分自身をより受け入れているようだ。自分自身に対して、よりやさしくなっている。
1:そのご自身に対してやさしくなっているということや、そういう時にあなたがご自身を受け入れていることについて、もっと聞いてみたいですね。それらが、どのようにあなたの人生を形作るのかということも知りたいですね。かまいませんか?
2:ああ、いいよ。今ちょうど、フロイトの『モーゼと一神教』にあるユーモアの定義を思い出したよ。午後に処刑される死刑囚が、午前中にお茶をもらって、「オウ、きょうはツイてる」と思う。茶柱が立っていたからって。つまり、目の前の過酷な現実を忘れて、一瞬、心が軽やかになっているとね。死にゆく人たちと最期にこんな感覚を共有できたら、最高だねえ。

1:なるほど、よく分かりました。ここまでで、私たちは、あなたの誠実さや公平性、それに敬意という貴重な価値観および信念が、どのようにあなたの仕事の前提になっているのか、たどってきました。また、それによって、死にゆく人たちとあなたとの関係性がいかに築かれているのか、そしてそれが人々の人生にどのように触れるのかということについて、話してきました。
2:ああ、話していて楽しかったね。それを話すことで、やすらぎが得られたよ。言葉にしにくいものだがね。
1:あなたのお仕事において、その誠実さや価値観がどのように存在感を増すのか、興味は湧きますか?
2:ああ、もちろん。
1:迷いは全然ないようですね。どうしてでしょう?
2:迷いなどないよ。たぶん、それが仕事における新しい方向性を与えてくれるからだと思うよ。
1:では、今度は、死にゆく人たちに対してそのことをもっとあきらかに目に見えるようにする方法について考えることが、できるのではないでしょうか。
2:そうだね、いい感じだよ。こんなふうに考えられるなんて・・・(次第に声が小さくなる)
1:たとえば、死にゆく人が傷つけられたと感じたり、誤解されたと感じないよう努力しているとか、ご自分のお仕事が死にゆく人たちやその家族を変な具合に損ないはしないか注意していると、おっしゃっていましたね。どうやったらそういう雰囲気をもっと出せるのでしょう?
2:たぶん、場面設定が役に立つんじゃないだろうか?
1:どういうことですか? 例を上げてくれませんか?
2:そうだなあ?、ああ、良い例があるよ。人は誰でも、できるだけ長く人間らしく暮らしたいと思うものだね。そして、死を意識すると、時間の密度は自然と高くなる。芸術家のように最後の、そして願わくば最高の作品を仕上げようと、これまでの生活を加速する人々がいるし、これまでのライフスタイルを方向転換しようと、たとえばベジタリアンになったりする人たちもいる。しかし多くは、現状維持を望むようだ。そんな選択肢について人々がなんの気負いもなく話し合えるようにしてあげたいね。
1:他に心に浮かぶことは?
2:これは、死とは直接関係はないが、がんの手術の後で合併症なんかがあって期待していた通りに治療が進んでいかないときに、みんながその体験を共有できるように、各自の絶望から希望への経過がグラフなんかにしてあるのは、役に立つんじゃないかねえ。「アンチ・キャンサー・リーグ」のメンバーがやっているけれど、あれは、楽しみだよ。
1:このような場面設定は、あなたの心配を増やしますか? それとも減らしますか?
2:(笑って)減るよ(再び笑う)。

1:誠実さや価値観によって、人々とのあなたの関わりが何かしら形作られるようですね。その中で、あなたへの無視に関係することは、ありませんか?
2:分からんねえ。
1:たとえば、あなたをタブー視することは、あなたの誠実さや価値観によって形作られる実践とは矛盾するのでしょうか?
2:ああ、そうだね。私は、確かに不快さを感じるんだ。それは確かだね。
1:その不快感は、何に関するものだと思いますか?
2:そうだね、死んでいく本人のいないところで、本人たちについて語る、その語り方というのが、私の価値観に反するんだと思うね。
1:もうすこし説明してもらえませんか?
2:いいよ。すごく悪いというわけではないし、誰もが援助しようとはしているんだよ。みんな善意でやっているわけだ。しかし、死にゆく人が目の前にいたならそうはしないような、彼らについての語り方があるのも確かなんだよ。また、結果的に、彼らについて、彼らのために、本人のいないところで、彼らの声が反映されないように決定を下す可能性についても、心配になるねえ。
1:もしもあなたの誠実さや価値観がもっと大きくなって、もっとオープンに表現されたなら、あなたには何ができると思いますか?
2:そうだね、ひとつには、死にゆく人の人生の語られ方について、そして本人たちのいないところでの意志決定のされ方について、いくつか質問できるはずだ。
1:他には?
2:他に? たぶん、もしも家族の誰かが、死にゆく人について悩んでいて家族会議を開きたいと思っていたなら、その前に、その心配について本人と話し合うことができるし、本人自身を家族会議の場に呼ぶこともできると、伝えられるだろう。
1;面白そうですね。
2:そうだなあ! そして死にゆく人は、この会議に誰を参加させるのか選択肢も与えられるんだ。うん、これはいいな。
1:ええ。
2:どこが変か分かるか? 
1:いいえ。
2:自分がこれまで、なぜこんなふうに考えなかったのかが分からないんだよ。

1:ミスター・D、あなたの誠実さや価値観とフィットするアイデアをいろいろ教えて頂き、ありがとうございました。このことは、あなたの人生について、あるいはあなたが人生において求めているものについて、何を語っていますか?
2:やっぱり、それは、死がすべての終わりだと考えるのではなくて、からだは無くなっても、その人の物語は生き続けるってみんなが信じられるようになることだと思うよ。亡くなった後で、故人のことをどうやったらリアルに思い出せるのかいろんな技術を磨けるといいね。
1:そうですね。ところで、ご気分はいかがですか?
2:ああ、とてもいいよ。前から考えてはいたんだが、私のテーマソングを変えることにしたよ。ちょっと照れくさいんだが、ウォーレン・ジヴォンの"Keep me in your heart"にしてみるよ。じゃあ、これを聴きながら帰ることにするよ。
1:お大事に。

***************** 本シナリオは、マイケル・ホワイトによる「失敗会話マップ」および症例マックスとのインタビュー記録をひな形としていることを明記します。
Michael White, Failure Conversation Map, http://www.duwichcentre.com.au
Micahel White, Narrative Practice and Extotic Lives: Resurrecting diversity in everyday life, Dulwich Centre Publications, Adelaide, South Australia, 2004(ホワイト『ナラティヴ・プラクティスとエキゾチックな人生』、金剛出版、2007)

参考文献

  1. ヘツキとウィンスレイド「人生のリ・メンバリング」金剛出版、2005
  2. 矢作俊彦「悲劇週間」文芸春秋、2005
  3. 寄藤文平「死にカタログ」大和書房、2005
  4. テーブル「ボヘミアの農夫:死との対決の書」人文書院、1996
  5. フロイト「モーセと一神教」筑摩書房(読売新聞2006.10.12での島田雅彦発言より)
  6. Chochinov, H.M., Dignity Therapy: A Novel Psychotherapeutic Intervention for Patients near the end of life, J Clin Oncol 23:5520-5525, 2005

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