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#3. 第1回死の勉強会/報告および回答集計

 緩和医療委員会主催第1回死の勉強会は、2006.12.14午後6時より開催されました。着任1、2年目の看護師さんたちが、勤務終了後(この後でまだ残業した方もいたでしょうに)、31名も集まってくれました。
 質問用紙(#2)に書いてあることを説明し、いざ、本番。想定内とはいえ、聴衆が"凍って"しまったように見えたのは、シナリオを書きミスター・Dを演じた私だけではなかった、と思います。山崎リーダーの介入がなければ、そのまま終わったのでしょうが、「これからも引き続き、死の勉強会をしていきましょう」と(今後のことなど何も考えていなかった私には)驚くばかりの展開になりました。患者さん相手に人形劇がやれる日は、まだまだ先のことのように感じられますが、着実に推敲していきたいものだと決意を新たにしました。
 では、その”凍って”しまったのではないかと思われた聴衆の書いてくれたアンケートをここで紹介させて頂きます。まずは、簡単な間接質問から。

1)ヨーモアは適量か?
   少ない:13名    
   よい :14名    
   多過ぎる:0   (無記入4名)
2)この勉強会(人形劇)の対象者はどこまで拡げられるか?
   看護師まで:3名
   医師も含め医療関係者まで:8名
   家族まで:4名
   がん患者一般まで:6名
   死にゆく人まで:4名  (無記入6名)
3)削除した方がよいと思われるエピソードは? 全員、特になし。
4)挿入した方がよいと思われるエピソードは? 全員、特になし。
5)その他、ご意見、印象など:実に多くの参加者が、言葉づかいがむつかしくて、かたいので、ゆっくり考えられない、と不満をお持ちでした。中には、個人的経験を書かれた方もありました。
 「私自身、患者さんの死から逃げずに、もっと向きあいたいと思いました。5年間ターミナルに携わっているのに、答えがみつかりません。最近、無くなった患者さんに自然と”おつかれさま”と言います。なぜ、そのことばが出てくるようになったのかは分かりません。どんなことばをかけていいのか、ご家族になんと言っていいのか分からない。だからなのでしょう。受け持ちの患者さんの最期の顔が、いつも浮かびます。3、4年前の方でも。いつも、その”死”の迎え方でよかったのか、私になにができたか、悩んでいます」

 さて、直接質問への回答をいくつか紹介しましょう。1)から4)までを編集してあります。

 Aさん:「ミスターDの仕事を続けられる理由が"誠実"だと聞いて、彼から温かい印象を受けると同時に、やはり苦しい仕事なのだと感じました。わたしがそこに注意を惹かれたのは、死がマイナスイメージだけではない、そうではないと思いたいからでしょう。患者さんやご家族にとっても、そうあってほしいと感じているからだと思います。どこへ連れていかれたのかは、分かりません」
 Bさん:「ミスターDの”亡くなっても、その人の物語は生きている”という言葉に興味を抱きました。”リアルに故人を思いだせるようにするのが大切だ”という考えにも同感しました。恋人の死という実体験から1年がたった今だからこそ、そう思えるのではないかと思います。私もミスターDのようにありたい、と思っています」
 Cさん:「ミスターDとしては、仕事を誠実にやりたいのだけれど、死を人に与えると嫌われ、複雑な気持ちでいることが、印象的でした。”死によってすべてが終わるわけではないと人々に教えること”が、彼の価値観でしょう。死をマイナスのものとだけ捉えないように示唆してもいます。わたしも、死を怖いもの、嫌悪するものとだけ捉えるのではなく、別の視点から見つめることが大切だと感じました」
 Dさん:「ミスターDが自信をなくしていることが気になりました。私も、看護師という仕事で、”死”と隣り合わせで、彼のように悩んでしまいます。”死”というものの奥深さを感じさせられました」
 Eさん:「ミスターDの”死が最終的なものではなく、死んだ後も人々の中で生き続ける”ということばが気になりました。私には、好きな歌手がいて、もう亡くなってしまったんですが、今でも、自分の中で生き続けていると、実感しているので、そこが心に残ったのだと思います」
 Fさん:「やはり”死が最後ではない”という言葉が印象的でした。"本人のいないところで意思決定するのではなく、本人も交えてすべきだ"という彼の主張も気になりました。ものごとを客観的に見ているからこそ、全体が見えるのかもしれないと思いました。日常的な仕事の中で悩んでいることをミスターDが代弁してくれたような気がしたので、そこに注意が向いたのかも。死が結末ではないという考えに連れていかれたのでしょうか」
 Gさん:「死を話題にすることはタブーになっているという彼のことばはショックでした。ターミナルであるとわかっていても、抗がん剤治療を死の直前までおこなっていて、”治療が効いているのだから””治療中であるから”という現実の前に、その人の”死”というものを考えられない、考えてはいけないと感じてしまうことがあるので、ここが心に響いたのかもしれません。11月にはじめて患者さんを看とり、苦しみもだえる患者さんに何もできなかった自分に、力のなさを感じていたときの勉強会、また機会があれば、参加できたらと思います」
 Hさん:「ミスターDの自信喪失に興味が湧きました。死とは、からだはなくなるけれども、心は誰かの中で生き続けられると信じられれば、大丈夫だと聞き、納得しました。死を迎えた身内の人などに、このように感じてもらうことは、大切だと思いました」
 Iさん:「ミスターDの話していたエピソードのうち、みんなに忘れられたときが心の死だという文化、死が最終的なものではないとする考え、そして故人を忘れないようにする努力の大切さが、心に残りました。彼は、死がつらく、悲しいことであるという考え方に対して、そうではないと伝えようとしています。死に対する考え方をいろいろな方向から見ていくことの必要性を学びました。絶望している患者さんにも何かできることがあるのではないか、と思いました」

 Jさん:「ミスターDの”死にゆく人が最後まで意思決定できる死に方をさせてあげたい”という言葉が印象的でした。私は、死は暗闇のなかにあると思っていましたが、劇を見たことで、すこし光がさしたように思えます。死は怖いものではないと思えた気がします」
 Kさん:「死にゆく人が死後、存在したことを思い出されるようになること、語り継がれることが理想だという意見に、私の注意は向きました。それは、患者さんが亡くなった後で、ご家族がどのように過ごされているのか気になることが多くあるためだと思います」
 Lさん:「死んだ人をもともと存在していなかったように扱うジプシーと、隣の島へ行ったと思うパプア・ニューギニアの人たちの対照性を知らされ、驚きました。ミスターDは、身体的に死に至ったとしても、象徴的不死があれば、死についての恐ろしさが多少は減ると私たちに信じさせようとしています。私がここに惹かれたのは、自分の生きてきた人生、自分自身の存在そのものがいなくなったことにされると、それまでの人生がなんなのかわからなくなると思っているからでしょう。死について、あまり考えたことがなかったのですが、いい死に方とはどういう死に方なのか、考えさせられました」

 ここでは、12名の方々の意見を紹介しました。無記名とはいえ、上演者たちへのサポーティヴな反応という枠を意識しながらのものでしょうから、バイアスがかかっていることは当然でしょうが、12名の方々がミスターDを支持されたのは、新鮮でした。さあ、これから勉強会は、どう展開するのでしょう?(YK)

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