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#4. 第2回死についての勉強会/あたかも『岸辺のふたり』

緩和ケア部:小森 康永

あたかも『岸辺のふたり』

 3月14日午後、愛知病院緩和ケア病棟スタッフとの合同勉強会で、第二回死の勉強会を行いました。今回の教材は、2001年アカデミー賞短編アニメーション賞受賞作『岸辺のふたり』です。
 自転車に乗り、川岸に来た父と娘。父は娘を岸辺に置いて、舟に乗って旅立ってしまう。


 娘は、それからの人生、父への思いを胸に何度も自転車で岸辺を訪れる。オランダのドゥ・ヴィット監督の、たった8分の作品に、娘の人生が凝縮されています。

 今回のワークの目的は、日々の臨床において患者さんの死に立ち会う以上、まずは自分たちの死生観の多様性をある程度把握してみようというものです。

 鑑賞前に、登場人物の誰になったつもりで見るかを決めます。主たる登場人物である父親、娘に加え、将来、その娘の夫、息子、娘になった人の計5人、そしてここには登場しない娘の母親、さらには登場人物とは無関係の第三者の合計7つの立場を設定しました。
 参加者25名の方々の選択は次の通り。父親3名、娘5名、娘の夫2名、娘の息子2名、娘の娘10名、娘の母親1名、第三者2名。若い看護師さんが多いせいか、娘と娘の娘に人気が集中しました。
 観賞後、各グループ別に印象を述べ合い、全体にフィードバック。

 目的からすると、作品に描かれた事実に対する登場人物ごとの想いの差、そして同じ登場人物においてもみられる参加者間での想いの差という、二重の差によって、ひとつの死をめぐる登場人物/参加者の死生観が浮き彫りになるのではないかという目論みです。

 では、ここで、各立場の「声」を紹介しましょう。

1)父親
  • あんなにずっと、あの岸辺を訪れていたとは知らなかったよ。娘を苦しめてしまったかもしれないけれど、ずっと思っていてくれて、ありがとう。
  • いつまでも自分は忘れられることなく、姿、かたちがなくなっても、娘に想われ、娘のなかで生きてきたんだ。人はいつか別れるものだけど、愛や想いは永遠に生き続けることが、できるんだよ。だって、どんなに離れていても、こうして娘と会うことができたんだから。
  • 私は、娘を独りのこして死んでいくのが、とても心残りでした。しかし、娘はスクスクと育ち、何かにつけ私のことを思い出してくれたのが、とても嬉しかった。本当のことを言うと、独りでボートを漕いでいくのは、とてもさびしかった。しかし、娘がこちらに来るときは、私が迎えにいけて、とても驚いている。なぜ私は、迎えに行けたんだろうねえ。

2)娘
  • はじめは、そこに行けば会えるという思いで通いました。でも、ある時から、もう二度と会えないことを理解しました。それからは、思い出の場所になりました。大切な人と訪れることで、気もちを共有することができ、いつか自分の死を考えるようになりました。死に辿りつくまでの道は、父とは違ったけれど、行き着く所は同じです。
  • 幼い頃、父は急に自分の前から姿を消してしまった。父の乗っていた自転車は残っていたのに。ときどき、思い出の場所を訪れては、しばし、楽しかった日々、愛されていたことを思い出し、物思いにふけりました。
  • (風、雨、雪と)何かあったときに、父と別れた場所へ足を運びました。自転車がなくなったとき、「死」を理解しました。

3)娘の夫
  • 私は「なんでいつも岸辺なんだ?」と想っていました。
  • 並木から見える海はとてもきれいで、子どもたちの良い遊び場で、自分も妻とそれを一緒に楽しみたかったけれど、彼女はいつも一歩ひいて見ていました。この場所は、彼女にとってつらいのかと想っていました。自分は妻と血のつながりがないので、彼女の最も大切な場所から天国に旅立つことができなかったようだ。あたりまえのことだと納得できるが、少し残念に思う。

4)娘の息子
  • お父さんもお母さんもじっと水を見ていて、どうしたんだろう?

5)娘の娘
  • 母が岸辺にたたずんでいる姿は、幼い頃から不思議に思っていましたが、そこが思い出の場所であることを知りました。母は亡くなり、今度は私にとって、この場所が思い出の場所になりました。これからは、私がここに来て、母のことを思い出すでしょう。
  • なぜ母がここに私たちを連れてきたのか分かったときは、母のさびしさを理解し、一緒に何かを感じてあげればよかったと思いました。
  • 母にとって大切な場所だということは理解できたけれど、どうして川の淵まで降りてこなかったのだろう? 私も大切な場所としてここを思うでしょう。
  • 母はここに「悲しくてくるのか」「励まされたくてくるのか」わかりませんでした。父親への想いが取りきれず何度も来ていたことを本人は悟ったのではないでしょうか?
  • 母が悲しい思い、さみしい想いをしていたのは分かります。でも、母は、私の前ではしっかりしていてほしかった。母が祖父のことをさみしそうに考えているのを見ると、私は自分が見てもらえていない気分になる・・・
  • 母にとって、そんなに大切でつらい場所だったなら、もっと一緒に行って、一緒にぼーっと過ごしても良かったかなと思いました。思いを共有したかった。ひとりで頑張らなくてもよかったのに・・・
  • 母の特別な場所に連れてきてもらえて、嬉しかった。母にとって、いつもそばにあって、支えになっている場所だったんだ。祖父はいつも母を見ていたんだ・・・

6)娘の母親
  • 私がいなくなったあとの娘と父親の関係が楽しいものだったとわかり、安心しました。人生をまっとうして川の向こう側に旅立った娘には、おつかれさまと言いたい。

7)第三者
  • いろいろな人生があるんだなあ。

 全体のフィードバックで目立ったことは、娘が岸辺を訪れる動機について意見が分かれたことです。娘サブグループのほうが「つらいことがあると自分を励ますために」くるというニュアンスで、娘の娘サブグループは、「父親を忘れられなくて」通うという解釈に傾いていたようです。遺族よりも、その周りの人々のほうが、感情移入が大きいのでしょうか? それは、死イコール悲しいだけのことという一面的理解に傾きやすい文化の表れなのでしょうか?

 好評に付き、参加オープンでもういちど院内でやる気運です。さて、いつになるでしょう?

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