藤川宿・宿場手控え
宿番号 37番
区間距離 2里09町00間
逓加距離 78里09町25間
総人口 1,213人
総家数 302軒
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠屋 36軒
 赤坂宿を離れた東海道は、山間の沢を東名高速道路や名鉄名古屋本線の線路と平行しながら進みます。道中の低い山の山麓にあり、日本武尊伝説で知られる法隆寺には、徳川家康の祖、松平親氏など松平一族の墓や新撰組隊長近藤勇(1834−1868)の墓もあります。
 このあたりも古くは「駅」が置かれていた所といわれており、現在では「本宿」という地名があるだけですが、近世の赤坂、藤川宿の元の宿だといわれています。
 わずかに松並木が見られる中を東海道は山中へ進みます。ここの山あいには家康の父広忠が再興した山中八幡があり、また中腹には家康が一揆の時、難を逃れたという洞穴があります。
 やがて東海道は山に挟まれた場所にある、本陣、脇本陣各一軒があった藤川宿(岡崎市)に着きます。この宿場は、南三河に向かう吉良道が分岐し賑わいをみせていました。
 今も門が残り、資料館になっている脇本陣跡や、昔ながらの連子格子の旅籠が現存する町並みに当時の風情を楽しむことができます。
 藤川宿を離れた東海道は、山間部を抜け、藤川の松並木を過ぎ、江戸時代には大屋川とも呼ばれていた乙川を、大平の大橋・小橋で渡りました。大岡越前守(1677−1751)に始まる大名大岡氏の西大平陣屋跡、国の史跡となっている大平の一里塚、そして、東名高速道路岡崎インターチェンジを過ぎると、間もなく岡崎宿に到着します。

脇本陣と松並木の宿


山中八幡宮
  三河一向一揆で門徒たちに追われた家康が身を隠し、その難を逃れたと伝えられる鳩ヶ窟があります。また、毎年正月3日には、五穀豊穣を祈る御田植神事「デンデンガッサリ」が行われることでも有名です。
藤川宿資料館 (脇本陣跡)
  脇本陣橘屋大西家は中町の東海道北側にあり、明治天皇御小休所の座敷もありました。昭和30年に藤川町が岡崎市と合併するまではここに役場が置かれていました。脇本陣の遺構で現存するのは門のみで、岡崎市の史跡に指定されています。現在は宿場町の模型などを展示した藤川宿資料館として利用されています。
藤川の松並木
  天保14年(1843)には345間の長さが続いていたと伝えられる藤川の松並木。昭和38年に市指定の天然記念物になった際には幹囲2mのクロマツなど90本が町の西はずれ約1kmにわたって東海道の左右に立ち並んでいたといわれています。現在も、名鉄名古屋本線と東海道が交わるあたりに残り、昔の面影を偲ばせてくれます。
十王堂 (岡崎市藤川町)
  元禄期に建立されたと伝えられる藤川の十王堂。その境内には「爰も三河むらさき麦のかきつばた」と詠んだ芭蕉の句碑が建てられています。これには、寛政5年(1793)に西三河の俳人が再建したと記されています。