- 昭和56(1981)年1月13日京都府生まれ。平成12(2000)年、高校の同級生、高田紗千子さんとお笑いコンビ、梅小鉢を結成。大久保佳代子さん、篠原涼子さんら、ものまねや歌のレパートリーを数多く持つことで知られ、「ものまねグランプリ」(日本テレビ)、「細かすぎて伝わらないモノマネ」(フジテレビ)などバラエティー番組、舞台、ラジオなどで活躍中。2児の母。現在も非常勤職員として介護事業所に勤務し、介護福祉士の資格も取得している。
更新日:2024年6月
取材日:2024年5月22日
高校の同級生、高田紗千子さんと組んでお笑いコンビ「梅小鉢」として活動しながら、男の子2人の子育てにも奮闘中の小森麻由さん。芸能界でまだ若手のころ、介護の現場でアルバイトをしたことをきっかけに介護福祉士の資格も取得。2年前には非常勤職員として介護現場に復帰しました。芸能界でスポットライトを浴びながら、介護福祉士としても活躍する小森さんに、介護の仕事に興味を持ったきっかけや介護の仕事を通じて感じたことなどをうかがいました。
私が相方、高田さんと出会ったのは高校時代で、卒業したら一緒に何か面白い仕事をしたいね、と常々話していました。しかしまずは1年間きっちり働いてお金を貯めようということになり、高校卒業後に私が就いた仕事は看護助手でした。看護助手の仕事を選んだのは、子どものころの自分の行動に対する反省からです。幼少期の私は、いわゆる「いたずらっ子」で、中学生くらいまで落ち着きもありませんでした。それがある日、どうして今までこんなに人が嫌がることをしていたのだろうと、かつての自分の行動を後悔し、眠れないくらい悩んだことがありました。そのとき芽生えたのが、将来は人の役に立つ仕事に就きたいという思いだったのです。
人の役に立つ仕事がしたいといっても当時は看護師しか思い浮かばず、資格を持たない私ができるのは看護助手でしたが、1年間続けました。その後、高田さんと梅小鉢を結成。しかし、お笑い芸人の仕事だけでは食べていけなかったので、25歳からは介護の仕事を始め、非常勤ですが7年間ぐらい勤めていました。

介護の仕事に就こうと思ったのは、看護助手の経験があったことや、看護助手として働いているときに介護の仕事に興味を持ったこともありますが、やはり人の役に立つ仕事がしたいとの思いを持ち続けていたことが大きな理由です。
友人の影響もあります。看護助手時代の友人が、介護職に転職したんです。そういう道もあるんだと気付かされ、看護助手の仕事の中には介護ケアも含まれていて勉強もしていましたので、やってみようと決心しました。
介護の仕事を始めてみたら、移乗やおむつ交換、シーツ替えなど看護助手時代の仕事に近いものがあったので、そこまで抵抗はなかったように記憶しています。トイレであったりお食事であったり、より生活に寄り添った、自分の暮らしの延長線上にある仕事内容だったので、むしろプラスに捉えていました。子どものころは身近にお年寄りはいませんでしたが、利用者さんとのコミュニケーションに困ることなく初めから普通に接することができたので、構えることなく関わっていたと思います。

介護の現場で働いていると、先輩の“介護力”に心が動かされる瞬間がよくあります。例えば私が食事介助をしているとき、あまり食が進まない利用者さんを見て、先輩の介護職の方が「スプーンを変えてみたら?」とアドバイスしてくれました。変えてみると、それだけでよく食べられるようになったんです。また、フロア内を一人歩きする方に「お部屋に戻りましょうね」と促してもお戻りになろうとしないとき、先輩が「探されているの、これですか?」とその方が大切にされている物を持って来てくれたことがありました。すると、その方は急に笑顔になって部屋に戻って落ち着かれたのです。そんな小さな気付き、一つのケアで、こんなにも利用者さんが安心して過ごせるんだと毎回感動するとともに、私ももっと勉強しなくてはと思っていました。
その感動は2年前、小規模多機能型居宅介護事業所でパート職員として働いたときも同様にありました。なかなかお風呂に入ろうとしない利用者さんを、ある先輩介護職の方が誘うと入ってくれる。その先輩との信頼関係からなのかもしれませんが、その先輩が「入りましょうか。大丈夫、大丈夫。安心してね」と声を掛けると、スッと立たれてお風呂に行くのは、すごいなって思いました。その先輩がいない日に、お風呂に入っていただきたいときはプレッシャーですね(笑)。
