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- 1948年3月6日、東京生まれ。学習院初等科から高等科、上智大学を経てイギリスへ2年間留学。79年、奥田瑛二さんと結婚。エッセイスト、コメンテーター、介護や食をテーマにした講演会など幅広い分野で活躍中。長女は映画監督の安藤桃子さん、次女は女優の安藤サクラさん。著書に「忙しママの愛情レシピ121」「オムツをはいたママ」「“介護後”うつ〜『透明な箱』脱出までの13年間〜」ほか。
更新日:2025年3月
取材日:2025年2月4日
エッセイストとして、また情報番組などのコメンテーターとして、テレビやラジオ、紙面上で明るく朗らかなオーラを放つ安藤和津さん。実は13年の間、母親の介護とその後の自身の鬱症状で苦しんだ経験を持つ家族介護者でもありました。その体験を著書や講演会などで発信してきた安藤さんに、介護職として働く人々への思いや伝えたいことを伺いました。
私は講演会のテーマに介護を取り上げることも多く、来てくださるのも50代から70代くらいの方々。これから親の介護をしなければならない方も、真っ只中の方も、介護を終えて自分の気持ちを整理している最中の方もいらっしゃいます。私が母の介護を始めたのは介護保険法が施行(2000年)される前。当時は自分の介護経験を発信できる体験者が多くはありませんでした。一般的にも、親が認知症になり自分が介護をしていることを言いたくない方が多かったように思います。私が介護について発信を続ける理由は、未だに母の介護に後悔あるからです。自分では精一杯やったつもりでも、今になって本やネットで情報発信されているのを目にすると、私があのときやったことは間違いだった私が経験から学んだことをお伝えして、お役に立てるのであればとの思いです。
介護の悩みは人それぞれ。認知症の有無や在宅か施設なのかでも違います。私が一番困ったのは、今で言う認知症だということが、なかなか診断してもらえなかったことです。認知症の人には“あるある”なのですが、母はよそさまの前ではシャキッとする。今だったら、認知症かもしれないとお医者さんも分かってくれたと思うのですが、当時は原因が分からないまま。脳腫瘍が見つかったときでさえ「認知症」の言葉は一切無く、認知症だったと分かったのは随分あとになってからのことでした。

認知症のために母の行動がおかしくなってから寝たきりになって亡くなるまで約10年間、何人もの(ホーム)ヘルパーさんにお世話になりました。そこで私が痛感したことは、介護は人間対人間。介護する方は人間性が一番大事ということです。例えば、私は介護をする人が発する言葉もすごく大事な薬だと思っています。介護される側は一つの単語のニュアンスでも敏感に感じています。「オムツ交換します」「向こう向いてください」って冷たく言うだけならロボットでもいいわけです。介護職の方には介護のテクニックは後回しにしてでも、心のケアにぜひ力を入れていただきたい。それが母の在宅介護を通して一番、感じたことです。
母が介護状態になる前、ずっと仲良くしていたお手伝いさんがいたのですが、母を介護しなければならない状況に陥ったとき、その女性がヘルパーの資格を取ってくれたんです。その方には本当に献身的に対応していただきました。また、派遣されてきたヘルパーさんにも色々な方がいらっしゃいました。私の留守中のできごとで夫から聞いた話です。母がおならをした時、ヘルパーさんが「おならなんかして、臭いじゃないの!」って大声で怒鳴る声がリビングにいる夫まで聞こえたらしいのです。そのヘルパーさんはキッチンに移動したあと、そこで大きなおならをしました。それで夫は我慢できなくなって「さっきお母さんに臭いって怒鳴ったけど、あなただっておならするじゃないか!」って。でも介護福祉士の資格を持つ別の方がいらっしゃったときに母がおならをしたら「おばあちゃますごい!こんな立派なおなら、私だってできないわ」って大笑いして言ってくれたんです。そしたらいつも無表情の母がニヤって笑ってくれて。言葉ひとつでもすごく大事なんだなって思った出来事でした。
うちに来ていたヘルパーさんの中には、その方が作った料理を母が食べずにいると「なんで食べないわけ!せっかく作ってやったのに」みたいな言い方をする人がいました。こんなことを言われたら食べたいのも食べられない。ますます食欲はなくなります。一番大切なのはコミュニケーションだと思うんです。相手が分かっていないから何を言ってもいいではなく、通じるように会話してあげる心が大切なのではないでしょうか。

これから介護職に就こうとする方には、介護される人の残り少ない人生の一日を一緒に過ごすわけですから、その貴重な一日をより気持ちのいい一日にすることを心がけていただけたらと思います。皆さんは貴重な人生の幕引きまでの伴走者です。私が母の介護をしている時期は、介護保険法ができたばかりで手探り状態であったことは確かですが、今も昔も共通して言えることは、相手は命のある人で、話すことができなかったとしても人間です。では、あなたがこんな扱われ方されたらどう感じますか?ということを常に心に留めてもらいたいのです。
介護職は介護される人にとって、近くて深い最後の人間関係。私は“聖職”という言葉がぴったりだと思っています。すごい仕事だからこそ自覚やプライド、喜びを持って向き合っていただきたい。私は、自分の最期のときに家族はもちろんですが、どんな人でもいいから「ありがとう」と言って見送ってほしい。たとえそれが施設でも自宅でも「ありがとう」って誰かの声で送られることは、天国へ向かう舟の機動力になるものであるはずです。
