
起渡船場跡
徳川時代、鈴鹿山の険難、七里の渡船、あるいは木曽の難路をさけることができる等の関係から、美濃路が勅使の下向、将軍家の上洛、朝鮮通信使の来朝、御茶壺の通行、諸大名の往来、その他公私の旅行によく利用された。美濃路の要路に当たる本渡船場は当時の交通上、軍略上、重要な意義をもっていた。当時は上流から順に定渡場、宮河戸、船橋河戸の3カ所があったが、その中で定渡場が一般に広く使用され、両岸に常夜燈が設けられた。起の常夜燈は天保14年(1843)に建てられ、後に何回か修理、また位置も方向も変わり、現在金比羅社境内にある笠石、石段及び形態はもとのままである。交通関係遺跡として貴庁である。