愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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紙本著色豊太閤画像(しほんちゃくしょくほうたいこうがぞう)

分類 県指定
種別 絵画
所在地 一宮市大和町
所有者等 妙興寺
指定(登録)年 昭和30年(1955)
時代 桃山
紙本著色豊太閤画像

紙本著色豊太閤画像

1幅 110×59.4cm 上部に南化玄興賛
本像は、上部に御簾と帷を掛け、繧繝縁の上げ畳に敷物を敷いて唐冠直衣指貫姿で笏を右手に持って胡座する。高台寺蔵太閤像から屋根の破風と後障の松図ならびに像前の高欄等を除いた豊国神社本と同じ形式である。上部にある南化玄興の賛によると描かれたのは「慶長庚子季夏」慶長5年(1600)で、以前尾張妙興寺に住し、生前豊太閤に親しく接したことから故人の偉業を追慕して他で次々に制作された太閤画像に倣って画家(寺伝狩野山楽)にその英姿を写させ、寺宝とさせたとある。本図は一部に補筆のあるものの保存良好である。像周囲の表装は生前に太閤使用着衣の裂で仕立てられたとの由来がある。南化玄興(1548~1604) 美濃生れ、 臨済宗僧、妙心寺第五十八世。尾張妙興寺に一時住し、妙興寺の仏殿などの修理・復興したため中興開山と称される。また、豊臣秀吉が3歳で死去した愛児鶴松(棄丸)の菩提のため建立した祥雲寺に開山として招かれるなど秀吉から篤く帰依されていた。

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