分類 | 県指定 |
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種別 | 絵画 |
所在地 | 名古屋市中区 |
所有者等 | 總見寺 |
指定(登録)年 | 昭和43年(1968) |
時代 | 江戸初期 |
二幅 紙本墨画各116.5×51cm 上部に杏壇寒堂叟禅珠の賛と下端に「長谷川宗宅筆」の款記と印有り
本図は軽快な筆で人馬が描かれる。軽く踊るような着衣の曲線と馬体の丸み主体の墨面が柔らかな軽みを醸す。顔貌も、軽快な筆遣いで さがった眉や口髭・丸い眼や鼻の穴を見せる鼻などを描き剽軽さを表わしている。杏壇寒堂叟禅珠すなわち龍派禅珠(1549~1636)は慶長7年(1602)徳川家康下命で足利学校第10代庠主として後進の教育にあたり、同15年(1610)鎌倉建長寺第178世住持となる。天正10年(1582)芝(現川口市)長徳寺に住持し、中興の祖といわれる(寺を整備、家康より寺領40石を与えられ、将軍家代々の保護受けるに至る)長谷川宗宅(?~1611)号は等後、等伯の二男、等伯と共に江戸へ下向した翌年に法橋となった後に亡くなる。≪柳橋水車図屏風≫≪吉野桜図屏風≫などが残る。