分類 | 国・重要文化財 |
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種別 | 絵画 |
所在地 | 名古屋市中区 |
所有者等 | 宝生院 |
指定(登録)年 | 明治37年(1904) |
時代 | 鎌倉 |
一幅
釈尊の入滅を描いた涅槃図である。釈尊は、蓮台を枕としているが、右手を枕に添えているので、鎌倉時代以降一般的になる右手枕の姿勢である。しかしながら、宝床は向かって右側面が見える角度で描かれ、平安時代以来の伝統的な描き方である。釈尊の姿勢も、平安時代にみられた両手を体の側面にあわせ横たわる姿に近く、平安時代以来の古様な形式に右手枕という新しい要素を加えた発展形式といえよう。彫像としての涅槃像との関連も指摘されている。釈尊の顔貌はやや面長で、胴部も細身であり、やや異国的な雰囲気である。参集者は、菩薩が三人、比丘が十人、天部が四体、俗形男性が一人であり、比較的少ない。菩薩は、宝床に向かって左下角に錫杖を持つ比丘形の地蔵菩薩、同じく向かって左上角に二体の菩薩があり、近くに獅子と象が描かれているところを考えてみると、これらは文殊・普賢菩薩と考えられる。比丘形は、ちょうど十人描かれているので、十大弟子と思われる。宝床の下には地面に横たわる比丘と介抱する比丘がいるが、これは阿難と阿那律と考えられる。本図は、他の涅槃図にはみられない、珍しい要素を多く持つものである。彩色や線描は鎌倉時代の様式であるが、釈尊の着衣の文様や参集者の姿態、力士や動物の表現には、中国的な要素が反映されているものと思われる。中国あたりから渡来した図像をもととして、新たに日本で描かれた涅槃図であろう。鎌倉時代以降、涅槃図に新しい形式が登場すると、同じような涅槃図が繰り返し描かれることが多くなるが、本図はそうしたなかで極めて個性的な涅槃図として重要な作例でといえる。