愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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名古屋城旧本丸御殿障壁画(なごやじょうきゅうほんまるごてんしょうへきが)

分類 国・重要文化財
種別 絵画
所在地 名古屋市中区
所有者等 名古屋市
指定(登録)年 昭和17年(1942)
時代 江戸

三百三十一面 紙本着色
旧本丸御殿障壁画は慶長17年(1612)着工元和元年(1615)完成の表書院・対面所・玄関などに狩野貞信中心に制作された障壁画と、3代将軍徳川家光上洛時の寛永11年(1634)に先立ち建設された上洛殿 ・御湯殿書院・梅之間などに狩野探幽中心に制作された障壁画との2つの時期の異なる建築物の間仕切りと装飾をかねた障壁画群からなっている。現在、御殿諸殿舎は昭和20年(1945)5月14日に爆撃で消失し、当時疎開されていた障壁画群のみ残存する。この障壁画群は 制作時期の違いの他に各部屋の機能や格式に対応して多彩で、画題は山水・人物・花鳥・走獣と、技法も水墨・淡彩・濃彩・金地濃彩と多岐にわたる。これら障壁画が内部空間を格式と序列により整然と区分していた。例えば、探幽時代の上洛殿上段之間、一之間、二之間のいずれも水墨画で描かれているが、部屋によって人物画の主題が帝鑑図と琴棋書画図というように格式の違いを明示するように選択されている。なお、三之間は人物図ではなく四季花鳥図になっている。本障壁画群は二条城二之丸御殿障壁画と共に城郭の障壁画としてまとまって残っていることでも貴重なものである。また、この障壁画は探幽様式の確立された様子を示すことからも重要である。狩野貞信(1597~1623)・狩野探幽(1602~74・江戸徳川幕府御用絵師)いずれも、漢画系水墨・濃彩画を中心に描く画派である狩野派に属し、徳川氏からの要請に中心となってこのような大きな絵画制作を取りまとめた人物である。

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