愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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絹本著色三千仏名宝塔図(けんぽんちゃくしょくさんぜんぶつみょうほうとうず)

分類 国・重要文化財
種別 絵画
所在地 新城市中宇利
所有者等 冨賀寺
指定(登録)年 平成6年(1994)
時代 鎌倉
絹本著色三千仏名宝塔図

絹本著色三千仏名宝塔図

一幅 縦128.4㎝、横658㎝
画面全体に文字で十三重塔と放射光を形作る文字塔を表し、塔の基壇の周囲を大勢の人物が取り巻いている。中央の文字塔は『過去荘厳劫千仏名経』『現在賢劫千仏名経』『未来星宿劫千仏名経』の三経をあわせたいわゆる『三劫三千仏名経』の経文を用いており、放射光の右上部から下部に『過去荘厳劫千仏名経』の文字を、中央の塔部分に『現在賢劫千仏名経』の文字を、放射光の左上部から下部に『未来星宿劫千仏名経』の文字を書き込んでいる。この塔の初層の室内には彩色で五仏を描き、二層に「三千仏名開慶宝塔」、三層の屋根に「仏日増輝法輪常転」と金泥で文字を書き込む。また、四層から十二層まで中央に円相に入った仏坐像を彩色で描き、塔の相輪の水煙部中央に「過去現在未来舎利宝塔」と墨書する。初層の五仏は、中央が釈尊、向かって右が阿弥陀、向かって左が弥勒という説や盧舎那・釈迦・弥勒・阿閦・阿弥陀の五尊という説がある。宝塔の基壇の周囲には、大勢の参集者がおり、合掌したり、両手に花篭や柄香炉などを捧げ、宝塔を賛嘆供養している。参集者は、正面に菩薩や比丘を配し、左右にたくさんの天や鬼神が描かれている。特に鬼神は多くにぎやかに描かれ、なかには三面六臂で朱身の阿修羅、鳥頭の迦楼羅、獅子冠を被る乾闥婆、龍を背負う龍王などを確認できる。宝塔の上部左右の空白には、正慶二年(1333)竺仙梵僊(1292~1348)が賛文を記している。竺仙梵僊は、古林清茂の参徒で、元徳元年(1329)明極楚俊とともに博多に到着し、翌年鎌倉の建長寺に来る。ここで足利貞氏は浄妙寺に招き、正慶元年(1332)二月に入寺する。鎌倉幕府は、正慶二年五月に滅ぶが、のちも竺仙梵僊は足利尊氏、直義兄弟の手厚い外護を受けた。本図は、鎌倉幕府滅亡のわずか三ヶ月前の着賛となる。かつて足利尊氏の従弟真応上人が冨賀寺の住職をしていたことがあり、寺伝によれば真応上人の尊氏戦勝祈願に対する感謝の念により尊氏が寄進したものとされる。仏形は、細かい線を丁寧に引いて彩色を丁寧に入れる細密な表現であり、参集者は、鬼神たちが多いこともあってか細いながらも比較的打ち込みや肥痩のある線を自由にいれ、賛嘆供養する人物を表情豊かに生き生きと描き出している。鬼神としての生々しい顔貌表現や強めに朱の暈をいれた肉身表現には、やはり中国宋画風であることが見て取れる。本図は正慶二年以前に鎌倉地方で描かれたものと思われ、平安時代後期以来しばしば描かれた経絵に見られる細密な画風に、宋風の影響を加えたものと思われる。全体に、類品のあまりない独得の作例であり、絵画史上重要な位置を占めるものといえよう。

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