
本殿
■指定理由
東照宮は、元和5年(1619)藩祖義直が、名古屋城三の丸に創建、明治8年(1875)現在地に移されるが、戦災で焼失した。
現在の社殿は、本来、義直の正室高原院の霊廟として、万松寺に建立されたものであって、大正3年に建中寺に移築されていたものを、昭和28年(1953)に東照宮社殿として、再度移築したものである。
本殿は、方三間の寄棟造で、桟瓦茸、棟札から慶安4年(1651)の建築であることが知られる。
■詳細解説
東照宮は、元和5年(1619)藩祖徳川義直が名古屋城内の三之丸天王社の西側に造営したもので、本殿は権現造とし、楼門、平唐門、渡殿、祭文殿などで構成されていたが、太平洋戦争により焼失した。現在の本殿は、寛永14年(1637)義直の正室高原院が死去すると、慶安4年(1651)に安芸の浅野家により大須の万松寺に寄進された霊屋であり、大正3年(1914)に建中寺に移され、昭和28年(1953)に移築して東照宮本殿とされた。境内は、南に唐門を開き、南北28m、東西23m程の神域を切石2段積として透塀を廻らしている。
本殿・唐門(ほんでん・からもん)
本殿は、桁行3間、梁間3間、寄棟造 桟瓦葺 1間向拝付とする。柱は総丸柱とし、堂周囲では擬宝珠高欄付の切目縁を周囲に廻らし、側柱間に縁長押、内法貫、頭貫、台輪を通し、四隅の柱上に木鼻を出し、正面の中央柱間では方立を立て、内法に藁座(わらざ)を打って双折桟唐戸を吊り、この両脇ならびに両側背面の柱間ではすべて蔀戸を入れている。斗(ときょう)は禅宗様の尾垂木付三手先とし、中備に蟇股(かえるまた)を入れる。内部は、身舎柱(もやばしら)4本を立てて上段とし、四面に庇を一巡させている。庇部分は畳敷詰めとし、小組格天井を張っている。彩色は、外部の剥落が大きいが、内部ではよく保存されている。唐門は、四脚門、唐破風造、桟瓦葺とする。透塀は、東西11間、南北14間とし、柱間に腰長押、内法長押を通して吹寄菱格子を嵌めている。(杉野 丞)