愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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旧名古屋衛戍病院(きゅうなごやえいじゅびょういん)

分類 県指定
種別 建造物
所在地 犬山市内山1(明治村)
所有者等 財団法人 明治村
指定(登録)年 昭和41年(1966)
時代 明治11年(1878)

※ 別ウインドウで開きます

左:管理棟、右:病棟

左:管理棟、右:病棟

■指定理由

旧名古屋衛戌(えいじゅ)病院は、名古屋鎮台の付属病院として建設され、長く陸軍の病院であったが、戦後は国立名古屋病院として昭和30年(1955)まで使われていた。
明治村に保存されている建物は、管理棟(旧本館)と病棟1棟、両者を結ぶ渡り廊下が移築されたものである。

■詳細解説

配置図

配置図

管理棟玄関

管理棟玄関

病棟北面(回廊)と渡廊下

病棟北面(回廊)と渡廊下

病棟南面(回廊)、右が便所

病棟南面(回廊)、右が便所

天井換気装置板

天井換気装置板

床上換気口と斜め木摺

床上換気口と斜め木摺

名古屋鎮台の付属病院として設立された。鎮台が設置された明治6年(1873)に開設されたが、当初は仮設的な施設で始まっており、明治9年(1876)、本建築のための設計がなされ、秋から起工、明治11年(1878)一般病棟が竣工、医療業務が開始された。
開設当時は名古屋鎮台病院と呼ばれたが、明治21年(1888)名古屋衛戍病院と改称された。その後、長く陸軍の病院として使われたが、第二次世界大戦後、一時的なアメリカ軍による接収の後、昭和21年(1946)から国立名古屋病院として昭和30年(1955)まで使われ、役目を終え、昭和37年(1962)、残されていた建物が明治村に譲渡された。
建物の設計は日本陸軍工兵第三方面(隊)で行われたが、それ以前に陸軍軍医部によって定められていた「鎮台病院一般の解」を参考に設計され、設計段階においても、また、施工の時にも、軍医部やフランス軍事顧問団などから助言があったようである。
創建当初の鎮台病院の建物は、管理棟を敷地の南辺に置き、管理棟北の中庭を囲む渡廊下を設け、そこから東と西に三棟ずつの病棟を並べていた。その中の管理棟の半分と西側第一列の病棟(外科病棟)が移築復原されている。復原にあたり、南北が逆転され、管理棟正面玄関が北面している。掲載した配置図は戦後のもので、渡廊下が無くなっている。
管理棟と病棟に共通する仕様は、切石積の基礎、木造大壁造漆喰塗、寄棟桟瓦葺、上げ下げ窓、病室の四周を囲む回廊付き、である。漆喰壁の下地は名古屋鎮台歩兵第六聯隊兵舎と同様に木摺り斜め打ちで、一部に平瓦が張られて下地となっている。
管理棟正面には、桟瓦葺で緩い起(むくり)破風の玄関が突き出され、玄関の柱はエンタシスのある円柱である。広い玄関ホール中程から板床に上がり、その高さのまま各室、中庭の回廊へ連絡している。管理棟内には、医局、薬剤室、理化学研究室などがあった。背面回廊に面する窓は引き違いである。
病棟は寄棟屋根に換気用の越屋根を載せる。病棟外部回廊の大半は創建当初吹き放ちの手摺付であったが、後に改造され、ガラス入り引違い戸が建てこまれている。
換気装置は病棟内の天井に畳2枚ほどの広さの回転板戸があり、開けると、越屋根までの煙道が通る仕掛けである。病室の外壁下部に床上換気口があって、病室内と外部回廊の通気を行うことが出来る。
中庭を囲む渡廊下、各病棟四周の回廊は、全て独立基礎に木柱を立て、木造高床桟瓦葺で、低い手摺が付いている。調査によれば、創建工事の際、竣工直前まで手摺を付ける計画はなかったが、或る軍医の提案により、全ての回廊と渡廊下に手摺が設置された。渡廊下の屋根は病棟や管理棟に比べ一段と低い。(西尾雅敏)

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